hirax.net::Logos::*-05-17

2008-05-17[n年前へ]

「リアリズムというのはすべてを描くことではない」 

 リアリズムというのはすべてを描くことではない。描かないものまでもそこに潜り込ませるということである。
  赤瀬川原平 モネ「日傘をさす女」

2009-05-17[n年前へ]

「だれのものであれ人生とは・・・」 

 L・M・モンゴメリー―「赤毛のアン」の素顔  より

 だれのものであれ人生とは、与えられた機会とその時の選択、生来のものとつちかったもの、自らの意思と運命が交差して、蜘蛛の巣のようにからみあったものである。 (p.5)

2010-05-17[n年前へ]

「ずっと」も「好き」も、どこにもないから 

西原理恵子原作の、映画「パーマネント野ばら」に対する、森山京子の言葉

 誰かを愛さずには生きていけない。愛しているという思いこみでも、かつて熱烈に愛したという記憶でもいい。心の傷に蓋をし、タフな明日を迎え撃つためにも、その熱の微かな残りを抱きしめていたい。

 テレビで、おそらく宣伝番組なのだろう、映画「パーマネント野ばら」を作り上げた女優三人が「女の嘘」というものについて話をしていた。誰だろう、菅野美穂でもなく、小池栄子でもなく、池脇千鶴だったろうか、女の嘘というモチーフに対して、「女が男につく嘘」の話をしていた。…「パーマネント野ばら」に描かれているのは、そういう味の嘘でなない、ように思う。

「ずっと好き」はどこにもないから、
私は毎日、小さな嘘をつく──。
 『私は、毎日、「嘘」をつく』…けれど、それは他の「誰か」につくのではない。その「嘘」という名の物語を語る相手は、「自分自身」である。騙(かた)る相手は他の誰かでなく自分自身だということにこそ、哀しさと切なさと真実がある、と私は思っている。誰かを信じさせる「嘘」ではなく、「自分」を信じさせる嘘だからこそ、切実で哀しくて、そしてリアルなのだと私は思う。
それから、王子さまとお姫さまはキスをして、
  二人はいつまでも幸せに暮らしました―。
         そんなお話は この世に ないけど―。
 好きやずっとなんて、ないことは、
とっくのむかしから知っている。

 だから、わたしは、
毎日、小さなウソばかりついている。

2011-05-17[n年前へ]

「児玉清」と「25人の言葉」 

 児玉清が25人の作家にインタビューした児玉清の「あの作家に会いたい」 から。

 才能を競い合える場所まで行けるのは努力した人間だけです。

夢枕 獏
 そこまでの努力をしないで、才能がある・ないと言っているのはつまらない話ですよね。

児玉 清

 実際の社会は、自分のなりたいものになれなかった人が大半でしょう?

角田光代
 俳句とか数式とか、型の中に静かに収まっている、すべてを削ぎ落とした一行こそが、実は最も美しく、最も多くを物語っているのかもしれません。

小川洋子
 ずいぶん前に「愛は勝つ」という歌が流行(はや)りましたが、この世の中は往々にして愛は勝たないということをみなが知っているから、あえてこの歌を聴く。

北村薫

 25人の残りの人、たとえば江國香織や万条目学や、川上弘美がどんなことを児玉清に伝えたかは、頁をめくればわかります。