hirax.net::Keywords::答えのブログ

2006-08-08[n年前へ]

「信じることと問いかけることの違い」

 いつものように週間SPA!を買い、鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」を読む。一人暮らしの女性が少ないことに鴻上尚史が驚いたところから始まり、カルト宗教などまで。

 信仰が人を育てるのは、信仰が「信じること」ではなく「問いかけること」だからです。神の言葉を伝える人はいても、神そのものが語らないから、人は「問いかけ」るしかなく、そこで思索的になり反省し思慮深くなるのです。 簡単に結論のでないやっかいな問題を、神の一言で片付けることは、思考し、反省し、成熟するきっかけを手放すことです。 「問いかける」対象が、簡単に答えを言うようになれば、人間は思考を放棄しバカになるのです。     「今の若者は孤独と不安への耐性がない」

2006-09-09[n年前へ]

G.ポリア著「いかにして問題をとくか」

TitleTitle G.ポリア著(柿内賢信訳)「いかにして問題をとくか」を読みました。数学の問題などを解く・答えを決定するために「どのように考えたら」よいかが、実例を示しながら簡潔に書かれていて、なかなか面白く読めました。そこで、そこに書かれていたことを、スライド1枚に(私なりの解釈で)まとめ直し、ここに貼り付けておきます。

 読みながら、「わからないことは何なのか?」がちゃんとわかれば、つまり、「求めたいものを他の言葉で説明すること」ができさえすれば、問題を解くことは(多くの場合)できるのかもしれない、と思ったのです。

2006-10-28[n年前へ]

ドクター中松ショップ

 ヘンなものを次々「発明」する「発明家」と言えば、ドクター中松だ。そのドクター中松の発明品の数々を売っている店、「ドクター中松ショップ」が私の家の近所にはある。いつか行ってみたいと思いつつ、日曜祭日が定休日だったりして、なかなか行く機会がない。
 しかたがないので、WEBショップを眺め楽しんでみる。例えば、その答えに思わず「何だそりゃー」と言いたくなる「発明家度チェック」などにトライしてみると、ちょっとした「頭の体操」「営業の勉強」になるかも。
ようこそドクター中松ショップ静岡へドクター中松オンライン - ドクター中松発明品販売正規代理店ドクター・中松オンライン 発明家度チェックDr.NakaMats.Com

2006-11-08[n年前へ]

「算数」と「物語」

 from 「算数の発想

(つるカメ算の)「仮にみんなカメだとしてみよう」というのは「フィクション」、つまり「作り話」に他ならない。しかし、最終的にはこの「作り話」にすぎないものが、真実の答えを導くから非常におもしろいのである
科学者がよく「夢想家」といわれるのは、このフィクション感覚のことだろうと思われる。ところがその「夢想」は、他人からは絵空事のように見えても、科学者本人にとっては人生観のどこかからやってきたある種の切実なリアリティであり、その学者が世界を見つめるときの…

2007-07-06[n年前へ]

物語と市場経済

 現代は大衆民主主義と資本主義と科学技術の時代である。人々は原則平等という権利と引き替えに、細かい差異化過程に巻き込まれ序列化されることを余儀なくされる。 「科学とオカルト」P.7 はじめに
 「科学とオカルト(池田清彦 講談社学術文庫)」は科学という積み木と隣り合うオカルトという積み木の姿を描く。そして、それと同時にこの本が描くのは、科学だけでなく資本主義と大衆民主主義という積み木とも隣接するオカルトの姿でもある。

 本屋に置いてある雑誌や駅に置いてあるフリーペーパーを眺めてみれば、たくさんのファッション・スタイルや数限りないグルメスポットが掲載されている。そんなたくさんの選択肢から自分なりのものを選んで自分に振りかけてみても、他人と自分の違いは、スターバックスで注文するコーヒーかホットドッグのトッピング程度の違いしかないことだって多い。

 宗教という大きな公共性も身分制という規範も存在しない現代では、自分が何者なのかということを教えてくれるものは何もない。唯一、最大の公共性であり科学は、そういう問いには原理的に答えることができない。「科学とオカルト」P.148 現代オカルトは科学の鏡である
 元サッカー日本代表の中田英寿は「自分探しの旅」へと出かけてしまい、須藤元気は格闘技のリングから「スピリチュアルな世界」へと舞台を変えた。「僕って何」という問いかけをする「一見さんに対し」、ほとんど全てのものが明確な答えを与えることはしないように、科学が一見さんが抱えるその問いに答えることはない。

 お客様は神様です。  三波春夫
 「お客様は神様です」という言葉とともに、スーパーにはたくさんのものが並び、私たちは自分が持っているお金の範囲で自由に商品を選ぶことができる。現代社会は、お金を持っている限り有効の神様チケットを持った人で満ちあふれている。それと同時に、そんな神様たちは「選択」という価格の付けられたチケットを持ってはいるけれども、選択に迷いがちで自分を見つけられない存在でもある。
 幸か不幸か、社会はこの現実社会にはないものを物語という形で流布する。「かけがえのない私」というのも、こういった物語の一つである。「科学とオカルト」P.149 現代オカルトは科学の鏡である
 消費者が望むものを誰かが生産する。需要のあるところには、必ず供給が生まれる。科学が生産できないものを現代の消費者が望むなら、そこには、必ず別の供給者が現れる。それが自由市場主義で動く現代社会なのだろう。消費者という神様は欲しいものに応じ、時には科学を選び、時にオカルトを選ぶのである。お客様という神様たちと、そんな神様たちの欲望に応える供給者が作り出していくのが、21世紀の世界なのだろうか。
(「科学とオカルト」を書いた)池田の著書は、自分で考えるとはどういうことか、結局はそれを教えてくれる本なのである。  養老孟司