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2010-09-01[n年前へ]

未来的な「オービットウィール(Orbitwheel)」 

 ウィール(車輪)の中に足を差し入れ道を走る「オービットウィール(Orbitwheel)」に挑戦してみたい。もちろん、ヘルメットやプロテクターを付けた上で、一回遊んでみたいと思う。まるでセグウェイか何かを連想させるような、未来的なデザインがとても魅力的だ。

 こういうグッズは、「定番商品」にはならないけれど、もしも街中の景色を忠実に写す「生活ミュージアム」があるのなら、こういうグッズこそ展示して欲しい。そして、単なる展示ではなくて、実際にそのグッズで遊ぶことができるようなミュージアムが欲しい、と思う。

2010-09-02[n年前へ]

「鰻(うなぎ)のタレ」の錯覚 

 「江戸から続く老舗の鰻(うなぎ)屋で、毎日使った分だけを継ぎ足して使い続ける”鰻のタレが詰まった壷”」の中に、どれだけの創業当時のタレが残っているかという話をしている時に、ある共通の「錯覚」「勘違い」を持つ人が多いということに気が付きました。

 それは、壺の中にあるタレが一体どのような「古さ年数」であるかを頭の中に浮かべてみると、つまり「古さ年数 v.s. タレの量」というグラフを頭の中に作ってみたときに、頭の中では、「昔のタレは古さ年数が(感覚的には)広がってしまう」という「錯覚」「間違い」です。たとえば、全然客の入らない店があったとしたら、その店の壺の中のタレはすべて創業当時のタレである。と、ここまでは誰もがうなづくのですが、それが少しでも客が入る店のことを考えてみると、実際の「古さ年数 v.s. タレの量」分布と、頭の中のそれと食い違いが生じてしまう人が多いようなのです。

 そこで、ためしに、下に一日100人の客が来るお店の場合と、一日に1000人が来店する超弩級の人気店の場合の、「古さ年数 v.s. タレの量」分布の時系列的な変化を動画として張り付けてみました。横軸が、「古さ年数」で、縦軸がその古さ年数の「タレの量」です。原点が、その日継ぎ足したばかりのタレの量を示していて、右端が「創業時のタレ」の量を示している、という具合です。客数次第で、「新しいタレばかり」か「古いタレばかり」かの違いがわかります。

 さて、あなたは、この動画グラフを眺めてどう思われるでしょうか?もしかしたら、右端にピンと鋭く立っている「創業時のタレ」の量を見て、アレッと違和感を持ったりはしないでしょうか?たとえば、ピンと鋭く立っている「創業時のタレ」の量が次第に横に広がっていくハズじゃないか・・・とか、そんな風に感じたりはしないでしょうか?

 もしも、そういう感覚を持つとしたら、そういう人は実際多いのですが、その感覚の原因や効果を追いかけてみると、何だか少し面白いような気もします。

 もう初秋になったというのに、厳しい残暑が続いています。夏バテ防止に、ウナギのかば焼きを食べるのも、良いかもしれません。

2010-09-03[n年前へ]

サヨナラ、ジャンク・ショップ 

 先日、消費税込105円ナリで買った"UV400カットのスポーツ・サングラス"の使い心地がとても良かったので、(数年分くらいの)予備を買っておきたくて、100円ショップのダイソーに行きました。

 たぶん、もう棚には残ってないだろうと思っていたのですが、…やはり、まだ4・5個あったはずのネジが取れてる"スポーツ・サングラス"は見当たりませんでした。壊れていることを承知で買った人がいるのか、それとも、壊れた品物は棚から片づけられてしまったのか…、どちらだろうかと考えつつ、売り場を後にしました。

 トクするか損するか、当たるも八卦外すも八卦のジャンク品を買うのが好きです。思い出せば、初めてのウォークマンもどきを買ったのも、秋葉原の駅近くにあるショップのジャンク品コーナーでした。定価の20分の1ほどの値段を出して壊れたウォークマンもどきを買い、中のベルト外れを直し・ラジオやレコードから録音した音楽を聴いていたような気がします。

 いわゆる不良品は、少なくとも手に取ることができるようなものであれば、必ず生まれるものだろうと思います。そんなものの発生率を下げて、そんなものがあれば取り除き、商品棚に置かれないようにし続けることで、信頼や安心感が生まれます。しかし、その一方で、そんな品を好んで手に取るリスク・テイカーも生息し続けているのではないかと私は勝手に想像します。

 人それぞれ、どんなリスクを好み・どんなリスクに近寄らないかは違うことでしょう。あなたの嫌いなリスクはどんなもので、あなたが好むリスクは一体どんなことでしょうか?

