hirax.net::inside out::2013年10月

最新記事(inside out)へ  |   年と月を指定して記事を読む(クリック!)

2013年9月 を読む << 2013年10月 を読む >> 2013年11月 を読む

2013-10-01[n年前へ]

週刊プレイボーイ「胸チラ研究所」 

 今週の週刊 プレイボーイ(2013年 10/14号)の「胸チラ研究所」に遊びに行ってきました。遊びに行った先の内容は、「女子100人に聞きました~胸チラ赤裸々アンケート」や女性タレントのチラリ体験や男性100人アンケート…そしていつもの定番?な数式解析です。

 タンクトップ・U字カットソー・ゆるシャツ・V字セーター…お辞儀ポーズをした時に、胸元がどんな風に見えてしまうか?という実験などは、その場にで参加してみたくなるかも…ですね。

週刊プレイボーイ「胸チラ研究所」






2013-10-02[n年前へ]

写真のジオタグに必須な「撮影方向」 

 シアトルの街並みを、同じ窓から朝と夜にiPhoneで撮影しました。その2枚の写真、朝と夜に景色を、1枚の風景として合成してみました。つまり、東(左)には朝の景色が見えて、西(右)には夜景が拡がっている…という「昼も夜も(Night and Day)」な写真です。

 写真に位置情報、いわゆるジオタグが付けられていることも多いものです。けれど、そこに付けられているのは、単に撮影位置・時間情報だけだったりすることが多いものです。

 しかし、「何かを写す時」には、撮影位置(時空間位置)だけでなく撮影方向、つまりどの視点からどんな風に被写体を眺めたかという相対関係こそが大切なのではないか、と思います。だから、写真のジオタグ情報には、撮影方向情報も標準で付加しておくべきだ、と思うのです。

写真のジオタグに本当は必須な「撮影方向の情報」






2013-10-03[n年前へ]

小便器で飛沫を飛ばさないコツは「真ん中を外した左右・水平より少し下目」を狙うこと!? 

 小便器で飛沫を飛ばさないコツは「真ん中を外した左右・水平より少し下目」を狙うこと!?を書きました。

 街中の施設中にある小便器に、小便を狙うための「ターゲット」が貼り付けられていることがあります。 たとえば、右上の写真の小便器をよく見ると、向かって左下あたりに「ターゲット」シールが貼られています。 つまり、「この位置に放水作業をすれば、飛沫が飛びにくく、周りを汚しにくい」という位置が、狙いを付けやすいようにマーキングされていたりします。このマーク、貼り付けられている位置を観察してみると、小便器の(左右方向)中央でなく、規則正しく中央からズレた位置に貼り付けられていたりします。これは偶然なのでしょうか?

小便器で飛沫を飛ばさないコツは「真ん中を外した左右の水平より少し下目」を狙うこと!?小便器で飛沫を飛ばさないコツは「真ん中を外した左右の水平より少し下目」を狙うこと!?






2013-10-08[n年前へ]

空に浮かぶ氷プリズムが見せる「幻の7色太陽」 

 午後、「幻日 (げんじつ)が出てますよ!」と言われ、南空を眺めると、本当に大きな幻日 (げんじつ)が浮かんでいました。

 雲中にある六角板状の氷晶が(落下の際の空気抵抗のために)地面に対し水平に浮かぶと、氷晶が頂角60度のプリズムとして働き、氷晶により屈折した太陽光が幻日を作り出す。
 上空の温度と、風の状態と、そして太陽の差し込む条件が重なり生み出された幻灯が写す風景は、少しばかり綺麗です。

 ここ数年、可能な限り、11月の満月の夜はチェンマイで過ごすことに決めています。その夜は、お祭りが開かれて、たくさんの灯籠が上空へ浮かび流されて行き、その祭り景色を眺めてる瞬間は「何だか、今この瞬間なら、向こうの世界に行っても後悔しないかも…」と考えたりします。逆に言えば、そんな景色を見ることができなかった年には、あの景色を(来年)眺めるまでに何かあったら地縛霊になってやる~と思ったりします。

2013-10-09[n年前へ]

赤外線カメラでトランプ透視術!? 

