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2011-10-01[n年前へ]

MacBook AirのキーボードをThinkPad風にしてみる!? 

 MacBook Air 11インチを購入してから1ヶ月半経ちました。持ち運びが楽なのは良いのですが、キーボードの使いづらさが気になります。また、トラックパッドは、特にBootCamp で Windows を使おうとした際に、(OSX LIONのスクロール方向が真逆であることなどが相まって)使い勝手が悪いように感じます。

 そこで、家でMacBook Airを使う時には、Macbook Airのキーボードの上に ThinkPad USB トラックポイントキーボード を載せて、Thinkpad風(キーボードを持つ)Macbook Airとして使い始めました。

 そのようすが下の2枚の写真です。左が、BootCamp Windowsで使っているようす、右がOSX LIONで使っているようすです。

  

 、Thinkpad風(キーボードを持つ)Macbook Airの使い心地は、「BootCamp Windowsとの相性は最高に良い」と感じます。「領域選択」や「右クリック」あるいは「スクロール」を自然に・ストレス無く・滑らかにできるようになりました。一方、OSX LION上では「(通常使うMacBookAir自体のキーボードとの兼ね合いもあり)キーマッピングに少し悩みそう」という具合です*。

 MacBook AirでBootCamp Windowsを使っていて、MacBook Airのキータッチが浅すぎる・ポインティングデバイスが使いづらいと感じている人は、 ThinkPad USB トラックポイントキーボード を使ってみると心地良く・幸せになれるかもしれません。


*(他のキーボードのキーマッピングを気にしなくて良い)デスクトップMac、さらにMission Controlが導入されていないSnow Leopardと、 ThinkPad USB トラックポイントキーボード の相性は素晴らしく良いのですが…(参考:MacOSXユーザにお勧めの「ThinkPad USB トラックポイントキーボード」)。

MacBook AirのキーボードをThinkPad風にしてみる!?MacBook AirのキーボードをThinkPad風にしてみる!?






2011-10-02[n年前へ]

「天下一品(テンイチ)」のラーメン無料券には「紙幣」のように偽造防止透かしが入ってる!? 

 10月1日は「テン=10&イチ=1」といいうことで「天下一品(テンイチ)祭り」でした。ご存じない方はいらっしゃらないと思いますが、念のために書いておけば、テンイチ(天下一品)というのは、京都が本店で、科学的に言えば「極限まで粘性が高いスープ」を特徴とするラーメン屋です。「マクドナルド(関西風に言えばマクド)」がアメリカ発のジャンク・フードなら、京都発のジャンク・フードが天下一品(テンイチ)のラーメンです。そして、そのトロトロスープを、ある種のジャンキーたちは中毒のように欲するのです。

 10月1日は「天下一品祭り」ということで、ラーメン一杯食べると、もれなく「ラーメン無料券」が一枚ついてきました。天下一品ジャンキーな私も、そのラーメン無料券をもちろん手に入れて、それが通し番号「十九万四千三百三十二番」という右の写真です。

 この「天下一品ラーメン無料券」を、手に持ち太陽に透かしてみると(円形部分だけが明るく見える)透かしが入っています(参照:下写真)。この透かしは、もちろん偽造防止のためでしょう。天下一品(テンイチ)と言えば、誰もが欲する稀少品…というわけで、もはやそれは一種の「紙幣」です。コンピュータやインクジェットプリンタが出回ったことで、「見た目に違いがわかりづらい」コピーを作り出すことが容易なこの時代でも、さすがに透かしがある紙を使ったならば、そう簡単には偽造されたりしない…というわけです。

 「天下一品(テンイチ)」のラーメン無料券は、今や一種の紙幣ともいうべき価値ある存在です。だから…と書くのも変ですが、実は天下一品ラーメン無料券には、偽造防止のために「紙幣」のように透かしが入っていたのです。テンイチ恐るべし。


 *偽造防止にまつわる記事は「「追跡コードの記事」と「紙幣偽造の現場」」なども面白いかもしれません。

「天下一品(テンイチ)」のラーメン無料券には「紙幣」のように透かしが入ってる!?「天下一品(テンイチ)」のラーメン無料券には「紙幣」のように透かしが入ってる!?「天下一品(テンイチ)」のラーメン無料券には「紙幣」のように透かしが入ってる!?「天下一品(テンイチ)」のラーメン無料券には「紙幣」のように透かしが入ってる!?






2011-10-03[n年前へ]

「ホットスポット」と「空間補間アルゴリズム」と「不確定性原理」 

 ホットスポット…それは周囲の値とかけ離れた値を持つ場所です。…そんな「ホットスポットという言葉」は、この2011年の3月以降の日本では、(残念ながら)念を押すまでも無い「当たり前の常識」となってしまいました。

 「情報」というものは限られているのが普通です。たとえば、すべての場所における情報すべてを知ることができることは希(まれ)で、通常はごく限られた場所における情報しか知ることはできません。だから、その限られた場所における情報から「すべての場所についての情報を推測する」といったことが必要になります。

 右の図は、犯罪発生密度の時空間分布図を示したものです。京都周辺で発生した「ひったくり犯罪」を”平面2軸=空間分布/高さ軸=時間分布”として表したものです。向かって左の辺りが「桂町周辺」で、右の辺りが「桃山周辺」です(さらに細かな京都ひったくり犯罪分布地図は「犯罪発生の時空間 3 次元地図― ひったくり犯罪の時空間集積の可視化 ―」を読むとわかります。京都の町に詳しい方は、この文献に収録されている”地図”を眺めてみると、その実にローカルな風景を脳裏に思い浮かべながら眺めてみれば、実に興味深いかと思います)。

 恒常的に犯罪発生が続くホットスポット領域は、積乱雲のように立ち現れますが、その一方で一時的に犯罪発生が特定の地区に集中する場合にはホットスポットは島状に浮かんでおり、2種類のホットスポットが容易に区別できます。

 こうした「ホットスポット=周りとは大きく異なる値を持つ場所」の存在と「周りの値から(値が未知の)注目する場所における値を推定するということ」はもちろん相容れません。「補間=周りの値から(値が未知の)注目する場所における値を推定するということ」は、(たいがいの場合)「周りの値と(注目点は)同じような値を持つ」という前提が置かれているわけですが、「ホットスポット」という存在は「周りとは大きく異なる値を持つ場所」であるからです。

 不確定性原理に従って、(関連する)複数のことを同時に正確に知ることはできなかったりします。「定常的な特性に関する情報」と「突発的・その瞬間の特性」の両方を共に精度高く知ることはできません。目的と手段、その両方に感度があるアンテナと技術を手にする…のが、私たち技術オタクなテクニカル・ジャンキーです。