2010-09-04[n年前へ]

「論理的にプレゼンする技術」第4刷届けます 

 「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書) 」の第4刷が届きました。初版第4刷となっていますが、第2刷以降、図版の更新なども行っているので、「初」という名前ではありますが、一歩づつ良い「版」に近づいていることを願っています。

 この本には、「基本」だけを詰め込んだつもりです。それは、基本を完全にこなすことができる人なんていない、あるいは、「基本をこなすことができる(ようにはたからは見える)人たちが”みんな”基本に立ち返ることをいつもし続けているさま」を見てきたような気がしていたからです。だから、…と書いても全然「論理的」な繋がりではありませんが、ほとんどの人に(少しは)役に立つのではないか、役に立てたら良いなと考えながら、ラクガキと清書をし続けたものです。

 さて、最後に、何度も書いている、こんな「あとがき」を、またさらい直しておこうかと思います。

 ですから、あなたが誰かの目の前でなにかを見せ(プレゼントして)、その存在を相手に心から実感してもらうこと、それが「プレゼン」なのです。(中略)本書があなたのプレゼン、あなたの"present"をより確かにする手助けができたなら、心よりうれしく思います。
 "The most precious gift we can offer other is our presence."

Thich Nhat Hanh

「論理的にプレゼンする技術」第4刷届けます






2010-09-05[n年前へ]

走れ、「大人になり損ねた少年」たち 

 「24時間、自分の足で走り続けたら、どこまで行くことができるだろう?」なんてことを考えていたところ、こんなことを教えて頂きました。

 雑誌ラピタの1996年2月号にこんな記事が載っていました。
  • 東京~下関 1062km、50時間36分 (平均速度約21km/h)
  • 下関~青森 1623km、95時間15分 (平均速度約17km/h)
距離が長くなると平均速度が下がるので24時間なら25km/hぐらいでしょうか。
 とすると、24時間×25km/時間=600km、つまり、東京から大阪を過ぎるくらいの距離を、24時間で走り抜けることができる、ということでしょうか。

 その記事には、さらにこんな数字が続きます。「鹿児島県佐多岬~北海道宗谷岬 2664km、176時間33分」「東京~ソウル(関釜フェリー区間を除く) 1609km、92時間5分」・・・これは、戸田真人さんという方の、「信号待ち、休憩、仮眠、フェリーでの移動時間などをすべて含んだ目的地までの総所要時間の記録」です。まるで日本の端から端まで自転車で、ほとんど不眠不休で走り抜き続けている人の記録です。

 この記事、文章を追えば信じられないほど壮絶に見えることを自分の満足のためにただ淡々とこなしている人にインタビューした記事には、「炎のランナー」という力強いフレーズとともに、「大人になり損ねた少年」という言葉も添えられています。

 「もしかしたら、自分も大人になり損ねた少年なのかもしれない」と思う人がいたら、そしてこの記事を読んだことがなかったとしたら、この「ラピタ 1996年2月号」を探して読んでみるとよいかもしれません。

大人になり損ねた少年






2010-09-06[n年前へ]

身の回りにある意外な「日本工業規格」と「野球場の照明禁止の幾何学」と 

 日本工業規格という言葉に聞き覚えのない人でも、JIS(Japanese Industrial Standards)という響きには聞き覚えがある人が多いのではないしょうか。身の回りにある品物に、そんな文字が刻まれているのを見かけることも多いと思います。

 手に取ることができないくらい大きなものにも、日本工業規格=JISとして定められているものがたくさんあります。たとえば、そんな例に野球場やテニスコートといったスポーツ競技場の「照明設計」があります(JIS Z 9120)。競技場の明るさや、照明器具が設置されてはいけない場所、といったことが細かく決められているのです。それは、もちろん、競技を行うために必要な明るさや、そこに競技の遂行を邪魔しないための照明配置から定められているのです。