 100円ショ)ップに「ジャンボトランプ」と「黒い巾着袋」が置いてあったので、(撮影波長が900nmくらいの赤外線カメラを使ってトランプ透視術をしてみました。

 (可視光しか見ることができない)自分の目で眺めれば、トランプは真っ黒な袋の中に隠されて、何のカードが入っているのか全然わかりません。

 けれど、赤外線カメラで眺めれば、真っ黒いはずの・けれど透明な巾着袋の中には、クローバのキングが一番上になっている…という風にわかるというわけです。

 可視光と近赤外線で同時撮影することができたなら、たとえば、RGB(可視光)画像とIR(赤外)画像を適度な比率で合成することができるような「透視術カメラ」を作ってみたくなります。つまり、私たちが眺める色も保ちつつ・自由自在にモノを透かして見ることができるカメラが欲しくなります。

 Lomography の アクションサンプラー みたいに、たとえば4つのレンズが並んでいて(ベイヤーマトリクスの1/4がIRという作りでもいいですが)R+G+B+IR を同時撮影できるカメラ!なんてモノがあったなら…思わず欲しくなりませんか?

赤外線カメラでトランプ透視術!?赤外線カメラでトランプ透視術!?






2013-10-10[n年前へ]

「短いスカートが体に悪影響を与えることが科学的に証明されました。」 

 「短いスカートが体に悪影響を与えることが科学的に証明されました。」というポスターを見かけました。 「体温低下と免疫低下の相関、および、体温低下から生じるかもしれない血圧上昇からの心臓負担増加」を見積もり、短いスカートは体に悪いかもしれない…短いスカートは病気になりやすかったり・直りにくかったり、心臓負担増による健康傷害が起きるかもしれない」と謳うポスターです。

 ちなみに、「短いスカート」というのは、(ポスターを眺めると)標準長さを膝位置スカート丈として、(それより)15cm短いスカートを指しているようです。つまり、スカート丈が15cm短くなると、体温が下がり、体に悪い・・・と謳っているわけです。

 スカート丈が(膝位置から)15cm短くなった時、気温や風速などの条件にしたがって、体から奪われる熱量がどの程度になるかの見積もり計算をしてみると面白そうです。

 1年365日・四季の気温と風速を考えた上で、スカート丈と(体から奪われる)熱量収支を計算してみようと思います。…その結果は、さてさて、どんな具合になるでしょうか?

「短いスカートが体に悪影響を与えることが科学的に証明されました。」「短いスカートが体に悪影響を与えることが科学的に証明されました。」






2013-10-16[n年前へ]

続 「駅ホームの黄線ルール」と「友だち以上でも友だち以下でもない」 

 「駅ホームの黄線ルール」と「友だち以上でも友だち以下でもない」で書いたホーム端部の黄線が合体して1本になってしまう場所は、少なくないようです。ホームが狭そうな駅に降り、ホームの端っこに行って見ると、結構な確率で2本の黄色線が1本に合体しています。

 鉄道のホームには「ここから先にはいかないで下さいね」という黄線が引かれています。ホームで列車を待つ時は、その黄線より内側にいなければなりません。それが黄線が示す「ルール」です。…(しかし、ホーム端部に向かって)歩いて行くと、そこにはまさに「矛盾」が立ちはだかります。ホーム端部はとても狭くなり、ホーム両端に引かれた2本の黄線が…いつの間にか1本に合体してしまうのです。

 もしかしたら、「ここより外側にいちゃダメよ」という黄色い線が1本になってる場所は「矛盾してる場所」ではなくて、そういったホーム端部で電車を待っていてはいけない場所なのかもしれません。電車がホームに着いてから、ようやく(電車に乗るために)歩いて良い場所なのかもしれないと、ホーム端部の1本黄色線を訪ねて歩く小旅行をしながら考えました。

 ホーム端部の黄色1本を見ながら、身の周りの景色をよくよく眺めてみると、意外に考えさせられる面白いものが隠れていたりするのかもしれない、と考えます。

 好きな女の子にラブレターを書いたら、「(あなたは)友だち以上でも、友だち以下でもありません」という返事が返ってきた。…ボクって、つまり何?存在し得ない存在ってこと?