 と、そんなことを「京都周辺のひったくり犯罪の時空間マップ」と「東日本の放射線量マップ」を見ながら、ふと考えました。…複雑なものです。

 

 「”大小”の刀を差した武士、その大小の刀をカラシニコフに置き換えれば、幕末は今のイラクでの状況と何も変わらない。それでも欧米人はビジネスチャンスを求めて幕末日本を訪れた。

 外へ外へと向かっていく、そういうエネルギーがなかったら、人類はいまだに洞窟の中で暮らしてたんだろうか。


イラクと幕末」から。

「ホットスポット」と「空間補間アルゴリズム」と「不確定性原理」






2011-10-06[n年前へ]

”点と点を結んで行くと浮かびあがる”スティーブ・ジョブス 

 もう、二十数年前、大学生だった頃、こんな言葉を京都市近くに位置するある大学の学園祭で聴きました。

 「数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができる"Connecting Dots"ってパズルがあるじゃない? バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、それでも色々と続けていって…いつか最後に何か浮かび上がってきたりしたら、それで良いのかな?って、時々思ったりするの。
 その言葉を聞いて以来、「無数の点を無我夢中に辿る"Connecting Dots"というパズルは、何かのシンボルであるかのように感じられるようになりました。

 今日は、ふとこんな"Connecting The Dots"を作ってみました。数百個の数字をてんでバラバラにばらまくプログラムを書き、そして、それらの数字をただひたすらにエンピツで繋ぎ・線で結び、数限りない数字をつなぐアニメーションを作成してみました。

 そう、「自分の後ろを振り返ってみれば、そこには自分が通過した点がいつの間にか繋がっている」のです。

 It was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. You can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
 あなたたちには、自分の進む先にある点たちを、前もって結ぶことなんてできません。あなたたちにできるのは、自分が進んできた道の後ろを振り返ってみると、そこに点が結ばれていた…ということだけなのです。だからこそ、通過する点たちがいつか何らかの形で結びついていくということを、あなた方は信じなくてはいけない・信じるべきなのです。

 朝方にapple.com を眺め、感慨深い思いに襲われます。けれど、不思議に「悲しいという気持ち」よりも、「やれることを、やれるうちにやろうじゃないか」という気持ちにもなります。…それは"Stay Hungry. Stay Foolish."という合い言葉を聞いた時のような心地です。

 "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. Stay Hungry. Stay Foolish.


 このアニメーション描画には、 Hongbo Fuらによる線画アニメーション・ビューアが用いられています。

2011-10-07[n年前へ]

ケータイ/スマートフォン用 魚眼コンバージョンレンズを買ってみた 

 「スマートフォン用外付け魚眼コンバージョンレンズ(KSW-3)」を買いました。受光角170℃ということで、ほぼ半球状に周囲を撮影することができ、スマートフォンや携帯電話のカメラで超広角撮影を可能にすることができるというレンズアタッチメントです。

 「より拡大する」ということは電子的に行うことができても、「より広い範囲を撮影する」ということをしようとすると、カメラのレンズを何らかの形で変える、もしくは、撮影位置を後ろに下げるということをしなければなりません。撮影位置はどうしても変えられないという場合もあるわけで、そんな時には、どうしても魚眼レンズ(コンバージョンレンズ)が必要となるのです。

 たとえば、下の写真はiPhoneに魚眼コンバージョンレンズを取り付けて撮影した私の作業場です。作業場一面を撮影しようとしたら、その作業場が広ければ後ろに下がって撮影すれば良いわけですが、ウサギ小屋のような狭い作業場だったりすると(…つまり私の作業場のような場合)、後ろに下がるようなスペースはありません。こんな場合、魚眼レンズが絶対に必要となるわけです。

 ねじ込み式の取り付けリングを携帯電話(スマートフォン)側に取り付けておき、「レンズを使いたい時には、そのリングにレンズをねじ込む」という使い方をしても良いですし、携帯電話に対してレンズを押しつけるプラスチック製のクリップも付いていますので、「レンズをつけたくなったら、パチッと携帯電話にくっつける」というような使い方もできます。この「クリップ」はとても気持ちよく使うことができるので、携帯電話側の形状・配置が特殊でクリップを使うことができないといった事情がない限りは、クリップを使えば良さそうです。

 この魚眼コンバージョンレンズをiPhoneに取り付けてみたのが上に貼り付けた写真で、ケータイに取り付けてみたさまが右の写真です。意外なほど「さまになる」ことに驚きます。こんな「指先ほどの小さな交換レンズならぬコンバージョンレンズ」を何本かポケットに入れて持ち歩き、一眼レフ気分で街並みや自然を撮影してみるのも楽しいかもしれません。

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2011-10-08[n年前へ]

日本にジャコビニ流星群が訪れる夜 

 今日(10月8日)の深夜、明日の早朝には、「ジャコビニ流星群」改め「10月りゅう座流星群」が夜空を飾る、と言われています。りゅう座は北の夜空に浮かんでいるので、今夜は北の空を駆け抜ける流星たちを探してみたくなります。

 ジャコビニ流星群は、10月8日から10月10日前後の、主として夕刻に見られる、突発的な流星群である。 国際天文学連合 (IAU) による公式名称は10月りゅう座流星群。母天体はジャコビニ・ツィナー彗星。

 …と、そんなことをつぶやくと、「ジャコビニ流星打法といえば宇野球一」という声が聞こえます。宇野球一(宇野球児)と言うと、伝説の地獄死闘野球漫画「アストロ球団」の主人公です。なぜ、「伝説の」と書くかと言えば、それはもちろん「単行本にして全20巻(連載期間5年間)という長丁場でありながら、その展開ゆえに試合描写が長く、作中では僅か3試合しか行われていない」という”キャプテン翼も足下にひれ伏す”ストーリー展開であるからです。

 様々な魔球や必殺技が乱れ飛び、スポーツ漫画でありながら試合の中でデスマッチを繰り広げ、死者や廃人が累出するなど、異様ともいえる展開であり…

 あなたは「ジャコビニ流星群」をご存じでしょうか?「ジャコビニ流星群(10月りゅう座流星群)」はおおよそ「十数年おき(13年おき)」にしか現れませんから、高校生以下の若い人であれば「そんな流星群なんて聞いたことがない」というはずです。また、20〜30代の方であっても知っている人はほとんどいないだろう、と思います。そんな「十数年に一度しか訪れないジャコビニ流星群」が、なぜアストロ球団という人気漫画に登場していたのでしょうか?

