hirax.net::inside out::12月28日

2000-12-28[n年前へ]

GeoWhois

 知らなかったけど面白いアイデアだ。ここ自体は「Host name to Latitude/Longitude」と「Xerox PARC's Map Viewer」を組み合わせて、Delphi用のコンポーネントを作った人のサイトだけど。というわけで、自分用のメモ。(リンク

2001-12-28[n年前へ]

夜空ノムコウ

 ちょっと、楽器を触りたくなったりして。(リンク

メル友診断

 面白い。試しに、自分の文

 hirax.netに「初めて来た方へ」というページを書き加えようと、たまに
思ったりします。何しろ、トップページの項目数がこれだけ多くなってしまうと、
初めて来た人はなかなかその人好みの話に辿り着かないだろうな、
と思うからです。

 だけど、たいてい書こうかなと思って、書き始めるとすぐに、
びっくりするほどその気が失せてしまいます。

 ジャンル分けしたりするのもどうなのかな、それは読んだ人が
勝手に判断すればいいかな、と思ったりするわけで…。それに
「いろんなものがただただいっぱいあって、それらが繋がっているようで
離れているようで、だけどやっぱりどれも同じようで、だけど…(以下繰り返し)」
というのが本当のところ一番良い、とも思っているのです。

 さてさて、どうしたものでしょね?

でやってみた。文章年齢 21歳、「ややヒネクレ気味な印象を受けますが、…」とのこと。とりあえず、顔は似てない。(リンク

夜空ノムコウ

 ちょっと、楽器を触りたくなったりして。(リンク

2003-12-28[n年前へ]

LEGOで作ったハープシコード

 何と、LEGOで作り上げたハープシコード。そのハープシコードで奏でた音楽も聴くことができるし、演奏の様子も見ることができる。冬の荒涼とした景色には、バロックなハープシコードの響きがとても似合うような気も。 from 日日ノ日キ

Digital Information Graphics

Digital Information Graphics 「Digital Information Graphics」という本を買う。色々な情報の表示例がカラフルに示されていて、まるで美術書のように眺めていて楽しくなる本。

2004-12-28[n年前へ]

PCダウン中

 作業PCダウン・復旧作業…中。

2005-12-28[n年前へ]

裾野

 裾野で。

裾野裾野裾野裾野裾野裾野裾野裾野






「自分の居場所とは、どこなのか」

 電車に乗る前にはいつも本を買う。電車の中で景色を眺めつつ本を読んで、気に入った一節があればそのページを破りとってポケットに入れて、電車から降りると同時にその本をゴミ箱に捨てる。そして、ポケットに入れたページは後で何度も読み直す。
 目が回るほど、けれど首は全然回らないくらいに忙しかったここ数週間の間に、破りとったページが何枚も溜まっていた。その何枚かのページを少し書き写してみることにしよう。まずは、「インターネットではリンクされない方が悲しい、と書くような人たち」をふと思い浮かべた中村うさぎの「オヤジどもよ!」から。

隣にオヤジの二人連れが座り、片方のオヤジがもう一方に説教こいてるのが聞こえてきた。「これからの時代はさー、英語とコンピュータだよ。…できないと、置いてかれちゃうよ〜」
「置いてかれる?誰に?そして、どこに?」とこのオヤジたちにツッコミを入れる中村うさぎはさらに書く。
人々は「嫌われる」コトよりも「無視される」コトのほうを恐れるようになった。…(ネガティブな形で存在を認められる「嫌われること」よりも)恐ろしいのは、他人から「そこにいない者」として扱われるコト。時代に取り残され、人々に取り残され、どこにも居場所がなく、誰の目にも映らない。それこそが現代人のもっとも恐れる「自分像」なのである。
こういう人たちはきっと「金持ち父さん貧乏父さん」を読んだりするのだろう、と笑いながら「アホや。アホやがな。時代や社会に取り残されたからって、それが何やねん」と中村うさぎはさらにツッコミを入れる。そして、こう書く。
人を支えるのは、人間関係だ。人間関係の不得手な者は、たとえ英語ができてもコンピュータができても、自分の居場所のない殺伐とした人生を送るハメになる。ところが、我々は「時代や社会におけるポジション」を「自分の居場所」と勘違いして、技能や知識や情報ばかりを追い求めて奔走し……そろそろ、「社会でのポジション」と「自分の居場所」は違うのだ、というコトを、きちんと子どもたちに教えられる大人が現れてもいいはずだ。

2007-12-28[n年前へ]

和尚さんとWEBショップ

 スラッシュドットの「後継難に悩む寺を救う? 全自動鐘つき機が普及中」 という記事中で紹介されていた寺院商品専門WEBショップの広告が面白い。特に、趣味・便利用品が素晴らしい。アルコール検知器ソシアック・賽銭用警報機・頭のアブラを取れる大判あぶらとり紙…、世相を反映した商品の数々が並んでいるのを見ると、袈裟を着る和尚さんたちを身近に感じてしまう。和尚さんたちが、こんなWEBショップのボタンを押し、カートに商品を追加したりしていると思うと、それだけで何だかとても楽しくなる。

「何か」を作り上げた人はエラい

 ある程度の大きさの「何か」を作り上げた人は、掛け値無しにエラいと思う。心の底からそう思う。小さいけれど完成した一つプログラムを作り上げる人、拙いけれど一つの絵を描き上げる人、一つの製品を作り上げた人、あるいは、一つの小説を書き上げた人、私はそんな人たちを本当にエラいと思っている。 プログラムを使うとき、絵を眺めるとき、何かの製品を使うとき、そして物語を読むとき、どんなものであっても、そんな思いを直接言う機会はないけれど、いつもそう思っている。

 関西で暮らした学生時代に、一番好きになった言葉・音は「エラい」というコトバだった。「エラい」と発音された音は、状況次第でたくさんの意味になる。たとえば、「えらい早いやんけ」というような用例のように、この音は時に「とても=Very」という意味になる。また、その「エラい」というコトバは時には「疲れる・しんどい」という意味に響くこともある。例を挙げれば、「えらいめにあったわ!」とか「あの単位取るのえろーえらいんやて」という具合だ。もちろん、そのエラいという音が「偉い」という意味に聞こえることもある。同じ発音の「エラい」というコトバが、こんな多くの意味を持つ。

 ある程度の大きさの「何か」を作り上げた人、あるいは、そこに伴う作業を私は「エラい」という音が持つあらゆる全ての意味において「エラい」と心から信じる。「エラいエラい作業をエラいこと続け、ちゃんと形にするなんてエラいエラいなぁ」と思う。関西弁って面白い。