hirax.net::inside out::*-01-15

  

2002-01-15[n年前へ]

今日のお願い

 自分が誰であるか(ハンドルとかすらも)を名乗らない人からの質問メールの場合、返事メールを出すのはちょっと躊躇します。で、返事は出さないことが多いです。特にこの時期多い(ちょっと遅いような気も…)卒論関係の質問ならなおさらです。が、内容が面白い場合には出してしまいます。とはいえ、やはり質問メールの場合は名乗って頂いた方が良いか、と。本名でなくても、なんらかの名前をね。「名無しさん」相手じゃメールを書くのも困っちゃうし。
 というわけで、卒論・課題がらみで質問メールを送ろうとする「名無しさん@学生さん」へのお願いでした。

2003-01-15[n年前へ]

朝、国道414号と今日の富士山

 朝、国道414号。横目で見ながらハンドル片手にシャッターを押した。富士山は昼休みにスケートで滑りながらシャッターを押した。どっちにしても横目で眺めた景色。
 そういえば、今日の夕方から夜にかけて富士の裾野演習場では野焼きをしていた。写真を撮れなかったことがとても残念。打ち合わせから抜け出せなかったのがちょっと残念。

朝、国道414号と今日の富士山朝、国道414号と今日の富士山






新製品のペーパークラフト

 「デジタルカメラやなんかのサイズ把握のために、メーカーが新製品のニュースリリース時に新製品のペーパークラフトをつけてくれれば…」 from 「ペーパークラフト
 昔、リブレットが欲しくてリブレットのペーパークラフトを組み立てて打ち合わせの時に取り出してみた。そして、同僚に鼻で笑われた。その日の夜、会社帰りに本物リブレットを買った。

ビキニカラテ・ペーパークラフト

 キミの机上にアフロディーテ様が光臨!「アフロディーテ様スタンディー」ペーパークラフトです。明日、打ち合わせ中に(?)作ってみようかな。いや、何枚もプリントして打ち合わせで合う人たちに配ってみようかな、と。

2004-01-15[n年前へ]

精子が簡単に見れてしまうという不思議なカード…!?

1 「精子が簡単に見れてしまうという不思議なカード」というココイクコムの「元気ですか!!」「元気ですか!!」というネーミングと、(おそらく)精子をレンズに塗りたくってそれを仮装メガネ状の「元気ですか!!」で覗く姿が見事にヘン。とにかく、面白い…!?

 「レーウェンフックの単レンズ顕微鏡」といっても、つまりは単なるガラスビーズ。小さいビーズなら高倍率。大きいビーズなら低倍率。収差はあるけど、そんなものは無視。というわけで、直径2-3mm程度のガラスビーズを東急ハンズででも買ってくれば誰でも何処でも精子が見える…!? …自分の毛根と同じくらい見たくない…かも?

四枚の好きな写真とその理由

 デスクトップを整理していると、いつか作った英会話学校の宿題が出てきた。「自分の撮った写真の中から四枚好きな写真を選んで、その理由を説明して」という課題で作ったものだ。捨てる前に、その四枚の写真をここに貼り付けておこう。

 一枚目。大学の頃、京都の黒谷寺で撮った写真。好きな理由は、木に結びつけられている「おみくじ」には「誰かが選ばなかった未来」が封じ込められているような気がするから。

 次の一枚は、タイでロイクラトンの夜に撮った写真。本当は、空に浮かぶランタンを見に行きたかったのだけれど、残念ながらその時間はなくて、川に浮かぶランタンを見に行った夜に撮った写真。好きな理由は、木に結びつけられた「おみくじ」を好きな理由とやはり少し似ている。 …誰かが川に流して、水面を流れて行くランタンには一体何が乗っているのだろうか?と気になってしまうところだろうか。それとも、川を流れていくランタンと、道の上を流れていく人がとても似て見えるところだろうか。

 そして、最後の写真は沼津港で撮った写真。まるで、道のない海の上を歩いている人がいるのだけれど、あの人には海の下の道が見えているのだろうか?と思いながらシャッターを押してみたそんな写真。

 宿題は四枚の写真だったけれど、四枚目を貼り付けるにはここはあまりにも狭すぎるから、とりあえず三枚の写真をここに貼り付けておくことにしよう。というわけで、今日見た景色は「いつか見た景色」最初の一枚は銀塩カメラで、あと二枚はデジタルカメラで撮った写真。十年くらいの時間をおいて、撮った写真。

四枚の好きな写真とその理由四枚の好きな写真とその理由四枚の好きな写真とその理由






2005-01-15[n年前へ]

「上京ものがたり」

「上京ものがたり」 西原理恵子の「上京ものがたり」の編集者は「ぼくんち」と同じ八巻氏。「ぼくんち」とほぼ同じような1話1ページで連なっていく、イラストレータ・マンガ家の小さなタマゴの話。ホントのようで全て大ウソのようで、どこかにかすかにホントのことも隠れてそうな絵本のようなマンガ。最後に何回か繰り返される「ちょっと」に色々思いを馳せてみるのも、味わい深いかもしれない。