 それは、漫画が連載され始めた1972年の日本に、タイムマシンに乗って、戻ってみるとわかります。

 1972年に(ジャコビニ流星群による)大流星雨が予想された際は、日本でも大きなブームとなり、その予想が外れたことは新聞、テレビのニュースでも取り上げられた。これをモチーフとした曲として、松任谷由実の「ジャコビニ彗星の日」(1979年、アルバム「悲しいほどお天気 」に収録)がある。また、1972年から1976年にかけて連載された少年漫画「アストロ球団」では、「ジャコビニ流星打法」という必殺技が登場する。
 1972年、山本リンダが「どうにもとまらない〜」と歌い、青い三角定規が「太陽がくれた季節」を歌った頃に、日本ではジャコビニ流星群を人々は心待ちにし、しかし、流星はほとんど見られず、アストロ球団宇野球一(宇野球児)のジャコビニ流星打法は「空振り」に終わったのです。

 …ところで、流星が夜空に線を描いたとしても、離れた場所にいる人は、なかなか同じ”流れ星”を見るということはできません 。同じ流れ星を見ることができるのは、とても近くにいる人たちだけなのです。 …そんなことを思う時、「同じものを見るという「奇跡」と「幻」ということについて、私はいつも考え込んでしまいます。

 仮に、同じ流星を遠く離れた恋人同士が見ることができたとしても、悲しいことに、たいていは違うところを見ているのである。
 それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。

 今年、2011年10月8日から9日の夜、日本にジャコビニ流星群は訪れるのでしょうか。私たちの真上には、たくさんの流れ星が降り注ぐのでしょうか。今年、私たちはたくさんの流星を・同じ流れ星を共(とも)に眺めることができるのでしょうか。

'72年10月9日、
あなたの電話が少ないことに慣れていく。
わたしは一人待った。
遠く横切る流星群。
寂しくなればまたくるかしら、光る尾を引く流星群。

「ジャコビニ彗星の日-The Story of Giacobini's Comet-」

日本にジャコビニ流星群が訪れる夜






2011-10-09[n年前へ]

1130ボタン電池は「自転車用点滅バルブキャップ(電池3個付き)を買った方が安い」 

 バザーでSWATCHの"3D"腕時計があったので、500円で買いました。新品らしき、けれど電池は切れているという状態でしたが、赤と青の2色で描かれた"3D"という言葉に惹かれ買ってしまいました。

 100円ショップのダイソーに行くと、SWATCH腕時計で使われている「1130タイプ」のボタン電池が2個セット100円ナリで売られています。早速1セット買い、腕同型の電池を交換すると(SWATCHは大きいマイナスドライバーを使うと簡単に電池交換用の裏蓋を開けることができます)、”3D”時計の針はチクタク・チクタクと動き始めました。

 今日、100円ショップのキャンドゥの棚を眺めていると、「自転車用赤色点滅バルブキャップ」というものが売られていました。自転車のタイや空気口に取り付けるとチカチカ赤く点滅し・周りの車などに自分の存在を知らせることができる、という優れものです。これが、なんと「1130タイプのボタン電池 3個付き」で100円で売っているのです。

 これを連立方程式にするとこうなります。

1130ボタン電池×2=100円
1130ボタン電池×3+点滅バルブキャップ=100円
 さらに文字を入れ替えてみると、下の2式です。
2 x = 100
3 x + y = 100
 この連立方程式を解くと、x=50,y=-50という答えが出てきます。つまり、1130ボタン電池は1個50円で、点滅バルブキャップはなんとマイナス50円だという答えに導かれます。…大量生産と流通のマジックはよくわかりません。

 …とりあえず、「1130ボタン電池」が欲しければ、ボタン電池を買うのではなく「自転車用点滅バルブキャップ(電池3個付き)を買った方がずっと安い」のです。1130ボタン電池はさまざまなものに使われていますから、1130ボタン電池を買う際に何より値段の安さを追求したいという場合には、こんな豆知識を手に入れておくとお得で役立ちそうです。

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2011-10-10[n年前へ]

初恋相手までの距離は30cm 

 あなたの初恋の相手はどんな人でしょうか。…たとえば、初恋相手の名字はどんな名前でしょうか?

 私の初恋相手は名字が「は行」で始まる人でした。それが一体どういうことかというと、学校の教室には五十音順で男女の机が並べられ・2つの机ごとにくっつけられていて、名字が「は」行で始まる「”ひ”らばやし」くんは、隣の人(机を並べている人)を好きになったのでした。実に単純です。

 世界は広く、数十億人の人たちが地球の上で暮らしています。世界も・地球も広大です。しかし、こと「初恋相手までの距離」となると、実は意外に狭いのではないでしょうか?たとえば、私のような「机を隣り合わせた相手に生まれて初めての恋をする」といった単純明快近視眼的な人だって多いのではないかと思います。

 なにしろ、人気マンガ「タッチ」の主人公兄弟たちだって、幼なじみのお隣さん(浅倉南ちゃん)が初恋の相手でした。…そんなマンガの主人公たちそと同じように、向こう三軒両隣な「ご近所さんのお隣さん」が初恋相手だという人も、無視できない数いるのではないか、と想像します。

 初恋相手の名前を思い浮かべてみれば、「五十音で同じ行(列?)だったりする人の比率が有意に高い」のではないでしょうか?たとえば、あなたとあなたの初恋相手を思い浮かべると、実は五十音が近かったり=出席番号順が近かったり、あるいは、身長順が近かったりするということもあるかもしれません。 五十音順とか、身長順とか、(平安時代なら)いろは順とか…そんな「ルール」に従った距離が近い辺りで初恋が生まれていたりすることもあるのではないでしょうか。

 今日立てた仮説は、「日本では、自分の名字と初恋相手の名字の五十音には(田舎の名字比率を考慮しても)相関がある」というものです。それは、初恋相手までの距離は意外なほどに手近かであるという「初恋相手までの距離は30cmの法則」です。(…その30cmが無限に遠かったりするんですけど、ね)

2011-10-12[n年前へ]

「アンダーグラウンド(地下)経済」日本地図を作ってみる!? 