 たとえば、右の画像は野球(ソフトボール)場照明において、照明器具の設置が禁止されている区域です。ピッチャーが投げたボールをバッターが見るために、バッターが打った白球の行方を野手が見失わないように、そんな理由で決められている照明器具配置のルールです。理由を知ってから眺めてみれば、その「野球場の照明禁止の幾何学」をごく自然に納得できるだろう、と思います(ファールぎりぎりのボールには照明が重なり見にくそうですが)。

 「こんなものにも”標準規が決められているんだ」と驚くに違いない、たくさんの面白い規格や決まりといったものたちが私たちの身の回りには溢れています。そんなものを、そんなものの理由などを、これからたくさん紹介していきたいと思います。

身の回りにある意外な「日本工業規格」






2010-09-07[n年前へ]

プロキシ認証ダイアログの謎 

 以前から悩んでいる謎があります。それは、httpプロキシの認証動作です。ある頃から、いくつかの環境、いくつかのユーザが外部ネットワークへのProxyを介した接続ができなくなっていることに気が付きました。いくつかの環境下、たとえば、いくつかのバージョンのIEを使っている場合や、PC自身が持つNATを介してProxyサーバに接続する設定のPCの(w3mを除く)WEBブラウザを使用している場合、ユーザ名やパスワードに/や@や&や…といった、unsafeな文字が使われている場合にProxy認証が通らないことがある、と気付いたのです。Proxy認証のためのダイアログは出るのですが、認証エラーが発生してしまうのです。

 面白いことに、設定ファイル中にProxy認証を、たとえばhttp://ユーザ名:パスワード@proxy.hoge.org:8080といった形で書いてやると、(コマンドライン上のWEBブラウザーである)W3Mやapt-getやgemといったものは、すべて問題なくProxy認証をパスし、接続することができます。しかし、WEBブラウザのダイアログを介してユーザ名やパスワードを入力すると、どうしてもProxy認証でエラーが出てしまうのです。

 そこで、とりあえずRubyで(下のような)Proxyサーバを書き、Firefox<->RubyProxy<->Proxy Server<->Internetという具合で接続をさせることにしました。

require 'webrick'
require 'webrick/httpproxy'
require 'uri'
user=URI.encode 'usre'
passwd=URI.encode 'passwd'
s = WEBrick::HTTPProxyServer.new(
   :BindAddress => '127.0.0.1',
   :Port => 3000,
   :ProxyVia => false,
   :ProxyURI => URI.parse(
     'http://'+user+':'+passwd'+
     '@proxy.hoge:8080/'
   ))
Signal.trap('INT') { s.shutdown }
s.start

 と、ここまで書いて気づきましたが、WEBブラウザの接続設定に、最初から URI.encode( 'http://user:hoge@proxy.hoge:8080/' )の結果を入力してやれば、こんな多段Proxyにしなくても良いような気がしてきました。

 ProxyのBASIC認証ダイアログに入れた文字は、どのように(どのソフトウェアにより)処理されていくのでしょうか?

2010-09-09[n年前へ]

簡単に確かめるlことができる「ブラジル・ナッツ効果」と「シミュレーションによる発生過程」 

 ガラスのビー玉を透明なプラスチック・カップの底に入れ、その上にプラスチックでできたBB弾をザーッと思い切り注ぎいれます(右の写真)。そして、おもむろに、そのプラスチック・カップ上面を掌で封をして、上下にシャカシャカ振動させてみます。…そんな風にカップを揺らした後、おもむろに、上面の掌を離すと何が起こっているでしょうか?

 そこには、カップの中に詰まっているプラスチック製BB弾の上に、ビー玉が鎮座しているはずです(右の写真)。最初は下に沈んでいたはずの重いガラス製のビー玉が、軽いBB弾群の上に浮かんでいるさまを見ると、少し不思議に思えるかもしれません。けれど、これは身の回りの色々な「粒」を使って、簡単に確かめることができる現象です。
 大きな粒子と小さな粒子を混ぜ、さらに振動を与えてやると、大きな粒子は上に浮かび・小さな粒子は下に沈んでいくのです。大きな粒子の方が小さな粒子より重かったとしても、(結構広い範囲で)そんな現象が生じるのです。

 この現象は、"Brazil-nut Effect"(ブラジル・ナッツ効果)と呼ばれます。さまざまなナッツが詰まった容器を開けると、ミックスナッツ容器に詰まったナッツ上部には大きなナッツ(ブラジルナッツ)ばかりが集まっている、というのがその由来です。ナッツ容器が運搬中に揺られたりして、いつの間にか上部に大きな粒が浮かび上がってしまう、というわけです。

