2002-05-29[n年前へ]
■おめでとー -> はるか
電子情報通信学会の業績賞、広澤春任・平林久が - 電波天文衛星「はるか」の開発とスペースVLBIの実現 - で獲得。おめでとー。お祝いだー。(リンク)
2003-05-29[n年前へ]
■LEGOでルービックキューブ解きマシーンを作る
「LEGOでルービックキューブ解きマシーンを作る」なんてスゴイと思ったら、「ハノイの塔を解く」のもすごいなぁ。
■文章の特徴を解析し、筆者の性別を判断するプログラム
hotwiredから。
女性の文章は、フィクション・ノンフィクションを問わず、筆者と読者との関係に関わる言葉の出現頻度が男性のものより高かったという。また男性の文章は、ものごとの描写、特定、数についての記述がより多く出現したという。
■Googleのランキング計算を5倍高速化する手法
Zdnetより。個人の嗜好や関心事に合わせたページランキング計算の実現に向けた研究、ということだけど。PageRankとサイトが一対一対応してしまうシステムだったりはしないのだろうか?
2004-05-29[n年前へ]
■GRAPE-DR
(1)重力多体系シミュレーション (2) SPH(Smoothed Particle Hydrodynamics) によるグリッドレス流体計算 (3)分子動力学計算 (4) 境界要素法計算 (5) ゲノムのシーケンスマッチング (6) 質量分析データに対する高次データ検索 (7) ゲノムデータベースに対するグラフマッチングを用いた機能探索の7分野をターゲットとした(とはいえやはり特定用途専門の)GRAPE-DR。 from れれれの日記
■"musashi"を使ってテキストマイニング(musashi_text)
"musashi"を使ってテキストマイニング(musashi_text). from 今日の戯れ言ChangeLog
■ネット日記文体のおだやかな予防線
ネット日記文体のおだやかな予防線。 from モーグルとカバとパウダーの日記
■浮世絵が動く「動き絵」
浮世絵が動く「動き絵」。これは面白く素晴らしい。 from 和の心に酔いしれろ
■はてなダイアリースピーチマシン
はてなダイアリーをFlashを使って読み上げるはてなダイアリースピーチマシン。 from 日日ノ日キ
■小学館「ふろく博物館」
小学館「ふろく博物館」。 from 日日ノ日キ
■はてなダイアリー占い
平林純さんは 日記 に向いています。 ● あなたは、感受性が鋭く、子供のように素直で純真な人です。人を疑うことをしないため、時には騙されて傷つくこともあるのですが、そんな経験があなたをより強く優しい人間にしていきます。また、子供のような心を持っているということは、既成概念にとらわれない、自由で自然体な生きかたができるということでもあります。どんな場所でも素直に周囲の意見を受け入れるので、無理なくその場に溶け込んでいけるでしょう。ただし、自然体という気質が悪い方向に出てしまうと、ワガママで気まぐれだというレッテルを貼られてしまうかも。自分勝手な部分を慎むことが、開運の大きな鍵になりそうです。恋愛面では、あなたの素直さを大事にしてみて。 というわけで「日記」を書くのに向いています。というわけで、今日は「日記」を書くことにしよう。
2005-05-29[n年前へ]
■「SEXの周期表」
購入したい時はここら辺から。他にも、ビールやワインや果物や野菜や…といった「色々なPERIODIC TABLE of ○×シリーズ」がある。


■太田朋
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太田朋の立体額の、ゆっくりと 満ちてゆく。背景の絵と、その上に少し離れて重ねられた透明シート上に印刷された絵(とその影)が不思議な立体感(そして浮揚感)を創りだしている。
平行法で撮影した立体写真なので、ブラウザの機能でも使って、適当な大きさで表示すると、どんな風に「浮いて」見えるかを実感できるかも。
■120 Years of Electronic Music
1870 - 1990までの電子楽器の歴史をリストにした120 Years of Electronic Music.
2008-05-29[n年前へ]
■「言葉を解釈する文章」と「眼で見る文章」
南伸坊の「ごはんつぶがついてます」中で宮武外骨に関して書いた文章を読み、「あぁ、そういうことなんだよなぁ」と感じた。
一般に「頭がいい」とされる人は、説明のできる人であって、つまり言葉でわかっている人、耳の人のことです。ここで言っている「耳の人」というのは、「音を聞く器官としての耳」というよりは、「言葉を解釈する器官としての耳」というような意味合いだ。本当に素の文字の羅列としての言葉だけを受け取る器官というニュアンスである。
南伸坊はこんな感じ方に対する説明を書く一方で、それとことなる「解る」をも並べ書く。
論理をつみあげていって、何かを解(わか)るというのではなく、何かをじっと見ていたり、何かをそこらに並べて、一望していることで、解ることというのがあります。南伸坊は、「こういった感じ方をする人々は耳の人ではなく眼の人だ」と名付ける。
さて、眼の人である宮武外骨は、文章も眼で書いています。……つまり書かれている「内容」ではなくて、書かれ方が「内容」であるというような意味合いにおいて、これは眼の文章なのです。
「ごはんつぶがついてます」 p.192
南伸坊が言う「眼の文章」というのは、レイアウト・タイポグラフィー・イラストレーション……といったものがすべて組み合わさった総合体を指している。
さまざまなWEBページを眺めるとき、ページごとにスタイルも違っていて読みづらさを感じる時がある。もしかしたら、そう感じる時は「耳の人」寄りな頭になっているのかもしれない。そして、スタイルシートでデザインされたページを眺めていて、何だか色々なものの組み合わせが合わさった気持ちよさを感じ、何かを読み取ったつもりになりそうなときは、きっと、「眼の人」よりになっているに違いない。
そんな、「言葉を解釈する文章(あるいは読み方)」と「眼で見る文章(あるいは見方)」があって、それはそれぞれ得意・不得意な分野があるのだろうと思う。
論理を積み重ねるようなものが得意な方、曖昧模糊としたものを明瞭に浮かび上がらせることが得意な方、その両方の感覚を兼ね備えられれば良いのかもしれないが、現実それは無理な話だろう。せいぜい、その時の自分の読み方が「耳の人」寄りなのか「眼の人」寄りなのかを意識しておくことくらいしか、できないのかもしれない。