 データ解析ソフトS-Plusを使いグラフを無料作成するというサービス「かんたんグラフ作成サービス」が立ち上がっていました。そこで、「地下経済規模」を各県毎に色分けしたグラフを作ってみました。それが、下に貼り付けたグラフです。

 ここで言う「地下経済」は「日本の地下経済―脱税・賄賂・売春・麻薬 (講談社プラスアルファ新書)」による「申告漏れ所得(脱税所得)」と「暴力団・性産業・窃盗・違法賭博」における非合法所得分の経済活動額を合計した1991年度における(あくまで推定)額です。

 こういったデータを眺めるときのコツは、「変な場所」「(周りと)違う場所」を見つけることです。「おや?何だか変だな」「これは単純には説明できないものが隠れているな」と感じるものがあれば「しめたもの」です。そこには、何か(これまで気づかなかった)新しいコトが潜んでいるからです。

 今日作ってみた「「アンダーグラウンド(地下)経済」日本地図」を見て私が感じた「(周りと)違う場所」は、たとえばこんなことになります。

(山口組を抱える)兵庫県が低いなんて、アンダーグラウンドな(地下)世界では「県境」なんて関係ないせいやろか〜。
「広島」は「仁義なき戦い」産地だけあって、アンダーグラウンド経済が高いじゃけん〜。
 ちなみに、(周囲の県に比べて「地下経済指数」が低い)鹿児島県は「地下(アンダーグラウンド)経済」がない日向ばかりの世界かと思いきや、1998年度における推定量では、いきなり県別8位に上位入賞していたりします。…鹿児島県の躍進には(あくまで単なる推定量ですが)何か理由でもあるのでしょうか?

「アンダーグラウンド(地下)経済」日本地図






2011-10-13[n年前へ]

iCloudの「極秘の質問」は意外なほどの「中2病」 

 AppleがiOS5とともに一般公開したクラウドサービスであるiCloudを使う手続きをしていると、パスワードを忘れた時のための「極秘の質問」を設定しなければなりませんでした。ちなみに、その「極秘の質問」のデフォルト質問の選択候補は次のような5つの「質問」です。

「初めて会った有名人」
「初めてできた親友」
「好きな先生の名前」
「初めてのコンサート」
「初めて買ったアルバム」
 つまり、あなたが答える極秘の質問は、”初めての”「有名人・親友・コンサート・アルバム」の名前であるか「好きな先生」の名前であるか、という具合です。…要求されるこの極秘の質問の答えは、「初めての何か(ある種の初じめて恋した何かというか、初めての体験ともいうべき何か」に関する名前であるか、あなたが「(ずっと?)好きな先生」の名前であるか、という実に素朴な二択なのです。

 「初恋相手までの距離は30cm」ではありませんが、「初めて好きになった何か」「初めて体験した何か」というのは(パスワードの「”極秘の質問”」とするくらい)「忘れがたい何か」なのだろうか、とAppleの新OS iOS5を眺めながら考えたのでした。

 iCloudの「極秘の質問」は意外なほどの「中2病」でした。中2病なiCloudの「極秘の質問」には、「初めて」と「好き」が詰まっているのです。…つまり、そこには「秘密」がしまいこまれていたのです。

2011-10-14[n年前へ]

「ローカリゼーションマップ」と「相手を知り、自らを知り、変える・変えないを選ぶ」 

 安西洋之・中林鉄太郎氏に「ローカリゼーション」について話を伺いました。『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力 』の著者である両氏に聞いたのは、地域・国あるいは、その時代変化、さらには各個人に合わせて、「どう商品を変えていくか」という話です。

 人の頭の中をのぞき見ることはできない。しかし、異文化市場のお客さんに製品を売り込んでいくためには、その地域のお客さんの思考回路をじっくりと観察するぐらいの気持ちで顧客思考を貫く必要がある。

INTRODUCTION 「グローバル時代に欠かせないローカリゼーションの視点」
 異文化の人々に製品やサービスを受け入れてもらうためには、ローカリゼーション(現地化)が必要になる。(中略)地域や文化が違うとロジックが変わってくる。ユーザーの思考プロセスも異なってくる。

INTRODUCTION 「グローバル時代に欠かせないローカリゼーションの視点」

 本書の最後の方で、「コンテクスト(背景文脈)への依存量」と「市場規模」という2軸で作られる平面上に「商品(製品)」を配置(ポジショニング)させた「ローカリゼーションマップ」というものが出てきます。これがブレーンストーミング・思考整理のためにとても役立つように思われたので、自分の手で清書し直してみました。それが、下図です(この図は本書中では”ローカリゼーションマップ”と”ローカリゼーション動的図”という2種のグラフに分けられているものを、ひとつのポジショニングマップへと合成したものです)。

 たとえば、「ルイ・ビトン」の商品というものは、その製品(企業)文化・歴史とともに価値が認められ(そういった歴史・文化と言った”コンテクスト”に強く依存しており)、そのコンテクスト理解が世界的に広まり売れています(グローバルである)。
 また、基本的にスマートフォンなどは、現在のところ、各地域文化といったコンテクストへの依存は比較的少ないが、グローバルに売れ始めている。
 あるいは、洗濯機などは地域によって使い方・商品に対する捉え方が大きく異なっており(各地域毎のコンテクスト依存が大きく)、各地域におけるローカル市場ごとの製品となっている、という具合です。

 このローカリゼーションマップで面白いのは、「コンテクスト依存」の量を示した横軸が、同時に「商品更新頻度」すなわち「変化の速さ」という時間軸にもなっていることです。たとえば、ルイ・ビトンの製品があまりにも変化してしまったら、そこにあるコンテクスト(価値があると認められているコンテクスト)からズレてしまうがゆえに商品が姿を変えていく速さは遅く、一方で、スマートフォンは刻々と追加されていく新機能の量にこそ価値があると認められ、だからこそ変化が非常に速い(次々と新製品を出し続けなければならない)、ということがわかりやすく見て取れるのです。

 両氏から話を聞き、感じさせられたのはこのようなことです。ローカリゼーション(究極にはパーソナリゼーション)というのは、「どう商品を変えていくか」という話です。それは、自分(たち)が向かおうとする相手に応じて「どこを変える・どこを変えない」ということを決める、ということです。つまり、相手を見つつ・自分の価値をどこに見い出すかということです。さらに端的に言ってしまえば、それは「相手を知り」「自らを知る」ということになります。

 「変えないこと」に価値を持つ「老舗」もあれば、ドッグイヤーで走り続けることに価値があるモノ(今のところは、変わり続けなければならないモノ)もあります。どこに価値があるか・それを見いだし、自らのどこに”変わっていくこと”を置き、どういうことに”変わらずにいること”を選ぶか…これは企業・商品だけでなく、人についてもあてはまる話でしょう。(関連記事:「ローカリゼーション技術」は「相手」に合わせなつつ「自分」を表す「コミニュケーション技術」

 「世界は同じになった」ユートピアに近づいている感を与えやすい台詞だ。さまざまな文化の魅力を維持しながら、地域特有の閉鎖性を破って自由なコミニュケーションがどれる風景があって欲しいという願いからくる、魅力的な言葉だと思う。それゆえ、あまり浮かれすぎてはいけない。必ず毒があり、しっぺ返しがある。

最終節 「パーソナリゼーションとの関係」
 

「ローカリゼーションマップ」と「相手を知り、自らを知り、変える・変えないを選ぶ」






2011-10-15[n年前へ]

