hirax.net::inside out::2005年04月01日

最新記事(inside out)へ  |   年と月を指定して記事を読む(クリック!)

2005年3月 を読む << 2005年4月 を読む >> 2005年5月 を読む

2005-04-01[n年前へ]

「科学のブラ」が株式会社トリソプから新発売 

「科学のブラ」 株式会社トリソプが認知心理学を応用した「科学のブラ」を今日発売。キツく寄せて上げる必要もない「女性に優しい」ブラジャーの誕生です。「科学は人(女性)を助けるために生まれ来た」わけですから、こんなブラジャーだって生まれて当然なのかもしれません。
 なにはともあれ、地道に続けられてきた人間工学の研究成果がようやく製品になったようでなによりです。肩がこりがちなあなた、「科学の力」があなたの体を楽にします。試しに、おひとついかがでしょうか?

レゴや銅像やオッパイの4つのニュース 

リクナビNEXT/リクルートの転職サイト 技術者向けの「リクナビNEXT / リクルートの転職サイト Tech総研」で、先週書いた「レゴや銅像やオッパイの4つのニュース」が公開されています。レゴの世界も、折田先生像(ちなみに、仮装を最初にさせたのはこの方ですね)も、凶器のオッパイも…、どれも「科学と技術と男と女」ではないかも…。うぅ。

夜の三島 

夜の三島夜の三島夜の三島






続「変わらないということは、変わるということ」 

 「ピーターの法則」に対し

一つ抜けているファクターがありますよ『人は変われる』ってことを違う世界にいくと、今まで見えなかったものが見えてくるものです。考え方が変わって成長できるんですよもちろん、人との出会いによっても成長できるんですよ…なので、法則どおりには『無能』にはなりません。向上心がある限り…
 と、「有能」で「変わることができる人」(ちなみに、私は大切にしている「三つの座右の銘」のうちの一つはこの方の言葉だ)からツッコミを受けた。

Mayunezu Space Ver.6:変わらないことは、変わるということ。 この言葉を聞いて思い出したのが、「変わらないということは、変わるということ」 『ずっと「変わらない評価」を受け続けるためには、「変わらない努力」が必要だ。「変わらない努力」というのは、結局のところ「変わる努力」だ。人(状況)が変化している限り、自分も変化していかないと、取り残されてしまう』という言葉だ。

 …もちろん、「それでも人には(それ以上変わることができなくなる)限界がある」とも私は思うが(「人の能力・可能性」は無限大だが、(その可能性を具現化するために必要とされる)「人の時間」は有限であるのだから)、それでも「向上心がある限り、変わり続けることができる(その結果として、ずっと「変わらない」でいられる)」と信じたいところだ(とはいえ、それは人には老化も寿命もないと考えるような話だが…)。

 そういえば、「三つの座右の銘」の内のもう一つは
三十代前半は気をつけないといけない年齢だから
という女性ライターの方(ちなみに、「シタッパーズ」という言葉を教えてくれたのはこの方で、さらにこの本の出版もこの方に因る)の言葉だった。その年頃の人って、自分の力を過信するから、会社とか他の何かの力を自分の力と勘違いするとか、(そのせいか)何かガマンができなくなったりしやすい…とか、そんなような意味の言葉だ。ちょうど、その年頃だった私は、この言葉を彫刻刀で消しゴムに刻み、私の座右の銘の一つにした。そして、それから何年か経った。

 …ん?そう、気づいたらもう三十代前半でなくなっていた…。大切な「座右の銘」なのに、大切な言葉の使い道がない年齢になっていた…。まさか「座右の銘」が「生もの」の「期間限定」だったとは考えもしなかった…。うぅ。

 いっそのこと、「永遠の三十代前半」って名乗ろうか。だけど、「永遠の三十代前半」って何だかとてもヤな感じだなぁ…。「永遠の十代」ならともかく…。

「自分でない誰か」という言説 

 「リスナーへの愛が全く感じられません」という「リスナー」を引き合いに出すような言説、あるいは「みんなが困る」という言説、つまりは、自分でないだれかよその人を引き合いに出す言説を見聞きするたびに思い出すのは、この

ポルノ規制を求める人は、だれかよその人がポルノを見ると悪影響を受けると主張する。「俺がポルノを見たら、何をしでかすかわからないぞ」という人はいない。その方が、よほど説得力があるにも関わらず。 正義だの道徳だの倫理だのをめぐる言説は、そうして、つねに「だれかよその人」の問題であり続け(後略)
や、この
1人称で語れ、語れなかったことを他人のせいにするな。自分への怒りと憎しみを他人への憎悪と不信にすりかえるな。それさえしなければ、世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい。 かつてすりかえた経験のある1人として、私も同じことを言いたい。
という言葉だ。