2000-07-04[n年前へ]
■「ココロの余裕」を探しに行こう
能代辺りの海岸沿いや米沢の辺りに良質の「ココロの余裕」があるとのウワサ。 この投稿は最高傑作。from Admins-ML
2001-07-04[n年前へ]
■今日の2チャンネル EZwebがiモード閲覧にほぼ完全対応したぞ
ホ・ン・ト? …ねぇ?(リンク)
■THN ひどすぎ。
ネットワークアドレス体系の変更の知らせを、メールで工事の16時間前に送ってくるなんて、何だ一体。もちろん、最後はいつものように「無断転載・転用を禁ず。」 そう「書く」だけは、確かに自由。
2002-07-04[n年前へ]
■愛に生きて YUKI
今日のBGM YUKI PRISMIC。車が揺れるとCDプレーヤーが何度も同じところをリピートする。それはもちろん、カーオーディオ用のものではないから。
そして、今日のリフレインは9曲目のこの部分。
私が愛してるから
美しい瞳で見て欲しい
ちょっと物理っぽいアルバムのタイトル(もちろんタイトル曲のPRISMも)は良い感じ。そんな曲は他に何があるだろう…?(リンク)
2003-07-04[n年前へ]
■たんねぇ、たんねぇ
記憶の底の底から蘇ってくるタンネさんのお話。確か彼は、「たんねぇ、たんねぇ」が口癖だったんですよね。一体なにが足りないと言ってたんでしょう?何なんでしょう? 何かが足りない、その何かが見えていたんでしょうね。それで、それを発明し続けていたのでしょうか。
とはいえ、そんなタンネさんも砂の中に消えてしまったんですね。
■門で区切るか土で区切るか
閾値を「しきいち」と読むか、「いきち」と読むか、というF&F掲示板の話題。その中で、「閾」と「域」の違いを「漢字のつくり」から、「或(ある)」もの門で区切るか土で区切るか、という受け取り方に目から鱗の新鮮さを感じたのである。
2004-07-04[n年前へ]
■プロデューサーや監督を「作家」と言い換える論法
レッシグは本の話をし、「同じこと」といって、映画に話をすりかえます。論理の飛躍をつないでいるのが、本を書く「作家」と、映画をつくる「映画作家」という、似た言葉の連鎖。 「映画監督」や「映像作家」は聞きますが、「映画作家」とは、耳なじみのない言葉です。映画作家って、だれのこと? (中略) 映画プロデューサーも、法律上は author(著者)なので、それを利用して本の話をする。しかし、それだけでは読者も本=映画とはみなしてくれない。そこで、「produce」という言葉を「author」と結びつけておくことで、「film producer」も本の著者と同じ、という印象をかもしだそうとしているわけです。 けど、それは英語でしか通用しないトリック。似たような効果を発揮するトリックを、日本語で工夫したのが山形訳だといえます。情報の共有 (4) ──極論の論法 池田信夫とレッシグをめぐって「プロデューサーや監督を『作家』と言い換える論法」に着目した「池田信夫とレッシグをめぐって」
■見た目による男女の相違点
画像処理による男女の識別のしやすさを表にしたという「見た目による男女の相違点」 男=ヒゲ・ネクタイ・ハゲ・パンチパーマって…。それはあまりに…。そして、女=頭にリボンをしている・胸が膨らんでいる・おしりが丸いって…。それでは昔の少女マンガの中の女性みたいだ…。
さぁ、現実世界のあなたは男と女どっちに当てはまる? from カラー全身像を用いた男女識別.
■CASIO A5403CA
ふたみさんの反応を見て思い出した。最近、私のCASIO A5403CAが何かヘン。気づくと、何だかスリープしているみたいにヘンに反応が遅くなったりしていて、山口さんちのツトムくん状態だ。何だか少しヘンだ。どうしたのかな。
■ある街の方言
世の中にはヘンなオトナ語というものがあるらしい。社会人が普通に使う(だけどヘンな)日本語をオトナ語というらしい。
ある街にいる人達が使うオトナ語が最近どうにも気になってしょうがない。正直に言えば、気になってしまうだけでなくて、疲れているときにそのオトナ語を聞くとどうにも私のどこかのツボにはまって、つい笑いたくなるのである。会議中にそんなオトナ語の羅列を聞いていると、腹がよじれそうで口が緩みそうで、なんともたまらなくなるのだ。
そのオトナ語の特徴は、「答えはとりあえず英語で」「だけどヘンでとても簡単な英語?で」という特徴がある。例えば、こんな感じだ。
「明日までにできるんだろうね?」「それはyesです」
「この決定でいいんだよね?」「それはもちろんagreeで」しかも、これをみんなで連呼することも多い。
「それではみなさんよろしいですね?」「それはyesで」「もちろんyes」「はい、yesで」Yes.yes.yes…ここは何処かのコンサート会場か?と思うほどにそのyesやagreeの連呼が続く。これでツボにはまらない方がどうかしている。何だかとても面白い。本人達はそのヘンさを感じていないところが(いや、本当はヘンでも何でもないのかもしれない)、とてもたまらなく面白い。私もついつい(心の中で)「Yes!Yes!」と叫んでしまう。口に出して「Yes」とは言えそうにないが、心の中ではコンサート会場の観客のように「Yes!」と叫びたくなる。
ふと、ある時気が付いた。「YesはあってもNoはない」「agreeはあっても、disagreeはない」 やっぱり、このオトナ語は少しヘンだ。投げかけられた言葉を否定する言葉は、そのオトナ語の中にはないようなのだ。そして、こんな邪推をしてしまった。