 下に「ブラジル・ナッツ効果」の「シミュレーションによる発生過程」を貼り付けてみました。「○×だから、こういう現象が起きる」と単純なわかりやすい「ひとこと」では説明しづらい現象ですが、こんなシミュレーション動画を眺めてみれば、こういった現象が起きることも当たり前に思えるかもしれません

簡単に確かめるlことができる「ブラジル・ナッツ効果」と「シミュレーションによる発生過程」簡単に確かめるlことができる「ブラジル・ナッツ効果」と「シミュレーションによる発生過程」簡単に確かめるlことができる「ブラジル・ナッツ効果」と「シミュレーションによる発生過程」






2010-09-10[n年前へ]

「無限」に足しあわされた「有限の世界」 

 「無限個の数字を足し合わせていった結果(和)が、意外なほどに小さな有限の数になる」ことを不思議だと感じない人は多いと思います。たとえば、A4サイズの紙を半分に折って、その半分をさらに折って、その半分をさらに折って・・・と、無限に折り続けても、その紙片の総和はたかだかA4サイズに過ぎません。「無限の個数を足し合わせても有限の大きさにしかならないこと」も別に不思議ではないし、「有限の大きさのものを切り分けて、無限の個数のものをつくることができる」のも、当たり前田のクラッカーだ、という感じ方です。

 そういう人であっても、その「内容」次第で、第一印象でその内容を「自然」と感じるか「不思議」と感じるかは違うのではないでしょうか。たとえば、「アキレスと亀」のパラドクスを不思議だと感じる人もいます。その一方で、「無限個の時間を足し合わせた結果は、無限になることもあれば、有限になることもある。そして、この例の場合には和は有限になる」と自然に思う人であれば、この「アキレスと亀」の話には、特に興味を持たずに終わるかもしれません。

 あるいは、「地点Aから地点Bへ移動するためには、まず地点Aと地点Bの中間地点Cに到達しなければならない。さらにCからBへ移動するためには、その中間地点を経なければならない。・・・ということを延々考えてみるならば、地点Aから地点Bまで移動するには無限の点を通過しなければならず、有限の時間で移動することは不可能である」という「内容」を、自然に納得し・あたまをひねってしまう人もいるでしょうし、その一方で、そのロジックを聞いて頭を左右に振る人も多そうです。

 もしかしたら、初項a0,公比rの無限等比級数(等比数列の和)は「初項/(1-公比)」なのだから…と、いつでも、どんな問題に対しても常に同じような感覚を持つ人もいるかもしれません。

 ところで、こんな問題ならどうでしょう。「手元にボールがあり、このボールは、衝突のたびに運動エネルギーの半分を失います。ためしに、手の高さ、1mの高さから、そのボールを落としてみることにします。すると、そのボールは地面に衝突し、運動エネルギーの半分を失い、50cmの高さまで到達したのちに、また地面にぶつかり(さらに運動エネルギーの半分を失い)・・・ということを考えるとき、そのボールは無限時間運動を続けるか、それとも、有限時間内に停止するか?」という問題です。

 先ほどの式で示される有限時間でボールの運動エネルギーは消えてなくなると即答する人もいそうですし、もしかしたら、ボールの運動エネルギーは無限時間後までゼロになるわけがない、だからいつまでもボールは動き続けるに決まっていると断言する人もいそうです。

 「無限」「有限」というものほど、感覚を裏切るものはないのかもしれません。私たちの世界はまさに「無限」だとも言えるかもしれませんし、それこそ「有限」だと感じることも多いかもしれません。無限の可能性もあることも真実ですし、それと同時に、その世界には有限の時間しかないことも、これまた事実です。

 「無限」のはずの「有限の世界」を目の前にして、あなたはどんなことを考えるでしょうか?「無限」と「有限」とパラドクスを読んで、あなたの連想することは一体どんなことでしょうか。

2010-09-11[n年前へ]

