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2000-09-13[n年前へ]
■化け物の進化
化け物がないと思うのはかえってほんとうの迷信である。宇宙は永久に怪異に満ちている。あらゆる科学の書物は百鬼夜行絵巻物である。それをひもといてその怪異に戦慄する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。 寺田寅彦
2001-09-13[n年前へ]
■今日見た景色 雨の信号待ち
信号待ちの最中に撮ったので、安全でしょ?(リンク)
2002-09-13[n年前へ]
■intel Integrated Performance Primitives (IPP) library
これまでのintel画像処理ライブラリーは使用不可になってた。少し残念。
2004-09-13[n年前へ]
■ 硝子(しょうこ)のストーリー
硝子(しょうこ)は友人の千香から、「硝子って透明って感じ。時々、いるかいないかわからなくなる」と言われる。心の中で、「私はちゃんといるよ」と呟く。/PRE 硝子(しょうこ)のストーリー.「あなたの知らない硝子がいます」
■The History of Programming Languages
Computer Languages Historyから、The History of Programming Languages. 文字がちっちゃいので直そうと思ったら、すでにアウトライン化されていた…。 via ぽいんつさんのブログ.

■「どの辺が未踏ですか?」に対する大人の対応
京都でIPA未踏ソフトウェアのキックオフミーティングがありました。 「それのどこが未踏なんですか?」という뿉떿쳤ꓤ죣좽꒬ꓞ꒹ꆣ 見てて痛々しい若者もいたりしたので、大人の対応を考えてみました。from textfile.org
(既存のモノは)恰好悪いので新しいモノを作ります、という論理 かなりの開き直り系ですが、ある意味、反論不能なので、かなり強力な戦略です。 …根っからの理系人間を自認する人には使えない技です。 定量的に評価不能じゃないですか、と突っ込まれて黙ってしまったら負けです。 評価不能と突っ込まれても、ぼくが恰好悪いと感じるだけで作る理由としては充分じゃないですか、と開き直ってください。
■科学系グッズいろいろ
これは実に素晴らしい、科学系グッズいろいろ.
2005-09-13[n年前へ]
■「オトナ」と「コドモ」の境界線
Tech総研ブログに「オトナ」と「コドモ」の境界線を書きました。世の中には、「男と女の境界線」をはじめとして、色んな境界線がありますが、そのひとつが大人と子供の境界線です。そんな境界線について書いてみました。
あなたが思う「境界線」はどんな風にひかれているのでしょうか?そして、あなたが思う「社会のオモテとウラ」にはどんなものがありますか?
■インライン・ホッケー動画
インライン・ホッケーの2005 NARCh Winternational Pro Division 決勝戦, 2004 NARCh Peewee 決勝戦, 子供たちがとても可愛いAtom platinum 決勝戦を眺めてみる。
2006-09-13[n年前へ]
■「お金をたくさん持っている人が幸せですか?」
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『行動経済学 経済は「感情」で動いている』の著者であり、行動経済学を研究されている明治大学情報コミュニケーション学部の友野典男教授にインタビューした記事が公開されました。題して、「お金をたくさん持っている人が幸せですか?」です。
「エンジニアの周りに女性が“少数”しかいない」ことを平林さんは懸念していますが、「少ない選択肢から自分で選ぶと満足感が高い」ことがわかったのでした。つまり、エンジニアは案外幸せをつかみやすいのかも。経済学って役に立ちますね!
2007-09-13[n年前へ]
■「理系」と「化けもの」
「それのどこが未踏なんですか?」という뿉떿쳤ꓤ죣좽꒬ꓞ꒹ꆣ人の記憶は、自分の都合の良いように変わる。
宇宙は永久に怪異に満ちている。しかも、私は記憶力が悪い。だから、次に書く言葉も多分間違っている。そして、自分の都合の良いように、きっと書き換わっている。だから、きっと間違っていることが、次に続く。
あらゆる科学の書物は百鬼夜行絵巻物である。寺田寅彦の葬式で、誰かが「君はとても孤独な人だった」というようなことを言った。
化け物の出入りする世界は科学の世界である。今では、寺田寅彦が書いた随筆をたくさん簡単に読むことができる。青空文庫でも、それ以外の場所でも、たくさん読むことができる。
化け物がないと思うのはかえってほんとうの迷信である。けれど、寺田寅彦を書いた随筆を辿ることは、この瞬間の青空文庫からは、まだできない。
それをひもといてその怪異に戦慄する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。そんな随筆を辿ると、寺田寅彦が書く科学の書物や芸術の書物の中に寺田寅彦が見ていた景色、人によってはそれを化け物と呼ぶだろう景色が浮かび上がってくる。そんなものを化け物と呼ぶ人もいるだろうし、人によってはそれを人生と呼ぶこともあるだろう。あるいは、人によっては、それが"世界"だと言うかもしれない。
あらゆる科学の書物は同時にまた芸術の世界でもある。「根っからの理系人間を自認する人には使えない言葉」でも「定量的に評価不能じゃないですか」と突っ込まれる表現でも、きっと社会や人生は根っからの理系世界でも定量的に評価可能な世界でもない世界にはそんな見方・現し方ことふさわしい。だから、
ぼくが恰好悪いと感じるだけで作る理由としては充分じゃないですか。だから、他の何の誰かの名前を借りた理由も頼るわけでなく「ぼくが恰好悪いと感じるだけで、作る理由としては充分じゃないですか」という言葉はシンプル、かつ、綺麗に響く。たぶん、これ以上綺麗なものはない。それを、他の何の誰かの名前を借りて表現しようとした途端、綺麗でなくなるように思う。
ぼくが恰好悪いと感じるだけで、作る理由としては充分じゃないですか。他の何の名前も借りず、他の何のルールも借りず、自分自身の言葉で書く「ぼくが恰好悪いと感じる」ということ、その正しさは、本当にシンプルで綺麗に響く。それを、社会が追いかけるかどうかは別にしても、その言葉は、本当にシンプルに綺麗に響く。
人の記憶は、自分の都合の良いように変わる。そして、その人の中の真実でしかない「人の記憶・人の過去や経験」は自分の都合の良いように変わり、そして新たな未来が形作られて行く。
人の記憶は、自分の都合の良いように変わる。人の未来は、人が作る。