続 「駅ホームの黄線ルール」と「友だち以上でも友だち以下でもない」続 「駅ホームの黄線ルール」と「友だち以上でも友だち以下でもない」






2013-10-17[n年前へ]

日経新聞「プレゼン」インタビュー記事 

 先週土曜、10月12日の日経新聞にインタビュー記事が掲載されていました。東京オリンピック開催決定で「プレゼン」が人気キーワードの今日この頃、そんな「プレゼン」特集記事でした。記事内容は、「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書)」に書いた内容+アルファです。

 …そういえば、技術者が行うプレゼンテーションを考えたとき、それらの技術者が行わなければいけない「プレゼン」と、いわゆるプレゼン本が扱う内容の間には乖離があります。たとえば、テクニカル・プレゼンテーション講習会に来る方に、「ふだん、どんな場で"プレゼン”をしてますか?」と訊くと、その内容は「プレゼン」という言葉よりは内部での報告とか(答えの存在しない)赤ペン添削テストのような印象のものも多かったりします。(続く)

日経新聞「プレゼン」インタビュー記事






2013-10-18[n年前へ]

Maker Faire Tokyo 2013 に行ってみる!? 

Maker Faire Tokyo 2013  2013年11月3日(日)&4日(祝)に日本科学未来館で開催されるMaker Faire Tokyo 2013 に参加してみることにしました。お祭り景色は、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々(そんそん)…というわけで、科学未来館 1F オリエンテーションルーム1の入り口近くで、何かしら作ったものを展示・参加予定です。

 ん? 何かしら作ったもの?「何かしら」って一体全体何のことでしょう?…というわけで、つまりは、まだ作り上げておらず、今朝も一進一退の試行錯誤で作成作業続行中というわけです。うぅ。

2013-10-19[n年前へ]

「すべてが水の泡」になる!?Twitter連動 ”バブルジェットディスプレイ” 

Maker Faire Tokyo 2013 に行ってみる!? …というわけで、Twitterで(専用アカウント @awatwi 宛に)つぶやくと、そのつぶやきを水の泡で描き出す”バブルジェットディスプレイ”を作ってみました(現物はMaker Faire Tokyo 2013の科学未来館 1F オリエンテーションルーム1の入り口近で展示予定です)。コンセプトは、ふとしたときに生まれる「つぶやき」なんて、まるで小さな泡みたいな存在だから、そのつぶやきに似合った表示形態を作ってやろう!というものです。

 このTwitter連動 ”バブルジェットディスプレイ”には不具合がたくさんあって、たとえば、「つぶやき」内容をよく知ってないと泡が描く文字を読めとることができない(それどころか、内容を知ってても読めないことだって多い!)なんていう大欠陥すらあります。

 けれど、そんなことはどうでも良いのです。だって、このディスプレイ自体(あるいはそれを作るまでの試行錯誤)だって、すべてが丸ごと「水の泡」を体現したものなんですから。

 みずのあわ【水の泡】
  ① 水の上に浮かぶ泡。
  ② はかなく消え去るもの。
  ③ 努力や苦心などがむだになること。
    「せっかくの苦労も―だ」

 …うーん、何だかまるで人生みたい。というわけで、11月3日/4日は、こんな「水の泡」を東京湾のお台場で浮かべているつもりです。

2013-10-20[n年前へ]

11月の満月の夜に、空にカメラを浮かべてみたい… 

 11月の満月の週は、タイのチェンマイに行きます(たぶん)。ローイ・ローイ・ロイカトーンなロイクラトン、イーペン祭りを眺めに行きます。…その3日間、チェンマイの街は、昼も夜も、あるいは学校の校庭や川べり・街の通りやホテルの窓、ありとあらゆるところで、空へ灯籠が流され続けます。

 今年やってみたいと思っていることは、熱灯籠(あるいは熱気球)か凧かラジコンヘリからの、空に浮かぶ灯籠の空撮です。その準備のために、4月はバンコクで熱気球実験をしてみたりした(けれど大失敗した)のです。

 …そんなこんなで、カメラ付きのクアドコプターAR.Drone 2.0 Power Editon(大容量バッテリー) を買おうかどうか悩んでいる、今日この頃です。気球にカメラを結びつけるか・空にヘリを飛ばしてみるか…とにもかくにも、空にカメラを結びつけて浮かべ、遙か彼方の上空へと流されていく灯籠を写してみたいのです。

2013-10-21[n年前へ]

「その真実を知らないと未来永劫まで地縛霊になってしまう!」と思ういくつかのこと 

 「その真実を知らないと、未来永劫まで地縛霊になってしまいそう!」と思うことがいくつかあります。…それはヒッグス粒子の存在の理解とか、宇宙を動かす原理とか、そんな宇宙の普遍の原理ではなくて、三億円事件、帝銀事件、狭山事件、グリコ森永事件、京都長岡ワラビ取り殺人事件…そんな昭和に起きた事件の真相を知りたい、ということだったりします。