「科学的に物を見る目」と「広い視野」 

 講談社文庫を読むときは、いつも、巻末にある野間省一による「刊行の辞」を読み返します。なぜかと言えば、そのアジテーションにひどく心を揺り動かされるからです。

 講談社と言えばブルーバックスという理科趣味人も多いかもしれません。ブルーバックスと言えば、「サイエンス風味(っぽさ)がトッピングされた娯楽(エンターテイメント)本」です。いわば、今の科学新書ブームのさきがけです。そのブルーバックスの巻末、「発刊のことば」には「科学をあなたのポケットに」と題して、こんなやはり野間省一による言葉が掲げられています。

 二十世紀最大の特色は、それが科学時代であるということです。科学は日に日に進歩を続け、止まるところを知りません。一昔前の夢物語もどんどん現実化しており、今やわれわれの生活すべてが、科学によってゆり動かされているといっても過言ではないでしょう。
 そのような背景を考えれば、学者や学生はもちろん、産業人も、セールスマンも、ジャーナリストも、家庭の主婦も、みんなが科学を知らなれば、時代の流れに逆らうことになるでしょう。
 ブルーバックス発刊の意義と必然性はそこにあります。このシリーズは、読む人に科学的にものを考える習慣と、科学的に物を見る目を養っていただくことを最大の目標にしています。そのためには、単に原理や法則の解説に終始するのではなくて、政治や経済など、社会科学や人文科学などにも関連させて、広い視野から問題を追及していきます。

 この1963年9月に書かれた文字、50年近く前に書かれた宣言を読む時、学者や学生はもちろん、産業人も、セールスマンも、ジャーナリストも、家庭の主婦も…、心の琴線に何かが触れるように感じる人も多いのではないでしょうか。

2010-09-12[n年前へ]

WindowsのコマンドプロンプトのCOPYコマンドの結合順序の謎 

 以前から、時折思い返す疑問が「Windowsのコマンドプロンプトから動かすCOPY copy a.txt+b.txt c.txt と入力すると、a.txtの後ろにb.txtを結合した結果をc.txtとして作成する、…はずだと思っています。バイナリファイルのオプション/Bを付けなければ、ファイル途中のEOFは削除され・末尾にEOFが一個付くように処理され、/Bを付けると、

copy /b a.txt+b.txt c.txt
EOFの除去・付加処理がなされない、という具合に動くのだと、最初は思っていました。

 しかし、COPYコマンドを使っていると、ファイルの結合順序が、指定した順番になっていないことも多いことに気が付きました。結合されたファイルは、何だか妙な具合にシャッフルされていることがあるのです。

 最初は、何かの不具合で(テキスト)ファイルの途中にEOFが入り込んでいるせいかと考えました。そこで、/Bオプションを付けてみましたが、それでも、指定したはずの順番でファイルの内容が並んではくれないのです。

 思うように動いてくれたとしたら、COPYコマンドはとても便利だと思うのですが、思うように動いてくれないとただの使えないコマンドになってしまいます。WindowsのコマンドプロンプトのCOPYコマンドの結合順序はどのように決まっているのでしょうか?思いのままに動かそうとしたならば、どのように使えば良いのでしょうか? その答えをご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて頂ければ幸いです。

2010-09-13[n年前へ]

シリアルポートからエクセルにデータを張り付けるソフトウェア 

 十年以上前に作ったソフト、計測器から(かつてRS-232Cと呼ばれていた)シリアルポート経由でデータを受け取りMicrosoft Excelに貼り付けて行くソフトをアップデートしてみました。ずっと昔に作ったソフトウェアですが、もしかしたら、今でも使っていたりする人もいるかもしれませんので、ファイルをここに置いておきます。名前の日付が一番新しいものが最新のファイルになります。

 書き直したのは、カーソル移動のためのキー送出部分です。Excel内のVBAを用いていた箇所を、VBAのSendKeysのバグ回避を目的としてAPI使用に書き換えました。

2010-09-17[n年前へ]

坂を登る?ビー玉のナゾ!? 

 一瞬不思議に思えるけれど、よくよく考えてみれば当たり前なのか・・・と納得すると同時に新鮮に感じるこということが日常には溢(あふ)れています。そんな体験を、たとえば、「ビー玉」と「箸」で体験することができます。

 2本の箸先をくっつけて「ハの字」状に置きます。日本の箸は先が細くなっていますから、真横から見ると、ちょうど箸が斜面を作っているような具合に見えます。この箸先部分でビー玉を挟むようにビー玉を置くと、ビー玉は一体どうなるでしょうか?