「原子力防災」著者 松野元さんがテレビ番組で語ること 

 今年の3月、「知識を得た上でどうすべきかを各人が判断する」というバイアスで「災いを防ぐ=防災」ということを考えるなら、それが「原子力」というものに関してであるのなら「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」という本を、まずは読んでみるのが一番良いように思う、と書きました。

 この本が「考える」ために「一番良い」理由は、関連事項について広く・深くデータを示しつつ、データの意味を具体的に定量的にわかりやすく説明しているからです。エネルギーの必要性から、関連事項を理解するのに必要な科学知識や、各種リスク評価…、本のタイトルからは想像できないくらい非常に広い範囲のことが書かれています。
 著者(松野元)がこだわり続けているのが、こんな考え方(バイアス)であるように思えます。『(原子力災害が発生した場合)住民は、関係者に十分な情報を要求し、専門家の意見を聞いて、最終的に他人任せでない決断を自らが選択しなければならない』

 この本の著者である松野元さんを中心に置いた、「原子力防災」についてのテレビ番組(NHKドキュメンタリーWAVE 伊方原発 問われる“安全神話)を見ました。

 (福島原発事故が起こって以来)自問自答を繰り返している。
 自分の人生を掛けてやってきたのに、あの福島の事故を抑えるような原子力の体制にできなかったことを、 悔しさというか残念だというか、私のできる範囲で償いというか・・・償えるかどうかわからないけれど、何かお役に立ちたい。
 50分弱ほどの番組ですが、松野さんがゆっくりと話す言葉に耳を傾けていくうちに、(戦後の日本にはとても重く響く)こんな言葉で終わる最終シーンまで、すぐ辿り着いてしまうと思います。
(エネルギー自給ということが)私の夢だったし、日本の夢でもあった。エネルギーに困らなければ、おそらく、食料にも困らない。
 (原子力で手に入れようとする)大きなメリットの後ろには、大きなリスクがある。原子力防災は「(事故になりうることが必ず)起きる」として考えるべきで、そのための備えが必要だということです。
 そして、ここから先は、私(松野)の気持ちだけかもしれないが・・・、準備をしておけば事故はないかもしれない。それが本当の願いです。
 松野さんが技術者として語る言葉を聞きながら、その言葉を出すまでの「(たとえば”安全”という”永遠に辿り着くことができない目標”に対する)考え方*」を理解しようとしてみたくなります。
*この番組中で松野さんが語る言葉には、 柴田 俊一さんがマーフィーの法則「信頼工学版」第3法則 "You can't win-you can't break even- you can't even quit the game."をひきつつ書いた言葉を重ねつつ聞くと、とてもわかりやすく自然に響くかもしれない、と思います。
 安全確保はゲームに例えて言えば、勝てない・引き分けもない・棄権もできない、というものである。つまりその仕事に就いた人は、絶えず努力をする必要があり、しかもそれでもなお永久に「絶対」という段階には到達できない。


20111001 伊方原発 問われる“安全神話” 投稿者 PMG5


NHKドキュメンタリーWAVE 伊方原発 問われる“安全神話
 “フクシマ”によって崩壊することになった原発の安全神話。その神話が形作られていくきっかけとなったのが、四国電力の伊方原子力発電所の安全性を巡って 30年近く争われた裁判である。当時、四国電力で原発設置を担当したある技術者(松野元)は、裁判後、徐々に社内で蔓延していく「絶対安全」に対して、異論を訴えたが黙殺され続けてきた。裁判資料を読み解くと、地震のリスクなど専門家の調査結果が無視されている部分も多い。第2のフクシマは防ぎたいと、今でも原発の危険性を訴える技術者の思いを軸に、現在でも“安全神話”が続く原子力発電の現場を見つめる。

2011-10-18[n年前へ]

「老眼」になったら「ラッシュアワー」の痴漢疑惑に注意しよう!の法則 

 年をとると、目のピント調整機能が衰えて、特に近くのものを見ることがしんどくなります。そのような現象を「老いた眼」と人は書き、そして、それを「老眼(ろうがん)」と呼びます。

 ふつうに考えれば、近くのものが見づらければ、遠く離して眺めれば良いわけです。しかし、そういうわけにいかない場所も多いものです。それが、たとえばラッシュアワーの電車の中、つまりは、混雑して人が間近に立つような密度が高い場所です。そういった場所では、少なくとも、ケータイやスマートフォンを(水平方向に)遠く離して眺めるわけには行きません。情報端末を掌(てのひら)に持ち、「大きく前へならえ」の姿勢をとりつつ…情報端末の画面を確認する・眺める、というわけにはいかないのです。

 「老眼」現象が進んでいる人の間近に人が立ち、それでもケータイやスマートフォンを眺めようとすると、ケータイやスマートフォンを(水平方向に)遠く離し眺めることができないわけですから、必然的に、鉛直方向(距離を)離して眺めることになります。…つまり、右図のように手に持ったスマートフォンを鉛直方向に限りなく下げて、そして液晶画面を上に向ける…という姿勢を保つことになります。

 これは、非常に危険です。…なぜなら、最近の情報端末では液晶画面の側にもカメラがあることが多いわけですから、つまりは、人しれずカメラを低い位置から上に向けた姿勢(そして、それはあたかも盗撮写真を撮影するような姿勢)となってしまうからです。

 だから、老眼になったら、ラッシュアワーの痴漢疑惑に注意しなければならないような気がします。あるいは、大都市をラッシュアワーに走る列車中には「老眼専用車両」が必要となるのかもしれません。ゴルゴ13は「オレの後ろに立つな!」というセリフをよく吐き(それと同時に後ろに立った人を殴打しますが)ますが、老眼の人は「オレの前に立つな!」といつも思っています。というわけで、「人の前には立たない」が「老眼専用車両」のオキテです。

「老眼」になったら「ラッシュアワー」の痴漢疑惑に注意しよう!の法則 






2011-10-20[n年前へ]

「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」 

 「asada's memorandum (ゴッホの本当のすごさを知った日)」を読みました。この内容が、実に間違った論証の典型的パターンに陥っていました。そこで、「ゴッホの本当のすごさを知った日」の論旨が「どのように間違っているか」について書きます。さらに、19世紀 後期印象派の画家であるゴッホの色彩について、「ゴッホの本当のすごさを知った日」で書かれていることとは「違うこと」を示します。

 「ゴッホの本当のすごさを知った日」で書かれている内容を要約すると、次のようになります。

  • ①ゴッホは色覚が異常だったのではないかと言われているそうだ。
  • ②P型色覚と「普通の」色覚の中間的なものを”疑似体験”させるような色変換をゴッホのRGB画像に掛けてみた。
  • ③色変換された画像は”自然で素晴らしく見えた”から、ゴッホはP型かD型の色覚特性を持っていたのだろう。
 この①②③には、間違った論証の典型的パターンが幕の内弁当のように”詰め込まれています。