つかれているひと。かなしい ひと。くやしい ひと。そして それをぜんぶ ずっとがまんしているひと。なにをかいたらしんどいひとはわらってくれるかなあ。ちょっとだけ みてちょっとわらってもらえたらすごくうれしいです。ちょっとだけ今 そんな仕事をやれてうれしいなあ 私。ちょっと。
 その「上京ものがたり」の(紀田伊輔による)書評を週刊新潮で読む。
読者の心をちょっとでも癒せたなら嬉しいという意味のことを「私」が語っていて…(中略)…が、彼女の作品を愛好する者ならば「でも頑張るのはあんた自身だよ」という言外のメッセージを読み取るはずだ。 紀田伊輔 希望と挫折の「やさぐれたメルヘン」週刊新潮 '05.1.20

WEB日記の言葉削除依頼

「ヒーローと正義」 日記のエントリーについてのメール. ふと、(C-MagazineでC++や開発環境の連載を担当したこともあり)東映テレビの特撮ヒーローもののプロデューサーの白倉伸一郎「ヒーローと正義」の一節を思い出す。現在の仮面ライダーは「改造人間」になったり(手術前後の子供を不安にさせたり、手術をする側を職業差別すると捉えられる可能性のあること)、「(道具の力を借りたものではない)自分の肉体能力としてのキック力」を備えたりすること(そのような能力を備えていない人の「足を踏む」可能性のあること)はできなくなっている、と書きつつ下のように言う。

「足を踏まれた者の痛みは、踏んだ者にはわからない」よく言われる言葉である。…(中略)…足を踏まないために、もっとも確実なのは、近寄らないことなのである。…(中略)…<踏まれた痛み>原則にもとづくかぎり、…あらゆる媒体から「被差別者」とされる存在は抹消されていかざるをえない。「こっちに来て」という声があっても、だれかの足を踏みそうな場所に足を踏み出すことは許されない。「足を踏まれた者の痛みは、踏んだ者にはわからない」のだから。  白倉伸一郎 「ヒーローと正義」 子どもの未来社

東京大学大学院 基盤情報学 出前講演?

基盤情報学専攻 来月、2月27,28日に開催される東京大学大学院 新領域創成科学研究科基盤情報学専攻の(博士課程の学生たちによる)研究成果発表会にまぎれて、2月28日の午前中に「オッパイ星人プレゼンツ・イッツ・ア・基盤情報学(ウソ)」の講演(というより発表)をしてくる予定になりました。本郷キャンパスでなく、柏キャンパスというわけで、気分的には仕事の出張と区別が付かないかも…。

 話す内容はまだ全然決めていませんが、発表自体は(多分)やることになるだろうと思います。さて、どんな話をしましょうか。


コクヨ「復刻版キャンパスノート」

ジャポニカ学習帳コクヨ「復刻版キャンパスノート」 コクヨ「復刻版キャンパスノート」初代(1975年発売)、2代目(1983年発売)、3代目(1991年発売)までの「キャンパスノート」の懐かしいデザイン3柄を復刻し、現行の4代目(2000年発売)の特別メタリックカラー・アレンジをセットにした4冊パックし、546円で販売。サイズはB5で、普通横罫(7㎜)と中横罫(6mm)の2種類。

 …この表紙デザインのノートPC(用化粧板)が欲しいかも。あるいは、ジャポニカ学習帳のものも欲しいかも。

感温変色・蓄光・芳香材質を繊維に混ぜるサラン・アート

 感温変色・蓄光・芳香材質を繊維に混ぜるサラン・アート.(動画説明)

坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一

坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一 坂村健竹村健一はよく似ている。少なくとも、名前はとてもよく似ている。同一人物と言っても良いくらいの、よく似た名前である。
 もちろん、名前だけでなく、顔だってよく似ている。二人とも目が二つあるし、口は一つ、そしてメガネもかけているところも完全に同じだ。「坂村健にパイプ持たせてスダレ頭にすれば、ハイ竹村健一のできあがり!」というくらいの感じだ。やっぱり、同一人物と言っても良いくらいだ。いや…もしかしたら本当にそうかもしれない…。

 そんな天の声が聞こえたので、作ってみました「坂村健 + 竹村健一 = 坂村健一」 本人が見ても自分と見分けがつかないんじゃなかろうか。 

2006-01-15[n年前へ]