 三億円事件・帝銀事件・グリコ森永事件といった事件の真相を、もしも知ることができるなら、「1万円くらい払ってもいい!」と思う人たちが、100万人くらいはいそうに思えます。1万円/人×100万人を計算すると…100億円!ということになるわけですから、つまりは、あの事件の真相は100億円くらいの価値があるわけです。逆に言えば、その真相が明らかにならないまま・埋もれてしまうということは、100億円が(赤城山山中に消えた徳川埋蔵金のごとく)埋もれ・失われてしまうことと同じ!ということになります。

 そんなことを考え出すと、「あぁ”~ 真実が知りたい!」と叫びたくなります。「その真実を知らないと未来永劫まで地縛霊になってしまう!」とつくづく思います。

2013-10-23[n年前へ]

「意識」という「プログラマブルな状態変数」 

 生物が持つ「意識」というものは、生物の「状態」を湿す制御理論で言うところの状態変数みたいなものなのだろうか?と、ふと考えました。

 生物がより広く多く生存していくために進化する過程で、「状態」に応じた対応をした方が生き残っていくために便利・優位だから、そんな状態量・意識を持つに至ったのかもしれない、と考えたのです。たとえば、ほどよく暖かいと生存に有利ですから、「ほどよく暖かかったら、そこをポジティブ=心地良いと判定し、それに応じたフィードバック動作をしよう」と思うと、温度や(その)積分値を保持したくなります。…つまりは、それが意識・感情の原始の姿なんだろう、と感じたのです。

 そして、その後、「状態変数」間で情報共有を行うことが可能な「言語」というものがが生まれ、いつしか、意識 が言語というもので表現されるに至った…当初は単なる値(状態量)を記憶するだけの領域だったはずのものが、それが実はプログラム可能な(プログラムを置いて、プログラムを動かすことができる)システムだと自然が気づき・単なる値という存在から姿を変えていった…それが今の生物の意識というものなのだろうか?などと、妄想しました。

2013-10-26[n年前へ]

飛行機が着陸時に伸ばす延長翼は「隙間が空いてる」方がイイんです!? 

飛行機が着陸時に伸ばす延長翼は「隙間が空いてる」方がイイんです!?を書きました。

 飛行機が着陸時に伸ばす延長翼は、隙間が(心理的に)大きく見えて・心配になってしまったりしますが、意外なことに「隙間がある」方が実は良いのです。…次の飛行機の着陸に「隙間のある翼」を見たら今度は心配でなくて安心できるかもしれないですね。

2013-10-28[n年前へ]

「自分だけの世界」をウェアラブルにまとう世界 

 コント達者・リアクションのプロフェッショナルな方々が(視野角が広く・全周囲を自由自在に眺めることができるヘッドマウントディスプレイシステムである)Oculus Riftを掛けながら演じる「すれ違いコント」を拝見しました(Powered by @GOROmanさん)。

 昔ながらの落語でも、あるいは漫才でもコントでも…普遍的に面白い状況のひとつが、人の間のすれ違い行き違いです。たとえば、コンビニの店員とお客間の会話、あるいは友人同士の会話、互いの言葉や意図にすれ違いが生まれる状況は、笑いや(時にそれ以外の何かも)感じさせます。そんな極端な例が、コント演者の1人がOculus Riftをかぶり「他の演者たちとは違う世界を眺めている状況」かもしれません。そんな「すれ違いコント」を楽しみました。

 Sonyがウォークマンを出した時、「これは画期的なモノだ!」と思いました。それまでの時代は、「音・音楽」は特定の場所でしか聴くことはできなくて、逆に言えば、同じ場所にいる人たちは皆同じ音を聞いていたものでした。それが、ウォークマンが作られた瞬間、同じ場所にいても、違う音楽や違う音場を各人が聞いているのが日常になってしまいました。

 Oculus Riftを掛け「自分だけが眺める世界」を浮遊する人を見つつ、「自分だけの世界」をウェアラブルにまとう世界が間もなく来るのかもしれない、と気づきました。今の時代なら、電車の中や駅前で違う音に包まれている人たちがいるように、少し先の時代には、違う世界・景色に包まれた人たちが、すれ違い歩く日が来るのかもしれない…と考えます。

 …それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。

今日見た景色をなぜ作りたいか

 あるいは、その逆に、遠く離れた違う場所にいる人たちが「同じ景色」を見ながら、一緒に集(つど)うことが普通の日が遠くない未来に実現しているに違いありません。

 こうして、世界の姿が少しづつ…あるいは時に大きく変化していくのだな、と思います。そんな未来を垣間見た数時間でした。

「自分だけの世界」をウェアラブルにまとう世界






2013-10-30[n年前へ]

「人の錯覚」も考えて作ってあるのが「本当に真っ当なフォント」です!? 