 まず、①については、「言われているそうだ」を検証せず、鵜呑みにしてしまうという間違いです。 「ゴッホの色表現は○×の症状によるものではないか」という論文が書かれたりすることもあります。 たとえば、「ゴッホが黄色を使い・眩しい印象の絵を描くのはジギタリス中毒のせいでないか」といった主張などです(T.C.Lee 1981)。 しかし、そういったものは、状況証拠が足りないために、一般的に受け入れるまでには至らない「説」で終わっている、というのが実際のところです。

 ②については、色覚”疑似体験”ツールというのは、原理上、ある色が「どの色」に変換されるかということには、あまり意味がありません。あくまで、どういった色群が「見分けにくい色」となってしまうかを疑似体験するものに過ぎません。それらの「見分けにくい色」を、実際のところ「どういう色」として感じているかまでを追体験できるものではないのです。ましてや、その色覚”疑似体験”ツールにより変換出力された色調をもって、絵画の色表現や階調表現を論じる・感じることができるようなものではありません。ここにある「使い方への間違い」は、「さまざまな”光”を、各個人が自分の中でどういう”色(存在)”として位置づけるか」ということを整理しないままに作業を行ってしまったのではないか、と思います。

 「シミュレーション」というものを扱う時には、「その道具の適用可能範囲」を知っていなければなりません(さらには、シミュレーション・プログラムを作るような人は、シミュレーションが出力する”結果”すら知っているべきだと私は考えています)。 しかし、「その道具を理解していないと、道具を過信して・使い方を間違える」ということをしてしまいがちです。 ②は、その典型的なパターンです。

 さて、②と③の組み合わせ部分が、「ゴッホの本当のすごさを知った日」において最も「間違っている」部分です。 ②③の組み合わせ部は「Aさんが作ったものに対して、”ある処理”をかけてみた」「すると、”(私には)それが自然で良く”感じられたので、Aさんは”ある処理”のような知覚を持っていたのだろう」というロジックになっています。 これは、とても主観的で、もちろん間違ったロジックです。 まず、「(私には)それが自然で良く”感じられたので」ということは理由になりませんし、主観を理由にするのは非常に良くありません。
 このロジックで、例文を作ってみると、このような具合になります。 「19世紀の作曲家であるエリック・サティの音楽に”高い音を消す変換”をかけたら、”緊張感がなく自然な音”に感じられるようになった。そして、それが(私には)自然に思われるから、サティは高い音が聞こえにくい”耳が遠い”聴覚を持っていたのだろう」 …サティが精魂込めて作り出した音楽の特徴が、”耳が遠い”せいになってしまいました。

 そう、「ゴッホの本当のすごさを知った日」がマズイのは、典型的な間違った論証であることだけではありません。 奥底においてマズイのは、「一見、創作者であるゴッホが感じたことを”疑似追体験”させるかのように見えるけれども、それは”創作者ではなく自分の主観”にもとづくものであって、実は”(他者である)創作者が行った作業(あるいは、その時代背景)を想像し・追体験する”ということを放棄していること」です。

 典型的な間違った論証で、少し「うまくない」ことが書かれていたので、ここまでの雑文を書きました。

 さて、ゴッホの色彩について、別のことを書きましょう。 書くのは「背景知識」「ゴッホの作風変化」「ゴッホがどのように色を感じていたか」という3点です。

 ゴッホは、オランダで画商をしていた叔父のもとで働いた後、1986年、パリで画商をしていた弟テオのところに行きます。 ゴッホは、テオを通じてドガやスーラ、ロートレックやピサロ…といった印象派の巨匠たちと知り合います。 すべての時代の画家たちが色材・画像科学の先端技術者であったのと同じように、印象派の画家たちは当時最先端の色彩科学を自分たちの技術に反映させていました。 ゴッホは、そうした技術を先人である巨匠たちから学んだ上で、さらに流行最先端の日本の浮世絵の研究も行い、同時代の画家の中でも、屈指のロジカルな色彩考察をし始めます。 そして、ゴッホの作風は、パリに来るまでとは大きく変わります。 これから亡くなるまでの2年の間に描かれたのが、いわゆる「ゴッホの名画」とされているものです。

 たとえば、下の2枚の絵は「作風が変わる前後の時期に、同じ場所でゴッホが描いた絵画」です。 左が1887年に描いたもので、右が1890年に描いた風景です。 ここでわかることのひとつは、「ゴッホの色使い」は生まれた時からの色覚特性によるものではない、ということです。 ゴッホのレゾネでも眺めれば、そうしたことを一目瞭然に見て取ることができます。

 

 「人が色をどう感じているか」ということは、容易には知り得ないことです。 しかし、ゴッホの場合には、それででもいくつかの「手がかり」があります。 それは、友人ベルナールや弟テオに書いたたくさんの手紙です。 そこには、「どのように色を感じているか」「どのように色を考えているか」「描き方の理由・狙い」といったことも数多く書かれています。

 たとえば、テオ宛の手紙中では「赤色・黄色・青色を基本色として、それらの混合で補色を作り出し、さらには白と黒を混ぜることを経て、無限の色を使ることができる」 「補色を並べることで、それらは彩度を強め合う。さらには、補色の混合と対立・類似したトーンの揺れを描きたい」といった感覚・理論を書き連ねています。 そして、そういった理論にしたがって、赤/緑(黄+青)や黄/紫(赤+青)あるいは青/オレンジ(黄+赤)といった補色同士を並べたストロークを駆使したのです。 赤/緑、黄/紫、青/オレンジといった組み合わせをゴッホが多く用いるのは、こうした理由によるものです。

 黒と白は色彩と考えることができるし、二つを並置した対照は例えば緑と赤の対照と同じように刺激的だからだ。 それに日本人だってこれらを使っている。

「ベルナールへの手紙」

 ここまでで十分長くなってしまいました。 ゴッホのパレット(画家がどういった色を使うか)例やその並び、あるいは、その絵具に生じる化学反応や…といった興味深いことについても書きたかったのですが、それはまた今度書くことにしましょう。

 それにしても、「新しいことを知る」ということは、とても楽しいものだ、と思います。 歴史上の創作者たちが行った作業、あるいは、そこに至るまでの時代背景を想像し・追いかける、そして追体験してみる…といったことは(安易な感じ方をもとに)放棄するには実にもったいない・貴重でワクワクさせられる感覚だと思います。

 わしが見てるコレって本物? わしが聞いたコレって本当? わしらはいつもそういったギモンを胸に抱き、できれば見る、何回も見る、そして聞く、何回も聞く、そして自分にいま一度問うてみる、そんな姿勢とミミ掃除が肝要だと思うのである。

