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2010-07-18[n年前へ]

未消化で出力されないまま「私の中でプールされ続けている種(たね)たち」 

from Radium Software.

 趣味としても仕事としても未消化のネタが、どこにも出力されることなく、僕の中に密かにプールされ続けている。ただ、だからと言って「趣味・仕事の曖昧さ」について改善を行うべきかというと、そうとも限らないと僕は考える。それよりも、ブログを趣味としてではなく、仕事の一部として捉え、定期的に出力を行う努力をするべきなのかもしれないと考え始めている。

趣味と仕事とブログ

2011-03-18[n年前へ]

「力を入れて、何かを動かせ」 

 物理学で言う「仕事」を頭に思い浮かべて欲しい。たとえば、それは「何かに力を加え、その何かが動いたとき、その力と動いた長さを掛け合わせたもの」といった具合だ。

 活躍するたくさんの人たち、そんな人たちに「仕事」についてインタビューしたものを2冊にわたって集められたのが「プロ論。 」だ。「プロ論。 」の中で語られる「仕事」を理解しようとするならば、きっと物理学でいう「仕事」という言葉を思い浮かべた方が正しい。200人近い人たちが語るのは、そんな「仕事」だ。

 何を選択するにしても、メリットもデメリットもある。となれば、自分で冷静に見極めるしかない。自分なりに勉強したり努力するしかない。もっとも危険なのは、人の意見やムードに振り回されて、安易な答えを求めてしまうことです。答えなんてどこにもないんですよ。自分の目で見て、自分で出した判断こそが、答えなんです。

しりあがり寿

 この本のタイトルともなっているプロフェッショナル-"professional"-の語源は、「目の前にいる人(たち)に話す」というという意味だ。目の前にいる人に話し、目の前にいる人を動かしていくのが、たぶん、プロフェッショナルなのだろう。

 プロフェッショナルと言えば、この本自体も、まさに「プロの仕事」だ。読んだ人間の心を確かに動かしてくれる。どの頁(ページ)にも、読む人にに力を加え、読者の心を動かす言葉に満ちあふれている。力を入れて何かを動かす人が、きっとプロフェッショナルなのだろう。

 この本に「いちゃもん」をつけるとしたら、作り手の名前が出ていないことだろう。この本を作った人たちが他に作った「仕事」を読みたくてたまらない。

2012-10-30[n年前へ]

未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」 

 お手軽に使うことができ・それでいて高機能なスクリプト言語を使うようになった頃から、少し「難しいな」と思う感じる状況が増え始めました。

 たとえば、何かのデータ処理や解析を人に依頼しようとした時、その「したいこと」を説明するには「処理作業を書く」のが一番楽で…けれど、その処理作業を書いてしまったなら(その作業を人にお願いするまでもなく)「体力溢れるコンピュータが(やりたい)実作業をしてくれる」ので、そもそも人に頼む作業とやらが目の前から消え失せてしまうのです。

 自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われる。

グライダー能力

 今日、ふと、未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」だけかもしれない…と考えました。

 「ニッチで・けれど高価なものを作る人」が残る…というのは、ニッチなもの、少数しか必要とされないものを作るには「機械」「自動化される何か」より「人」の方がコストが安いので、未来もきっと残るだろう…という理由です。

 そして、「プログラミング言語・環境開発者」が生き残るだろう…というのは、以前川合史郎さんが書かれたことに、少しだけ似ています。

 自分の子供の世代になると、「プログラムが書ける」というのは「文章が書ける」のと 同じくらいの基本的なリテラシーになるんじゃないかと思う。その時の「プログラミング」 は今より広い概念だろうけれど。

広義のプログラミング
「プログラミングという作業を単純で基本的で、つまり誰でも可能なものにする」というための「プログラミング言語・環境開発者」は、未来には、当たり前のように存在しているのではないか、それープログラミング環境ーは今の文房具のような存在になっているのではないか?と思うのです。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPO で丸山宏さんの講演を聴いたからです。丸山さんが話す「大規模データ解析」の話を聴きながら、たとえば「流行を感じつつ番組企画や雑誌特集記事を考えるという作業や、経験に沿って故障原因を探っていく保守作業や、人の動きを読み営業計画を立てる事業作成、はたまた誰かの指示に従ってプログラムを書く…といった色々な仕事・作業」は、未来には「マシン」にとってかわられているだろう…と感じたことがきっかけです。

 ここで言う「マシン」は、「調べる」「知る」「行う」作業を指し示す「何か」により作り出され・動く「何か」、です。「マシン」は「(後者の)何か」で、そして、「プログラミング言語・環境」が「(前者の)何か」です。

 近い…といっても二十年くらい先の未来、大量に作る物は(それが日常生活で消費する物品でもメディアでも)、それらは人ではない「マシン」が作り出し、人は「ニッチで・けれど高価なもの」だけを作っているのかもしれないと、ふと考えました。けれど、そんな「マス」と「ニッチ」のバランスでは、人の世界は成り立ちそうにもないな…と思います。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPOという「プログラミング・処理環境」のベンダーが主催する「場所」でした。

 人間は、決してあきらめてはならない。

「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック



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