hirax.net::Logos::2009-08

2009-08-01[n年前へ]

最初はうまくいかなくても、何度でも挑戦する 

 ランディ・パウシュ「最後の授業 ぼくの命があるうちに 日本語字幕付きDVD付き版 」から。

 「最初はうまくいかなくても、何度でも挑戦する」
これは決まり文句だ。僕は決まり文句が好きだ。

ランディ・パウシュ

2009-08-02[n年前へ]

70年前の経済思想についての「衒学的議論」 

 「現代思想2009年5月号 特集=ケインズ 不確実性の経済学 」から。

 そして彼ならば、経済学者達が70年前の経済思想について衒学的議論に憂き身をやつしている様を見ることもまた、決して喜びはしないだろう。

2009-08-03[n年前へ]

「うつくしいのはら」と「パーマネント野ばら」 

 ほぼ同時期に書かれた、西原理恵子の「うつくしいのはら」、そして、「いけちゃんとぼく 」、そして、「パーマネント野ばら 」は、同じひとつのモチーフが繰り返し繰り返し書かれていて、その繰り返されるモチーフに、どうしても心動かされてしまう。

 私は私の空豆をみつけることができて、
うれしくてしかたがない。

2009-08-04[n年前へ]

「個性」と「公倍数」 

 「ぢるぢる旅行記 (総集編) 」から

 中では三人の寺男が六つの鐘で宗教音楽を演奏していた。
 大理石の壁や天井に反響してものすごい音になっていた。
 意図的にズラされた三つのリズムが公倍数の所でカキッとハマるよう巧妙に作られている。
 「すごくうまいけどイキんだとこが全然ないね」「あーそ-そ-。いらないんだよ。暑苦しー個性とか自己主張とかね」

2009-08-05[n年前へ]

西原理恵子の愚直さ 

 西原理恵子のエッセイ、マンガを読んでいると、何度か・何度も、野村昭嘉さんのことが、ひっそり書かれ・描かれています。

 彼だけは、その日暮らしの生活を送りながら、完成度の高い絵を描き続けていました。…それなのに、彼の絵は売れませんでした。

西原理恵子 「怒涛の虫」

 たとえば、「怒濤の虫 」でも、「できるかなクアトロ 」でも・・・。そんな西原理恵子を表現した市川真人/前田塁の言葉です(「ユリイカ2006年7月号 特集*西原理恵子 」)。

 そこにこそ、数多の日常漫画の饐(す)えたスポイルぶりとはまるで違って西原理恵子という書き手とその作品が読み手に与えてくれる、根底的な(あるいは根底にしかない)信頼感の、最大の根拠があるはずだ。それを「倫理」と読んでもいい。どれほどメジャーになり 、膨大な額を稼いでなお飽きぬのだと嘯(うそぶ)かれても、私(たち)が西原理恵子の批評性を信じつづけることができるのは、そうした倫理の愚直さが失われようはずもないからである。

2009-08-06[n年前へ]

山岸作品への絶対的な信頼 

 マンガ家 槇村さとるがさまざまな背景を持つ人たちと対談をした「槇村さとる対談集 」から。

 私が山岸作品に絶対的な信頼を寄せているのは、作品を描くときに、ダークなものを都合よくねじ曲げてしまったりしない人だから。同時に、どの作品にも、決して手抜きをしない、自分への厳しさが感じられるのです。

2009-08-07[n年前へ]

このごろ都にはやるもの 

 万城目学が「鴨川ホルモー 」の世界を違う筆致で描いた「ホルモー六景 」の小気味よい売り口上から。

 このごろ都にはやるもの、恋文、凡ちゃん、二人静。四神見える学舎の、威信を賭けます若人ら、負けて雄叫びなるものかと、今日も京にて狂になり、励むは御存知、是れ「ホルモー」。負けたら御存知、其れ「ホルモー」。このごろ都にはやるもの。元カレ、合コン、古長持。
 人それぞれ好みは違うでしょうが、私は「鹿男あをによし 」より、この「ホルモー」の方が、学生時代の切なく貴重な空気を感じることができてとても好きです。そして、「鴨川ホルモー」より、(各話が各所で繋がっているとはいえ)短編集な分、序盤に飽きを感じないところも良いように思えます。