 答えは下の動画のように、ビー玉は(箸の手元側に)転がっていきます。まるでビー玉が坂を登っていくかのように見え、ビックリするかもしれませんが本当です。手元に似たような材料がある方なら、同じような実験をしてみると面白いと思います。



 しかし、よくよく眺めてみると、坂道を登っているように見えるビー玉ですが、ビー玉自体の高さは下がっていることがわかります。一見坂道の「上側」には見えますが、箸の手元側に転がった方が、実はビー玉は「下」に移動していることになるのです。それは、その方向に移動しすると、箸がビー玉の横の高い部分で接し・支えられるようになるために、ビー玉の位置は低くなるのです。そのため、ビー玉は(箸の手元側に)転がっていきます。

 身の回りにあるものを、色々組み合わせて見れば、「身の回りの科学」「日常のマジック」をたくさん楽しむことができるだろうと思います。

坂を登る?ビー玉のナゾ坂を登る?ビー玉のナゾ坂を登る?ビー玉のナゾ






2010-09-18[n年前へ]

巫女さんは「茶髪禁止」 

 お正月に向けて「巫女さん」を募集する立て看板を見かけました。眺めてみると、そこには「高校生不可・茶髪不可」と書いてあります。そうか、この神社にいる巫女さんたちは「茶髪禁止」だったのか、そう言われてみれば、ここにいる巫女さんたちはみんな黒髪だったような気がする、と考えたのでした。

 誰もいない神社の杜の中で、木に囲まれた空を見上げると、周りの時間から遊離したような不思議な心地になります。京都I.C.にあるラブホテルでバイトしながら、駐車場の入口にあるビニールの暖簾の向こうからやってくるカップルwを待ちながら、昼の2時・3時に駐車場から空を見上げ、暖簾の向こうやコンクリートの塀の向こうにある周りの時間とは別の世界にいるように感じたことを思い出します。

年末から正月の神社で、「茶髪禁止」の(おそらく黒髪限定の)巫女さんたちは忙しく人を迎えるのでしょう。ビニールの暖簾ならぬ、神社の入口の鳥居をくぐり訪れる参拝客を迎える、巫女さんたちには、空を仰ぎ見る時間はないのでしょうか。

巫女さんは「茶髪禁止」






2010-09-19[n年前へ]

長時間の「砂時計」は「砂だから」できる 

 理科実験用具店に1分間の時を刻む砂時計から、2分、3分、30分、60分・・・とさまざまな時を刻む砂時計が飾ってありました。60分砂時計といっても、特に巨大ということもなく、3分砂時計と比較すると体積にして20倍、それはつまり長さにすると5倍弱程度の大きさです。見た印象からは、それは「少し大きな砂時計」という程度です。

 このように、ほぼ体積に比例した「時計」になる、というのは「砂」時計だから、です。もしも、砂時計の中に水を入れるのであれば、こんな風にはいきません。なぜかと言えば、「時計のくびれ部分」での圧力は、砂のような粒子は入っている粒子の量によらず、「時計のくびれ部分」を単位時間に通過する粒子の数も入っている粒子の数にほとんど依存しないのに対して、水のような液体では、「時計のくびれ部分」での圧力は液体が入っている量(高さ)に比例し、その圧力に応じて「時計のくびれ部分」を通過する液体の量が決まるからです。

つまり、液体をたくさん入てみても、(最初に)ドバーッとたくさん液体が落ちてしまうので、なかなか長い時間を刻む時計にはならない、というわけです。長時間砂時計を作るのは比較的簡単なのに対して、長時間「液体」時計を作るのは、難しいのです。

 ところで・・・、このショーウィンドウには一体どのくらい昔からこの砂時計が飾ってあるのでしょうか?二十数年前にも変わらずあったショーウィンドウを眺めつつ、この砂時計はいつから時を刻んでいるのだろうか?と考えたのです。

長時間の「砂時計」は「砂だから」できる






2010-09-20[n年前へ]

目に優しい「ウィンドウ・システム配色」のマイ・コンピュータ 

 少し前、といってももう三十年くらい前、コンピュータ画面の標準のひとつが「黒背景に緑文字という配色」だったように思います。文字の部分だけが光る(光らせる)ので、その画面を見る人の目にも優しく、その画面を表示するCRT(カソード・レイ・チューブ=ブラウン管)にも優しい(=焼き付きが少ない)「ウィンドウ・システム配色」だというわけです。