「わしが見てるコレって本物?」ちゃろん日記(仮)


 参考:続「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」

 この『さまざまな”光”を、各個人が自分の中でどういう”色(存在)”として位置づけるか、ということを考える』という点について、今回はもう少し詳しく書いてみることにします。
 そういったことを考えながら、「ゴッホの本当のすごさを知った日」という記事を読んでいくと、あの記事が「さまざまな”光”を、各個人が自分の中でどういう”色(存在)”として位置づけるか」ということを考えないまま、思いを巡らせないまま、そして、整理しないままに書かれたのだろう、と感じてしまうのです。

「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」






2011-10-21[n年前へ]

「お手軽ノートPCスタンド」を15秒・105円ナリで作ってみる 

 ノートPCスタンドを作ってみました。製造費は消費税込み105円で、製造時間はほんの15秒です。そんなお手軽ノートPCスタンドにMacBook Airを載せてみたのが、右の写真です。

 作り方はとっても簡単です。まずは100円ショップに行って2個セットで100円ナリのブックスタンドを買います。そして、買ったブックスタンドを机の上に重ねて置いたところで、エイヤっと力をかけて勢いにまかせて曲げてみます。すると、それだけで「お手軽ノートPCスタンド」ができあがり、です(右下写真が折ったブックスタンドが2つ重なっている写真です)。

 

 (構造上の強度不足を補うために)2つ重ねたブックスタンド上にノートパソコンを置いて、外付けキーボードやマウスを繋ぐと、なかなかに心地良いデスクトップ・コンピュータ環境ができあがります。…何だか「オシャレ」ではないような気もしますが、そんな見た目にこだわらない人にはお勧めかもしれません。…「見た目」も意外と重要ですけれど、ね。

「お手軽ノートPCスタンド」を15秒・105円ナリで作ってみる「お手軽ノートPCスタンド」を15秒・105円ナリで作ってみる「お手軽ノートPCスタンド」を15秒・105円ナリで作ってみる






2011-10-23[n年前へ]

「トラック曲線=(半円+直線)×2」という運動会シーズンのナゾ!? 

 秋といえば運動会の季節です。この季節になると、いつも頭に浮かぶ「謎」があります。…それは「徒競走」をする校庭にある「トラック」の形に関する疑問です。

 校庭のトラックは「両端の半円を直線で結んだ形」です。…はい、勘が鋭い人であれば、もう気づいただろうと思います。運動会シーズンにいつも考え込んでしまう謎というのは、なぜ

トラック曲線=(クロソイド曲線+円弧+直線)×2
ではなくて、
トラック曲線=(半円+直線)×2
なのだろう?ということなのです。

 「トラック」の形状が「直線と半円」で形作られているとすると、直線コースから半円部分に突入した途端、急に、曲率がゼロからある程度大きな値に変わってしまいます。言うまでもなく、直線とは「曲率がゼロである」真っ直ぐな線であり、円とは曲率が一定の曲線であるからです。ということは、トラックを走るランナーたちは、体が進む方向を決める”ハンドル”をいきなり切らなければなりません(下図の黒線トラック)。

 しかし、高速道路のカーブと同じように、トラックのカーブにおいて直線と円弧部分をクロソイド曲線で繋いでおいたならば、最初から最後まで曲率が滑らかに変化していきます。クロソイド曲線というものが、曲率を連続的に変化させていく曲線なので、曲率ゼロの直線と任意の有限曲率を持つ円弧の間を、クロソイド曲線は滑らかに繋ぐことができるわけです。  ということは、トラックを「(クロソイド曲線+円弧+直線)×2」という数式で記述したならば、ランナーは限りなく滑らかに・自然にトラックのカーブを走り抜けていくことができるはずなのです(下図の青線トラック)。

 それにも関わらず、学校の校庭にあるトラックが、すべて(半円+直線)×2という数式でトラックが形作られているからには、きっとそれなりの理由があるのだろう、と思います。その理由を知りたい…というのが「この季節になると、いつも頭に浮かぶ疑問」なのです。

「トラック曲線=(半円+直線)×2」という運動会シーズンのナゾ!? 






2011-10-24[n年前へ]

交差点の「コンクリ柱」をグニャグニャ曲げる男 

 交差点で信号待ちをしていると、交差点沿いの歩道の端っこに、「コンクリ柱」が2本立っていました。この「コンクリ柱」は、交差点を曲がろうとする車が歩道に乗り上げ・歩行者などに危害を加えるのを防止するために設置されているのでしょう。ガードレールより少し低いくらいの高さで、コンクリートもしくは石から削り出したような柱が備え付けられていました。その「コンクリ柱」が右の写真です。

 信号待ちをしていた私は、次の瞬間ビックリしました。…なぜかと言うと、体の大きな男がスタスタと歩いてきたかと思うと、その2本の「コンクリ柱」をグニャグニャと曲げ始めたからです。男は、右に左に・グルグルグルグルと堅く曲がることなどないはずの「石柱」を曲げ続け、そして急に踵(きびす)を返し、去って行きました。

 そこで、おそるおそる私も「コンクリ柱」に触れてみると、そして力を少しかけてみると、驚くべきことに、非力な私でも「コンクリ柱」を曲げることができたのです。この「コンクリ柱」、コンクリートのような見かけ・質感であるにも関わらず、何とグニャグニャと自由自在に曲がる「ゴムのような弾性体」だったのです。

 この柱は、車やバイクなどが歩道に乗り上げることを”心理的に防ぐ”ために、備え付けられているものなのでしょうか?このグニャグニャ棒では、歩道に車が向かって来たような場合、その車を止めることは絶対できそうにありません。この見かけ倒しの「コンクリ柱」たちは、暖簾に腕押し柳に風…と、右から左へと車を受け流してしまうに違いありません。

 それにしても、一見「コンクリート」や「石」に見えるグニャグニャ柱が、交差点の歩道脇にあったりする、というのは不思議なものです。街中で「堅そうに見える壁や柱」を見たら、エイヤッと押してみたりすると、いきなりグニュッと曲がったりすることもある…なんて、とても面白いと思いませんか?

交差点の「コンクリ柱」






2011-10-25[n年前へ]

ガリガリ君「コーラ味」を探しに行こう!? 