 正方形(あるいは長方形)の紙を目の前に置き、筆記用具を取り出して、紙の中央に印を付けてみます。その上で、(紙の対角線を折るなどして)本当の紙中央を調べると、「私たちが真ん中だと思う場所」は本当の真ん中より、少し左上に位置することに気づかされます。実際、私が何人かにこのテストをしてもらった結果では、1/2~1/3くらいの人たちが(本当の真ん中に対して)左上辺りを「ここが真ん中だ!」と指差します。

 「真性活字中毒者読本―版面考証/活字書体史遊覧」に、こんな「人の錯覚例」とともに、だからフォント(書体)を描く時には、線が真ん中にあるように見せるためには、横線なら数学的な座標中心よりも上に線を配置し、縦線なら少し左に寄せるように作る、そういうことを書体デザイナーは意識的・無意識的に行っていると書いてありました。

 試しに、ヒラギノ明朝で「闇」という字を描き、門構えと音という部分、つまり「3本の横線が引かれている部分」を眺め・横線の間の感覚を計ってみると、確かに3本線の真ん中に引かれた線は少し上に寄っています(横線の間に間隔比を数字で表してみました)。数字を眺めてみると、おおよそ5パーセントほど「中央線」が上に寄っていることがわかります。

 真っ当な書体は、人の錯覚を意識して「文字が自然に見える」ように人工的な作為を凝らしている…という話など、書体に込められた工夫がとても面白く感じます。

「人の錯覚」も考えて作ってあるのが「本当に真っ当なフォント」です。






2013-10-31[n年前へ]

続 「人の錯覚」も考えて作ってあるのが「本当に真っ当なフォント」です!? 

 「人の錯覚」も考えて作ってあるのが「本当に真っ当なフォント」です!?で紹介した、「真性活字中毒者読本―版面考証/活字書体史遊覧」に小宮山博史氏が書かれている話は、書体(フォント)を作成する上での「人の錯視・錯覚を意識して調整を行う例」がいくつも書かれていて、本当に興味深いものです。

 他の例としては、たとえば、「ノ木偏(のぎへん)」の中央を走る縦線を完全に垂直な棒にしてしまうと、(ノの字型の)ハライの線の影響で、ノ木偏が左に倒れているように見えてしまう。だから、何らかの工夫が必要だといった話です。あるいは、「各」という文字は上部の(左右へハラわれるハライの影響で、各の下部にある「口」の上部が拡がって見えてしまうので、「口」を直方体として描いてしまうと、上が拡がった台形に見えてしまう(だから工夫するのが基本だ)…といった話です。

 はたして、ヒラギノ明朝(上段)と小塚明朝(下段)で、「秋」「閣」という字を描いてみました。上に描いたのがヒラギノ明朝で、下段に描いたのが小塚明朝です。

 …なるほど、ヒラギノ明朝の「秋」のノ木偏(のぎへん)の縦棒は、線下部が左側に拡がっていて、全体の(錯視分も含めた)重心として「錯視を防止して垂直に見せる」ような処理になっていそうです。また、「閣」の中にある「口」も幾何学上は「上が狭まった台形」となっていて、錯視分も含めた形として、水平・鉛直に線をなす「四角」となっているかのように 感じられます。

 それに対して下段の小塚明朝は、「秋」の「ノ木偏(のぎへん)」の上部が左に傾いているように見えたり、「閣」の中にある「口」の下部がすぼまっているように感じられてきます。もちろん、データ・電子上は小塚明朝の秋のノ木偏縦棒は完全に垂直ですし、閣の中にある口は完全な直方形です。しかし、感覚的には、形状がおかしく見えてしまうように感じられてきます。

 人の感じ方や見え方といったもの、たとえば錯視とか感覚的なものの研究は、人にまつわる色んな技術における過去のありとあらゆる技術者たちの常識をまずさらってみるのが良いのかもしれません。そうしないと、車輪の再発明を時間を掛けて繰り返してしまいそうです。

続 「人の錯覚」も考えて作ってあるのが「本当に真っ当なフォント」です!?