 そんな中、WYSIWYG(ウィジウィグ)という言葉とともに訪れた、初代のMacintoshの白背景のウィンドウ・システムは新鮮でした。白背景だからCRTの寿命が短くなってしまうのではないかという懸念もされましたが、今では、そんな配色でないものを探す方が難しいくらいです。

 そう、今は、白背景でないシステムを探す方が難しいのです。けれど、白背景に黒文字を眺めていると目が疲れるし、それよりは、黒背景に緑文字という配色の方が目に優しいような気がします。白背景の画面を長時間眺めていると、目の疲れを激しく感じます。

 そういうわけで、たとえばOSXでターミナルを使う時には、黒背景に緑文字の"HOME BREW"スタイルを使いますし、(OSXの開発環境の)XCODEを使うなら(やはり似た配色の)”ダスク”に設定しています。Firefoxも、スタイルシートを無視して、黒背景・緑色文字で表示させるようにしています。…しかし、個別のアプリケーションの設定をすべてかえるのは面倒ですし、そもそも配色を設定することができないソフトウェアも数多くあります。

 一括配色設定できるようなウィンドウ・システムがあれば良いな、と時折思います。ウィンドウ枠やボタンといった部分のは移植だけでなく、アプリケーションが個別描画する部分も含めて「ある基準」のもとに、すべて統一的に色を変えることができたら、「自分の目に優しい・見やすく感じる」マイ・コンピュータを作ることができるのではないか、と想像したりします。

 今ではもう使われない言葉ですが、そんな「マイ・コンピュータ」があったら良いな、と思います。

目に優しい「ウィンドウ・システム配色」のマイ・コンピュータ






2010-09-21[n年前へ]

「鴨川カップル」とエネルギー最小化原理 

 四条河原町に行く途中、久しぶりに鴨川の川辺に佇(たたず)む人たちに向けてシャッターを切りました。修学旅行生らしきグループ連れや家族連れも多いですが、もちろん”昼間は等間隔に座り、夜は隣のカップルとの間隔が照度に比例するように座る”「鴨川カップル」も水際にちらほら座っています。鴨川カップルたちは、、昭和の昔から、ずっと先の未来まで、同じ座り方をしているのかもしれません。

 こうして橋の上から、鴨川カップルたちや修学旅行生たちの座り方を眺めていると、「人は、周囲にいる人々の存在を意識して、その存在感を最小化するように動く」のだなぁ、と強く感じたりします。なんだか、人の影響エネルギーみたいなものがあって、そのエネルギーを小さくするように人々が自動的に動いていくさまを、橋の上から眺めているような気分になります。力学実験の結果、あるいは、力学シミュレーションの過程を眺めているような心地です。

 こんな、まるで巨大な力学思考実験のようなさまを感じることができる景色というものも、きっと色んなところにあるだろう、と思います。町の中にふつうにある、眺めようと思った時にすぐ見ることができる、そんな景色を集めてみたいな、と思います。

「鴨川カップル」とエネルギー最小化原理






2010-09-22[n年前へ]

「すること」を考えることと、「その実装」を考えることと、「大量生産する」こと、と 

 「目から鱗」という言葉があります。そんなことを感じた時のひとつに、「(実装の仕方はわかるけれど)、何をどう作るかという根本的ななことは、私にはわからない」という言葉を聞いた時があります。その言葉を発したのは、あるMachカーネルのOS日本語版作成をカリフォルニアで作成した人でしたから、その言葉を聞いた瞬間少し意外に感じました。けれど、その人が何を言っていたか、少しだけ、わかるような気もしました。それは、「すること」を考えることと、「その実装」を考えることは必ずしも同じことではない、ということです。あるいは、そのふたつを同時に行うことができる人も(まれには)いるけれど、多くの場合は、その片方しかできないということでした。

 「すること」を考え・作り出すためには、今ならば、数学か物理を自由に扱うことができないといけないようにも想像しますし、「その実装」を考え・作り出すには、(ある程度の数学と)プログラミング能力が必要とされるような気もします。そのどちらか片方が難しい・簡単ということはないのだろう、と想像します。それぞれのことが「できる」ようになるためには、きっとかなりの時間を必要とすることなのだろうと思います。それは、(設計から製造までの各過程をできる人の比率こそ違うかもしれませんが)機構・機械システム作成でも言えることかもしれません。