 赤城乳業が作る銘菓と言えば、それはもちろんアイス・シャーベット菓子「ガリガリ君」です。シャリシャリ・シャキシャキした食感とスッキリした味と、そして、60円という値段の安さが魅力的です。真夏日にプールに入った後の定番アイスと言えば、協同乳業の「ホームランバー」か、赤城乳業の「ガリガリ君」というのが、ある世代の定番コースでした。

 何年か前までは、コンビニに行くと、ガリガリ君の「ソーダ味」「コーラ味」、そしてあともうひとつくらいの「○×味」が売られていることが多かったような気がします。しかし、ここ1,2年くらいでしょうか、コーラ味を見かけることが少なくなってしまいました。

 「コーラ味」を見かけることが少なくなったのは、なぜでしょうか? コンビニの「アイス庫」面積は狭く、それにも関わらず世の中で販売されているアイス・シャーベット菓子は数限りなく…ということで、コーラ味を仕入れるお店が少なくなってしまったのでしょうか。それとも、「コーラ味」の人気が他の「○×味」よりも低く、赤城乳業自体が生産量を絞っているのでしょうか。

 数日前、東関東エリアを散策していると、久々にお店で「ガリガリ君 コーラ味」を見かけました。アイス庫にソーダ味だけでなく、コーラ味もら何でいたのです。もちろん、この貴重な機会を逃してたまるかと「コーラ味」を速攻で買いました。

 その後、これは「コーラ味がようやく出回り始めたか」と考え、東京・横浜近くで「ガリガリ君探し」のコンビニ・ツアーを何度も行ってみたのですが、ガリガリ君「コーラ味」は全然見つからないのです。

 そこで、私がガリガリ君「コーラ味」を見かけたお店があるあたりに行ってみると、他の店でも(一軒しか眺めに行ってないのですが)コーラ味が並んでいるではありませんか。もちろん、10月下旬ではありますが、ガリガリ君 コーラ味を買い・シャリシャリ・コーラ味シャーベットを堪能したのです。

 本当の理由はさておき、私は「こう考えよう(そう考えると面白い)」と思います。希少な「ガリガリ君 ○×味」は日本全国に出回ることなく、地場産業たる赤城乳業が近所お膝元でのみ、赤城山の近くでだけ味わうことができるのだ、と。

 あなたの住む辺りのお店には、どんな「ガリガリ君 ○×味」が置いてあるでしょう?もしも、近くのお店に「コーラ味」が置いてなかったとしたら、赤城山近くへ足をのばし、「地元民のみの間で密かに流通しているコーラ味」を買ってみると良いかもしれません!?

ガリガリ君「コーラ味」を探しに行こう!?ガリガリ君「コーラ味」を探しに行こう!?






2011-10-26[n年前へ]

「パックの卵」は「お尻」が上になっている!? 

 卵(ニワトリの卵=鶏卵)は「パック」で買うのが普通です。12個入りパックや10個入りパック、あるいは、6個入りパックをスーパーなどで買ってくることが多いのではないでしょうか?

 スーパーで卵パックを眺めていると、卵パック内の卵すべてが「お尻」を上に向けていることに気づきました。つまり、どの卵も、「尖っていない丸みの大きい方」が真上になるようにパックの中に入れられていたのです。

 卵の中には、産卵後、殻を通して空気がお尻部に入り「気室」ができます。卵を保存する時、この気室が上になるように保管しておく方が鮮度が高く保つことができる、という考え方があることから、パックの中の卵は、すべて「(気室がある)お尻」を上に向けるようにパックの中に入れられていた、というわけです。

 卵の鮮度が置き方によりどのように変わるかは実際のところわかりません。しかし、卵のパック工場から、スーパー店頭、そして自分の家の冷蔵庫に至るまで、鮮度を高く保つために、たまごが「お尻を上に向ける」ようにという考え方・工夫がされていることを知る、というのは何だか少し「新鮮」です。食べ物が並ぶスーパー店頭には、一体どれだけの「工夫」が並んでいるのでしょうか。

「パックの卵」は「お尻」が上になっている!?「パックの卵」は「お尻」が上になっている!?






2011-10-31[n年前へ]

ゆで卵、これが「ベストな剥き方」だ!? 

 「ゆで卵の殻」を割るとき、あなたはどんな風に割るでしょうか?

 もっとも少ないエネルギーで卵の殻を割ろうとしたならば、尖ったものに対してゆで卵の「胴の部分」を打ち付けるのが一番良いやり方です。なぜかと言えば、殻の曲率が低い箇所は外からの力に対して強度が低く、かつ、殻のごく狭い部分に応力を集中させることで殻を容易に破壊することができるからです。

 しかし、殻に対して応力を「一点集中」し破壊するというやり方は、「ゆで卵の剥き方」としては、それほど上手いやり方ではありません。なぜかと言うと、そういう「殻の割り方」をしてしまうと、殻が細かくひび割れてしまうので、実は割れた殻を剥きにくくなってしまうからです(右写真)。

 「殻が細かくひび割れてしまうのがマズイ」となると、こんなやり方が最高に思えます。それは、「平らなものに対して、曲率が低いゆで卵の胴の部分を打ち付ける」というやり方です。すなわち、(強度が低く・曲率も低い)ゆで卵の「腹」の部分を、平らなものにぶつけて幅広~く(粉々にならないように)割ってやろう、というやり方です。実際にこのやり方で「ゆで卵」を割ってみると、広い領域を・大きく(粉々でなく)殻を割ることができるますから、簡単にゆで卵を剥くことができます(右写真)。

 この「平らなものに、ゆで卵の胴の部分を打ち付ける」という「ゆで卵のベストな剥き方」に対して、ゆで卵を製造する各社が提案する「オフィシャル・お勧めな”茹で卵の剥き方”」は、実はこんな方法です。

 卵のお尻(太い端っこ)を割り、2cmくらいの幅で逆の端まで、薄皮ごと縦に殻を剥きます。
 この割り方は、「卵のお尻部分には気室があって、卵の殻・薄皮と白身が離れている」という「制約条件」に基づいています。卵のお尻部分は、白身と殻・薄皮が離れているので、簡単に剥くことができる、という理屈です。

 しかし、私が数多く繰り返した実験結果では、ゆで卵の気室はお尻部分にあるとは限りません。すなわち、ゆで卵の製造過程を経て、気室がお尻以外の部分に移動してしまうことも多いものです(たとえば、セブンイレブンで販売されている「ゆで卵」の場合は、33%もの高確率で!?お尻以外に気室がありました)。すると、殻の曲率が高いお尻部分を割るのは「(殻が堅いために)力は要るし・応力がお尻の狭い部分に集中してしまうので、殻が細かく割れてしまう」というわけで、ゆで卵の殻はとても剥きにくくなってしまうのです。

 「あなたのお勧めの、ゆで卵の剥き方」はどんなやり方でしょうか?


 「ガッて机にうちつけてゴロゴロってカラを壊すように転がして壊れた部分を帯状に薄皮ごと取り除いて残った上下部分をポコってはがす」説

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