鴨川ホルモー 」を半分程度読んだ辺りで、「ホルモー六景 」を同時並行的に読むのも面白いかもしれません。

「Girls be ambitious」
何だか、少しだけ元気が出てきた。

2009-08-08[n年前へ]

プールサイドに夏がくりゃ、イェイェイェイェ 

 高校生の頃読んでいたなら、きっと京都で学生生活を過ごしたくなったに違いない万城目学の「鴨川ホルモー 」中の、吉田山にある吉田神社でノリノリで踊るシーンから。

ドライブウェイに春がくりゃ
イェイェイェイェイイェイ イェイェイェイェ
プールサイドに夏がくりゃ
イェイェイェイェイイェイ イェイェイェイェ
レナウン レナウン レナウン レナウン娘が
おしゃれでシックなレナウン娘が
わんさかわんさか
わんさかワンさか
イェイ イェイ イェイェ~

2009-08-09[n年前へ]

「岸田麗子」の「キリスト」と「仏」 

 岸田夏子編・著 「肖像画の不思議 麗子と麗子像 」から。

 「キリスト教も仏教も結局は同じ事を教えているけれど、キリスト様は若くして亡くなられたから教えは厳しく、仏様は永く生きられたから、教えは穏やかなだけ」

岸田麗子

  岸田劉生が書いていた日記とともに、麗子像を眺めると、少しづつ描き方が変わる(およそ70枚にもわたる)数々の麗子像を、その描き方が変わる理由を想像しながら(これまでより)深く味わうことができる。

2009-08-10[n年前へ]

地に足のついた技術屋論 

小飼弾のアルファギークに逢ってきた  「小飼弾のアルファギークに逢ってきた (WEB+DB PRESS plusシリーズ) 」から。

 要するにどういう技術が向上すると自分は不要になるのか。もしそれが見つかったら、自分が作っちまおうよ。自分で作って最高値で売って、次にいけと。

小飼弾
 技術屋だって、自分を食わすためには自分で考えなきゃいかんのですよね。

きたみりゅうじ

2009-08-11[n年前へ]

誰かと付き合うより、自分と付き合う方が・・・ 

 マンガ家 槇村さとるがさまざまな背景を持つ人たちと対談をした「槇村さとる対談集 」から。

 誰かと付き合うより、自分と付き合う方が、大変なんです。

代々木忠

2009-08-12[n年前へ]

リリー&ナンシーの小さなスナック 

 ナンシー関が亡くなるまで続いたリリー・フランキーとの対談「リリー&ナンシーの小さなスナック 」に収められている、リリー・フランキーによる「あとがき」から。

 繊細な人でしたから、他人を無意味にほめることはなかったし、また、単なる悪口を書くような文章も読んだことがない。気の強い人ではなかったから、書かれる対象以上の重圧を自分で受け止めて、きめ細やかに文章を綴り、消しゴムを彫っているのだと僕は感じていました。

2009-08-13[n年前へ]

見巧者なくして名優なく、聞き上手なくして話し上手なし。 

 扇谷正造の「聞き上手・話し上手―市民のための講座 (講談社現代新書 535) 」から。

 見巧者なくして名優なく、聞き上手なくして話し上手なし。

2009-08-14[n年前へ]

自分につながりが見えなかった作用を「副作用」と呼ぶ。 

 枝廣淳子・内藤耕の「入門! システム思考 (講談社現代新書) 」から。

 人は自分につながりが見えなかった作用を「副作用」と呼ぶ。

2009-08-15[n年前へ]

自分の「欠点」 

 色川武大の「うらおもて人生録 (新潮文庫) 」から。

 欠点のうちで、他人にいちじるしく迷惑をかけそうなもの、これは自分にとってもマイナスが大きいから、押し殺すにかぎる。自分が生きようとする方角に、まったく沿わない欠点、これも不適当だ。
 何がいいか、それぞれ自分に合わせて考えるよりしようがないが、とにかくあまり流暢に(すらすらと)に生きようとしないことだね。生きにくくて悩むくらいでちょうどいい。