 自分が何をしたいのかということと、世の中が何を求めているのかということと、そして、自分が何をできるのか、という3つの力のバランスで、そんなコックリさん的な解として、どんな道を選ぶかが決まるのだろうか、と思います。かといって、そんな三体問題には一般解はないわけで、結局のところ、自分の気持ち次第というのが本当のところ、かもしれません。

 何にせよ、作りだしたものがすべて、というひとつの基準で判断されることなのかもしれませんが…。

2010-09-23[n年前へ]

iPhoneのアクティベーションカードはどんな動作をするのだろう? 

 iPhoneでは初期化時や、ファームウェアのバージョンアップ時などに、アクティベーションをしなければならず、SIMカードを要求されます。SIMカード無しのiPhoneを使っていて、そんな状況下では、ソフトウェアの制限を解除するJailbreakを行うか、アクティベーションのみを行うことができるアクティベーションカード(Activation Card)を用いて、アクティベーションをさせることになります。

一体、このアクティベーションカードはどんな動きをするのでしょうか。iPhone本体とアクティベーション専用SIMカードの間でどんなネゴシエーションが行われるのかとか、その動作を実現するためにどんな回路が用いられているのかとかいったことが、まるで技術パズルのように思え、とても知りたくなります。

 そういえば、iPhoneを作るApple、そのAppleを率いるスティーブ・ジョブズも、昔は電話回線網をクラッキングするブルー・ボックスを(スティーブ・ウォズニアックが)作り・売りさばき一儲けした、というのは有名な話です。こんなアクティベーションカードのようなグッズは、どういう人が作っているのだろう?と思うことがあります。もしかしたら、そういう人たちの中から、次の時代の牽引者が生まれてきたりすることもあるのだろうか?と考えたりするのです。

2010-09-24[n年前へ]

A-bike型自転車にとっての「4cmの段差に時速15km」 

 国民生活センターが「小径タイヤの折りたたみ自転車(A-RideX)の強度不足に注意!」という情報を公開していた。これは、8インチ(約20cm)のソリッドタイヤ(樹脂タイヤ)を使用するA-RideXでの事故をきっかけとした調査報告です。

 小径タイヤ(8インチ)の折りたたみ自転車で道路の段差を走行した際にフレームが破損して転倒し、50歳代の男性が顔に1カ月以上の怪我を負う事故が発生した。事故同型品を調査した結果、強度上の問題が認められたことから、事故の再発を防止するために情報提供する。

 「小径タイヤの折りたたみ自転車で走行中、歩道と車道の4センチほどの段差を越えたところで転倒。顔面に骨折や裂傷を負い歯が6本折れた」という一節を読むと、8インチ・空気タイヤのA-bike型自転車を愛用していたものとしては、他人ごとではなく「うーん」とうなり・背筋に汗をかいてしまいます。しかし、その一方で、

 65kgのダミー人形を乗せ、時速15kmで4cmの段差を上がったところ、樹脂製(ナイロン)の前ホークが根元で破損した。
という国民生活センターのテスト結果を読むと、これも少し「うーん」と考え込んでしまいます。時速15kmというと、A-bikeでは結構真剣にペダルを回した時のスピードです。そして、そのスピードで4cmの段差にタイヤを向けるというのは、(右上の写真のような本家本元のA-bikeも含む)A-bike型自転車からすると、あまりに「ありえない状況」に思えてしまいます。ほんのささいな「歩道と車道の段差」でも、簡単に(段差で)車輪がロックし前に放り出されるA-bike型自転車では、「4cmの段差に時速15kmで突っ込むのは」は断崖絶壁にアクセルベタ踏みでぶつかりにいくような状態のような気がしてしまうのです。

 振動や衝撃を吸収しないソリッドタイヤ(樹脂タイヤ)の自転車(ましてその6インチの)に乗ろうとは思いませんが、その一方で、A-bike型自転車は「一筋縄ではいかない」自転車なので、「強度不足」には注意した上で、何より先に「4cmの(あるいはどんなにかすかに見える程度でも)段差」には要注意、という気もします。

A-bike型自転車にとっての「4cmの段差に時速15km」