"飛び跳ねていくボール"の映像 in iPod

 SONY BRAVIAのコマーシャル映像を iPod の中に入れる。Jose Gonzalez が静かに歌うHeartbeats(wmv)を背景に、サンフランシスコの坂の景色を背景に、数え切れない色とりどりのスーパーボールが弾み駆けていく、そんな夢のような映像景色を眺めてみる。坂を跳ね降りていくスーパーボールや、一緒に飛び跳ねるカエル、建物の影からボールたちを振り返る男の子、そんなスローモーション映像を眺めてみる。iPodの中で、ゆっくり大きく動いていく「150秒間の景色」を眺めてみる。

TitleTitleTitleTitle30,000 onto Kearny on Flickr - Photo Sharing!
 そして、The Knifeが歌うオリジナルのHeartbeatsも比べ聴きながら、「ある夜はとても迷い、またある夜は何かを掴む…」と歌う歌詞をふと眺めてみる。

One night to be confused, One night to speed up truth,We had a promise made, four hands and then away.
To call for hands of above to lean on,Wouldn't be good enough for me, no.

8GBメモリに改造したiPod nano

アップル - iPod nanohttp://www.multiarcade.com/b.jpgMultiArcade.com 壊れた4GB iPod nanoにメモリチップを亀の子状に増設することで、8GBメモリのiPodを作り上げた8GB Nano Upgrade.鉛筆ほどの薄さのiPod nanoをメモリ8GBにして、2,000曲をぶらさげて持ち歩きたくなる人は多い、かも。

強い雨が降っていた沼津

 最初の一枚だけが今日見た景色。強い雨が降っていた一日。後の写真はn年間から。数年前の今日見た景色。

強い雨が降っていた沼津強い雨が降っていた沼津強い雨が降っていた沼津






手書きの「ピタゴラ・シミュレータ」

平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女/Tech総研平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女/Tech総研 Tech総研ブログ手書きの「ピタゴラ・シミュレータ」タブレットPCの「物理シミュレータ」は面白い!を書きました。「タブレットPCの」というタイトルではありますが、記事中で触れているように「他OSユーザでも楽しめる」わけですから、一回はこのソフトウェアで遊んでみると面白いのではないか、と思います。少なくとも、デモ動画などは一見の価値があります。いえ、「一見」どころか、何度も見直す価値があります。

ペンで「○」を描けば、それは自動的に「球(正確には円柱ですね)」に変身し、そして転がしたりすることができます。 …ラクガキ・シミュレーションで遊んでいるうちに、「四輪駆動の自動車が二輪駆動の自動車より上り坂に強いこと」などを直感的に理解することができるのです。

2008-01-15[n年前へ]

「れる」言葉のヒミツ

 「逆上がりが”できる”」という言葉を打っているとき、ふと「ずっと感じてたこと」「そんな風に感じていた悩みが氷解したこと」を思い出した。

 遥か昔、「海が見られる」なんていうコトバを口にして、あるいはそんな文字を原稿用紙に書いて怒られ続けた覚えがある。「海が何かに見られている」”受動”の意味なのか、「海を見ることができる」”可能”な意味なのかはっきりしないと言われ、そんな言葉の違い・区別がわからなくて、戸惑い・言葉に詰まっていた覚えもある。そんな言葉の違い・区別がわからないという悩みが、少し前まで、ずっと残っていた。

 もし、「人に思われる」と使えば「れる」は受身を表し、「出来るだろうと思われる」と使えば、「れる」は自発を表し、「宇宙旅行は五年以内に可能だとも思われる」という場合は、可能を表すものだと見ることもできる。

 大野晋の「日本語の年輪」(新潮文庫)を読んでいたとき、に書かれていた一節を読んで、そんな受動とか可能の間の戸惑いが氷解した。

 しかし、この受身・自発・可能は、ばらばらに成立したものでなく、その根源的な意味があり、その根源の意味から分かれて、それらの区別を表すようになったのである。では、その根源の意味は何かといえば、「自然とそうなる」ということである。
 私たちが無意識のうちに浸っている日本の文化では、受身も可能も、そして自発も、元来同じものだったのだ。「自分からしようと思ってすること」「他のものからされること」「何かが成し遂げられること」そういったものは、すべて同じ事象だと捉えられていたという事実を知ると、言葉を使う時の自分の中の迷いが理解できるような気がする。

 だいたい「できる」とは、今は、可能を表現する言葉であるが、もともとこれは、人間が力をふるって物事を作り上げてゆくという考え方から成り立った言葉ではない。人力を借りずに、自然の力によって「出(い)で来(く)る」「出来(でく)る」から変じて「出来る」となったものである。
 「できるかな?」というタイトルで、雑文を書く時も、やはり、そんな受身と自発と可能の違いがよくわからなくなる。けれど、それが自分たちの土壌の上で同じものだと意識すると、何だか目の前の霧が晴れたようにな気持ちになれる。「気持ちになれる」の「なれる」が、果たして受身・自発・可能のどれかは、やはり今でもわからないけれど、それはそれでいいのだ、と思うことができるようになった。