2009-08-16[n年前へ]

新しい出会いもまた楽しいけれど 

 「ニッポン放浪宿ガイド200―人生を変える旅、運命を変える宿 」から。

 人が出てベットが空けば、そこに別の人が入居する。それがGH(ゲストハウス)の自然な流れだ。新しい出会いもまた楽しいけれど、もとの仲間たちとの生活は、二度と戻らない。

 今度、今年(2009年)の春に発売された、「新・ニッポン放浪宿ガイド250 」も読んでみよう。

 それと、他の安宿ガイドとかと違って、この本の宿紹介文には、作っている人の愛情を感じます。

Amazonブックレビューより

2009-08-17[n年前へ]

廃村に旅する 

 「ニッポン放浪宿ガイド200―人生を変える旅、運命を変える宿 」から。

 僕が廃村に惹かれたのは、ひたすらそこが「退屈」で「サビシイ」場所だったからだと思う。たしかにその場所には、かつて誰かの生活があった。だが今はない。廃墟やらなにやら痕跡の残っている場所もあれば、何もかもがまるで神隠しに遭ったかのように消え、ただ荒野が広がっていることもあった。
 僕はいつもそこで、ボー然としていた。ボー然としているのが自分に似つかわしいと感じていた。

2009-08-18[n年前へ]

便利が絶対、人をダメにしてるよ。 

「3年B組金八先生」25周年記念メモリアル―すべての人に捧げる“贈る言葉” (カドカワムック (No.202)) 」の中から、直江喜一(”腐ったミカン”では決してなかった加藤優)の「贈る言葉」。

 便利が絶対、人間をダメにしてるよ。戦後が一段落して、これからバブルが来るっていう第2シリーズのころがいちばんいい時代だったのかもしれないね。

2009-08-19[n年前へ]

こっけいな「知的生活」 

 外山滋比古「ライフワークの思想 (ちくま文庫 と 1-4) 」は必読だと思う。この本の「再考知的生活」から。

 一発で勝負、何かうまい手はないか、と考える。自分で考えるより、こっそり教えてもらった方が手っ取り早い。どこかに書いてあるのではないかというので、本を読む。それを知的生活のように錯覚しているとしたら、こっけいである。
 かりにおもしろい知識をどっさり頭に詰め込んでも、成金のお金と同じで長くは身につくまい。

2009-08-21[n年前へ]

エリートが齢をとるとだんだんつまらない人になる理由 

 外山滋比古「ライフワークの思想 (ちくま文庫 と 1-4) 」の「フィナーレの思想」から。

 エリートが齢をとるとだんだんつまらない人になってくるのは、彼らが一筋の道を折り返しなしに走っているからだろう。

2009-08-22[n年前へ]

才能幻想や自己幻想にとらわれている不幸 

 右近勝吉「平凡な私が月300万円稼ぐ7つの理由 」から。

 才能幻想や自己幻想にとらわれている凡人の不幸は、ふたつあります。
 ひとつは、いつまでたっても届かない才能を追い求めて一度しかない人生を消耗してしまうことです。もうひとつは、自分が凡人だと気づいたとたんに「自分はダメだ」と思ってしまうことです。
 この本は、タイトルに惑わされずに、すべての人が手にとって頁をめくってみる価値があると思う。

 やれることを精一杯やる。そういうシンプルな姿勢が凡人力の強さです。

2009-08-23[n年前へ]

努力をしないで、才能がある・ないと言っているのはつまらない 

 「パネルクイズアタック25」の司会者、児玉清が(これまた)25人の作家にインタビューした児玉清の「あの作家に会いたい」 から(25人の作家の人選もまた素晴らしい)。これは、夢枕獏の言葉と、それに対する児玉清の言葉。

 自分に才能があるかどうかわからないため、努力して努力して、二十四時間をそのことだけのために使う。そうやってようやく神は自分に何を与えたかがわかるわけで、才能を競い合える場所まで行けるのは努力した人間だけです。
 そこまで努力をしないで、才能がある・ないと言っているのはつまらない話ですよね。

