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2011-03-31[n年前へ]

「知識を得た上でどうすべきかを各人が判断する」というバイアス 

 「災いを防ぐ=防災」ということを考えざるをえないこの時期に「原子力」についても考えを巡らせようとするのなら、そしてそのために一冊本を読んでみる気になるのなら「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」という本を、まずは読んでみるのが一番良いように思います。

  この本が「考える」ために「一番良い」理由は、関連事項について広く・深くデータを示しつつ、データの意味を具体的に定量的にわかりやすく説明しているからです。エネルギーの必要性から、関連事項を理解するのに必要な科学知識や、各種リスク評価…、本のタイトルからは想像できないくらい非常に広い範囲のことが書かれています。

 そして、何よりこの本の「スタンス=立ち位置」こそが「一番良い」と思う理由です。

 原子力関連の本には、多かれ少なかれバイアスがかかっています。そういったバイアスがほとんど見られないように思えるのは「原子力熱流動工学」といった類(たぐい)の技術テキストくらいで、それ以外の本では必ずバイアスがかかっています。

 書き手自身が無自覚のままにバイアスをかけている本もあれば、書き手がそのバイアスを意識している本もあります。「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」で著者(松野元)がこだわり続けているのが、こんな考え方(バイアス)であるように思えます。

 (原子力災害が発生した場合)住民は、関係者に十分な情報を要求し、専門家の意見を聞いて、最終的に他人任せでない決断を自らが選択しなければならない。

 少し長い引用をしておきます。これは「まえがき」の中段部分です。

 本書は当初…原子力防災の入門書を2人(松野元と永嶋國雄)で作ろうということで制作が開始された。…ところが最終段階になって、チェルノブイリ発電所事故の取り扱いについて意見調整がつかなくなってしまった。永嶋氏の意見では、チェルノブイリ発電所事故を原子力災害として取り上げるのはかまわないが、すべての章で取り上げてはいけないということであった。たとえば、想定事故の考え方についての説明のところで、チェルノブイリ発電所事故と比較することは、日本ではチェルノブイリ発電所事故は起きないことになっており、日本の原子力防災はこれを対象としていないから、これを直接比較することは意味がなく、あえて記述すると専門レベルの内容になってしまい、一般の読者(国民)を混乱させ、原子力反対論者に知恵を授けるだけのものとなってしまうので、入門書としては不適であるとした。…
 これに対して私は、日本の新しい原子力防災のあり方を住民(国民)保護という民主的な点からその有効性を検証しようとすれば、チェルノブイリ発電所事故発生は事実として直視する必要があり、たとえ許可条件的に事故が起きない設計となっていても、防災というレベルにおいては可能性が存在する限りこれを無視できないので、日本の原子力防災体制が防護するべき住民(国民)をすべてカバーできているかを、チェルノブイリ発電所事故を例としてその有効性を検証することは、入門書であっても住民(国民)にとって必要なことであり、むしろ原子力を受け入れてくれなければならない人々に知恵を授けて理解を求めることが今日的な課題であると思うので、入門書とはいえチェルノブイリ発電所事故を無視することはできないとした。この意見の違いにより、2人による共著の夢は絶たれた。
 つまり、この本に貫かれているのは「知識を得た上でどうすべきかを各人が判断しなければならない」というバイアスです。

 「どうすべきかは他人に聞く(ゆだねる)」「情報・知識で終わる」というバイアスも満ちあふれる今日この頃だからこそ、それとは違うバイアスで書かれた「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」を読んでみるのも良いように思います。

2011-10-15[n年前へ]

「原子力防災」著者 松野元さんがテレビ番組で語ること 

 今年の3月、「知識を得た上でどうすべきかを各人が判断する」というバイアスで「災いを防ぐ=防災」ということを考えるなら、それが「原子力」というものに関してであるのなら「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」という本を、まずは読んでみるのが一番良いように思う、と書きました。

 この本が「考える」ために「一番良い」理由は、関連事項について広く・深くデータを示しつつ、データの意味を具体的に定量的にわかりやすく説明しているからです。エネルギーの必要性から、関連事項を理解するのに必要な科学知識や、各種リスク評価…、本のタイトルからは想像できないくらい非常に広い範囲のことが書かれています。
 著者(松野元)がこだわり続けているのが、こんな考え方(バイアス)であるように思えます。『(原子力災害が発生した場合)住民は、関係者に十分な情報を要求し、専門家の意見を聞いて、最終的に他人任せでない決断を自らが選択しなければならない』

 この本の著者である松野元さんを中心に置いた、「原子力防災」についてのテレビ番組(NHKドキュメンタリーWAVE 伊方原発 問われる“安全神話)を見ました。

 (福島原発事故が起こって以来)自問自答を繰り返している。
 自分の人生を掛けてやってきたのに、あの福島の事故を抑えるような原子力の体制にできなかったことを、 悔しさというか残念だというか、私のできる範囲で償いというか・・・償えるかどうかわからないけれど、何かお役に立ちたい。
 50分弱ほどの番組ですが、松野さんがゆっくりと話す言葉に耳を傾けていくうちに、(戦後の日本にはとても重く響く)こんな言葉で終わる最終シーンまで、すぐ辿り着いてしまうと思います。
(エネルギー自給ということが)私の夢だったし、日本の夢でもあった。エネルギーに困らなければ、おそらく、食料にも困らない。
 (原子力で手に入れようとする)大きなメリットの後ろには、大きなリスクがある。原子力防災は「(事故になりうることが必ず)起きる」として考えるべきで、そのための備えが必要だということです。
 そして、ここから先は、私(松野)の気持ちだけかもしれないが・・・、準備をしておけば事故はないかもしれない。それが本当の願いです。
 松野さんが技術者として語る言葉を聞きながら、その言葉を出すまでの「(たとえば”安全”という”永遠に辿り着くことができない目標”に対する)考え方*」を理解しようとしてみたくなります。
*この番組中で松野さんが語る言葉には、 柴田 俊一さんがマーフィーの法則「信頼工学版」第3法則 "You can't win-you can't break even- you can't even quit the game."をひきつつ書いた言葉を重ねつつ聞くと、とてもわかりやすく自然に響くかもしれない、と思います。
 安全確保はゲームに例えて言えば、勝てない・引き分けもない・棄権もできない、というものである。つまりその仕事に就いた人は、絶えず努力をする必要があり、しかもそれでもなお永久に「絶対」という段階には到達できない。


20111001 伊方原発 問われる“安全神話” 投稿者 PMG5


NHKドキュメンタリーWAVE 伊方原発 問われる“安全神話
 “フクシマ”によって崩壊することになった原発の安全神話。その神話が形作られていくきっかけとなったのが、四国電力の伊方原子力発電所の安全性を巡って 30年近く争われた裁判である。当時、四国電力で原発設置を担当したある技術者(松野元)は、裁判後、徐々に社内で蔓延していく「絶対安全」に対して、異論を訴えたが黙殺され続けてきた。裁判資料を読み解くと、地震のリスクなど専門家の調査結果が無視されている部分も多い。第2のフクシマは防ぎたいと、今でも原発の危険性を訴える技術者の思いを軸に、現在でも“安全神話”が続く原子力発電の現場を見つめる。



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