それはこんな邪推だ。ずっと前に、「どうなんだそれは、ちゃんとYesかNoかで答えろ」とエライ誰かが言ったとしよう。そして、それに対して「それはもちろんYesです」とシタッパーズの誰かが答えた。もちろん、「それは違います。Noですよ、もちろん」なんて答えはありえなかった。もちろん、"disagree"もありえない。だから、「YesはあってもNoはない」「agreeはあっても、disagreeはない」「それどころか、agreeの反対は何かすら知らない」…そして、いつの間にかこの方言が生まれた…という邪推をしてしまった。
もちろん、きっとそんなことはなくて、ヘンな口癖を持つ人がその街中に流行らせたというのが本当のところなんだろう。きっと。
2005-07-04[n年前へ]
■"Corpolation"と"Incorporation"
渋谷の街を歩いている途中で、「Montage」の語源のmountで「何かが頭の中で繋がるような感じ」「何かが頭の中でひっかかる感じ」の理由を思い出した。
そういえば、"corpolation"と"incorporation"の違い、つまりは、"corporate"と"incorporate"の違いをホワイトボードを前に説明されていたことがあった。"United or combined into one body"と"To unite (one thing) with something else already in existence"の違いを、絵を描きながら説明された時に頭の中に浮かんだことが、、「Montage= (元来は高い場所に)なにかをとりつけること」を見た時に受けたことと似ているような気がする。
2007-07-04[n年前へ]
■オカルトと「説明・制御への欲望」
MatLabで制御工学に浸っていると、「物理系の類似性」なんていう言葉が出てくる。電気系・力学系…全く異なる対象なのに、なぜか似通った関係・同じような描写がされるものは多い。それと同じように、全然違う分野の本を読んでいても、なぜか少しづつ重なることが書かれていることが頻繁にある。制御工学に浸かりながら思い浮かべたのは、こんな言葉だ。
科学と現代オカルトに共通するものは何か。それは原理への欲望とコントロール願望であろう。 「科学とオカルト」P.143 現代オカルトは科学の鏡である科学とオカルト
1入出力系システムで可制御行列が正則でなければ、可制御、すなわち、任意の状態に制御することはできない。
1入出力系システムで可観測行列行列が正則でなければ、可観測、すなわち、状態量を正確に知ることはできない。現在では、むしろ科学の方が原理・説明や制御において、「できないこと」を声高らかに謳うようになった。今では、「原理的にできないこと」が証明されることを面白く感じる人もきっと多いことだろう。
科学は、原理的に説明できない現象は説明できないままに放置せざるを得ない。それは科学の欠点ではなく最大の美点である。 「科学とオカルト」P.145 現代オカルトは科学の鏡であるとはいえ、「科学」という広い言葉より実社会にもう少し近い、工学としての科学という側面においては、やはり「できないこと」「制御できないこと」「説明できないこと」が、表だって語られることは少ないと思う。
オカルトは、科学では説明できない現象を説明すると称して、いとも簡単にこの禁欲を破ってしまう。 …一回性の出来事を説明できない科学に、頼りなさを感じている人々の一部は、こういったオカルトに引きつけられてゆくのであろう。 「科学とオカルト」P.145 現代オカルトは科学の鏡である科学を使って何かを把握・制御しようとする人の行動も、「科学は老化の原理を教えてくれても、人が生きる意味は教えてくれない」と思う人の行動も、それらの行動や言葉の原動力は、いずれも「説明と制御への欲望」であるという一点で、ピタリと重なり合うものなのかもしれない。
2008-07-04[n年前へ]
■Pain is temporary. Film is forever.
バックトー・ザ・フーチャー・シリーズを撮影する時に、マイケル・J・フォックスとロバート・ゼメキスが苦痛を伴うミステイクのたびに言い合ったという「痛みは一瞬。映画は永遠」は、1987年公開の青春コメディ映画「タイムリミットは午後3時」の中の台詞だという。この映画のストーリーは、全然イケてない主人公が、不良と決闘をする事になってしまう。そんな登校から放課後の決闘までのほんの数時間を音楽に合わせ軽快に描く、というものだ。この映画のレビューを眺めていると、こんな一節に出会った。
And on top of everything else, it teaches those savvy enough to seek it out a very important life lesson:
Pain is temporary. Film is forever.
(長々と書いた)そんなことより何よりも、この映画は生き抜くためのコツを見つけるために大事なことを、こんな風に教えてくれる。
痛みは一瞬。映画は永遠。
Back to the Future いえば、第一作目の最後のセリフもとてもいい。(映画中で冗談の対象として使われた)ロナルド・レーガンが年初の一般教書演説で引用し語ったこの言葉はとてもいい。
As they said in the film Back to the Future, where we’re going, we don’t need roads.
映画"Back to the Future"のセリフのごとく、「私たちが行こうとする先に、道は必要ない」のです。