2009-08-24[n年前へ]

評論を書いたような形をつける人 

 北村薫の「北村薫の創作表現講義―あなたを読む、わたしを書く (新潮選書) 」から。

 前の誰かがいったことを引き、それにちょっとした常識的な反論をして、評論を書いたような形をつける人は嫌いだ。

2009-08-25[n年前へ]

「ナナ」と「ハチ」という分身の物語 

 小倉千加子と中村うさぎの「幸福論 」から。矢沢あいのマンガ「NANA 」に関する、中村うさぎの鋭い言葉の羅列。

 私は、あの作品が若い女の子に支持される理由がわかる。だって、自分のことを本当にわかってくれて、ずっと一緒にいたいのは恋愛相手じゃないって、皆思っている。
 私はあれを「分身」の物語だと思いました。
 そして、自分のことをすごくわかってくれるというのは、自分の分身なわけですよ。違う生き方ができる分身ね。

2009-08-26[n年前へ]

最相葉月氏のアプローチ 

 最相葉月「あのころの未来―星新一の預言 (新潮文庫) 」の福岡伸一による解説から。

 最相葉月氏のアプローチはどこまでも帰納的なところにその特徴がある。事実とデータをひとつひとつ積み重ねていく。しかし、決してそれらを総括して早急な結論を導かない。安易な図式化に対して徹底して禁欲的である。

2009-08-27[n年前へ]

課題解決の結果生じた次課題を解決することが小説を書くということ 

 児玉清が25人の作家にインタビューした児玉清の「あの作家に会いたい」 から角田光代の言葉。

 Aという小説で私なりにあることができたと思った時に、(その結果)Bという課題が生まれたとします。すると、次にBの課題を入れ込んだ小説を書くというふうに、「読み手に向けて」よりは、「自分の中にある課題を片付けていく」というのが近いですね。

 この言葉は、「ひとつの疑問をべつのかたちの疑問に有効に移し替える作業」に書いた、村上春樹の言葉と合わせて読むと興味深い。

2009-08-28[n年前へ]

勉強や興味が幅広い人は・・・ 

 児玉清が25人の作家にインタビューした児玉清の「あの作家に会いたい」 から、児玉清の言葉と、それに対する角田光代の言葉。

 実際の社会は、自分のなりたいものになれなかった人が大半でしょう?
 そういう人は、数学や物理や歴史をちゃんと勉強し、興味の幅を持っていたから、最初になりたかったものになれなかったと思うんですよ。

2009-08-29[n年前へ]

広告費不要な「100円ショップ」というキャッチコピー 

 アジア太平洋資料センター/PARC 編集による「徹底解剖100円ショップ―日常化するグローバリゼーション 」から。

 100円ショップは、そのコンセプト自体が宣伝となっているから、新規開店時を除いて、ほとんど広告を打たない。・・・おまけにいわば勝手に宣伝してもらえる。
 たとえば、雑誌ではよく「100円ショップ商品を使った収納法」「100円ショップ商品で大掃除」「100円ショップ商品で楽しむパーティー」といった特集が組まれる

2009-08-30[n年前へ]

「愛よりももっと深く」愛すると同時に「憎しみもかなわぬほどに」憎んでいた 

 永井均「マンガは哲学する (岩波現代文庫)」の、下記の(萩尾望都「半神 」の言葉を使った)文章から始まる数節がとても面白い。

 (松本大洋の「鉄コン筋クリート 」の)クロはシロを「愛よりももっと深く」愛すると同時に「憎しみもかなわぬほどに」憎んでいたはずである。

 この後に続けられていく文章を読みながら、「ナナ」と「ハチ」という分身の物語に引いた、中村うさぎがNANAを語る言葉を思い出した。

2009-08-31[n年前へ]

「空気」と「世間」 

 鴻上尚史の「「空気」と「世間」 (講談社現代新書)」の「おわりに」から。

 壊れかけた「世間」の力を、幽霊のように大きく見ては損だと僕は思っています。激しい力を持っているにしても、それは、かつての「世間」とは違うんだと、相手を見極める必要があると思っているのです。
 そして・・・