2000-07-16[n年前へ]
■今日書かなかったメール。
実際のところ、その「心の痛み」と「科学的な薬」は本来補完し合うものだと思うのです。それが、何故か相反するもののようになりがちなのは、両方の側にその原因があるのではないか、と思っていたりします。
2001-07-16[n年前へ]
2002-07-16[n年前へ]
2003-07-16[n年前へ]
■キーワードで番組を自動検索/予約録画するTVチューナー・キャプチャーカード
ユーザーが入力したキーワードやジャンル、チャンネルなどの設定条件から、自動的に番組を選択/予約録画が行なわれる録画・再生ソフト『SmartVision 2.1』を搭載した『SmartVision HG2』
■Excelの計算のバグ
スラッシュドット経由でこのページ。統計解析をする機会の多い昨今だから、ちょっと注意しておこう。とはいえ、Excelは簡単で使いやすいのもそれまた事実なのだ。
■色んな本で遊ぶのだ。
統計解析と言えば、統計・可視化解析でとても面白いのがこのページ。今日の一押しお勧めページである。例えば、「十津川警部の行く末」やら、「銀河鉄道の夜の色彩の旅」やら、「居住地と恋愛運の恐るべき関係を可視化」やら、とにかく色んな本で遊んでいる。きっと、hirax.netに来るような人であれば楽しめること間違いなし、なのである。
■ナムコ,三次元立体画像を自然再生する技術開発
「遠山式立体表示法」ってどんなもの?
2004-07-16[n年前へ]
2005-07-16[n年前へ]
■SEXY FONTS
LIMG http://www2u.biglobe.ne.jp/~sumishi/font.htm n /site_thumbnails/20050716175451s.jpg ![]()
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2006-07-16[n年前へ]
■「逃げる」という覚悟
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Tech総研ブログ 平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女に「逃げる」という覚悟を書いてみました。…それにしても、すごい行動力です。いえ、「覚悟」でしょうか。
「逃げる」という言葉を最初に眺めたとき、ずいぶん消極的な言葉にみえ、意外でした。その違和感が消えたのは、しばらくしてスポーツ解説のテレビを眺めてた時でした。
■「うしろには夢がない」
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「逃げる」という覚悟に「寺山修司が,逃げ馬について同じようなことを書いていたのを思い出しました」というコメントがついていました。寺山修司の「さらばハイセイコー」を、頭の中で読んでみるのも良いかもしれませんね。
ふりむくと一人の少年が立っているふりむくと一人の失業者が立っている
ふりむくと大都会の師走の風の中にまだ一度も新聞に名前の出たことのない百万人のファンが立っている
ふりむくな ふりむくなうしろには夢がない
2007-07-16[n年前へ]
■前へ「逃げる」
from n年前へ.
チャンス"だけ"は誰にも必ず来る 小島寛之
逃げる 近藤淳也
小島寛之さんの言葉の近くに、はてな近藤社長の「逃げる」という言葉が書いてあります。その言葉を最初に眺めたとき、力強い文字とその言葉がどうも似合わないように思えて、ふと首をかしげたのでした。ずいぶん消極的な言葉にみえて、意外に感じたのです。 その違和感が消えたのは、しばらくしてスポーツ解説のテレビを眺めてた時でした。「自転車競技では、先頭を走り空気抵抗を一手に引き受ける"逃げ"はとても苦しく、アタックとも呼ばれる」というような解説者の説明を聞き、自転車競技を愛するはてな近藤社長の言葉がようやく理解できたのです。 つまり、「逃げる」という言葉は、私が思ったような消極的な言葉ではなく、「苦しくても、力一杯アタックし続ける」という覚悟の言葉だったんだなぁ、と思い至ったのです。
ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない 寺山修司 さらばハイセイコー
実際のところ、その「心の痛み」と「科学的な薬」は本来補完し合うものだと思うのです。それが、何故か相反するもののようになりがちなのは、両方の側にその原因があるのではないか、と思っていたりします。
■創造性とミューズ
世界は限りなく広い。けれど、それと同時に、そんな世界はとても狭い、と感じる瞬間があるのも事実だ。どんなに長く生きていても、地球の上にいる99.999…%の人には一度も会うことはない。けれど、意外なところで、よく知っている名前や顔と再開することがある。
画像処理のプログラムを作るために古今東西の絵画のテキストを読んでいる時に、こんな一節に出会った。
以前クヌースというアメリカの数学者と話したとき、「絵を描くとき、自分の意志というより、頭の中に誰かがいて、わたしの感性を左右するらしく…」森鴎外も、なんだか自分を支配するものが頭の中にいて…などと書いていますが、それはこういうことだったか…」とわたしは言いました。 安野光雅 「絵の教室」
画像処理アルゴリズムを考えるために、絵画の本を読む。そして、ドナルド・クヌースに出会う。こういった巨人を見ると、世界が実に小さなものに見える。それは、一種の錯覚のであるとも思う。けれど、こうした巨人が世界を繋ぐ高速道路の役割を果たしているのも、また一面の真実であるとも思う。
森鴎外や安野光雅や口にした「頭の中にいる誰か」「感性や自分を支配するもの」の名前を、クヌースというアメリカの数学者は口にする。
はじめ、原因不明のふとした着想から考えを進めるのだが、すると、ひとりでに論証の車がまわりはじめて、論文が楽にできあがる。…思うに背後にいるのは、ミューズだよ。 ドナルド・クヌースクヌースが言葉にした「頭の中にいる誰か」は、ギリシャ神話で芸術を司る9人の女神"ミューズ"である。私たちの頭の中で9人のミューズたちが踊り、絵画や文芸や論文やプログラムを作らせる。何だか、とても面白い。












