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1999-09-29[n年前へ]

五色不動のワンダランド 前編 

黒ビロードのカーテンが開く

 本WEBは色にこだわっている。今回はとある五色に関する物語である。「もしかして、iMacのこと?」と思われる人もいるだろうが、残念ながら違う。数百年にわたり東京を守っているという五色の場所の話である。

五色といっても色々ある。このiMacも実は五行説に影響されている?

 「黒天鵞絨(びろうど)のカーテンは、そのとき、わずかにそよいだ。」と黒という色で物語が始まり、
「辛子いろのカーテンは、そのとき、わずかにそよいだ。」とやはり色で終わるミステリがある。これは以前、

でも書いた中井英夫の「虚無への供物」 である。「虚無への供物」は不思議な色に彩られた小説である。その中の鍵の一つが江戸五色不動だ。現在も東京に張り巡らされている五色による結界、すなわち、江戸五色不動について調べてみたいと思う。というわけで、今回の話を楽しむためには、中井英夫の「虚無への供物」を本屋へ買いに走らねばならない。私は中井英夫の「虚無への供物」は日本が誇るミステリーの最高傑作の一つだと思うのだ。

 もう10年近く前になると思うが、「本の雑誌」に江戸五色不動が実在し、そこを巡ってみたという話があった。それを読んでから、機会があれば江戸五色不動を巡ってみたいと思っていた。ミステリーの登場人物のように、東京の街の中でさ迷い歩いてみたいと思っていたのである。そして、東京のワンダランドの入り口を見てみたいと思うのである。

 五色不動の内、目黒不動は有名であるし、目白不動は目白という地名としても残っているので有名といってもよいだろうが、残る目青、目赤、目黄不動はそれほど有名ではないだろう。そもそも、 「五色」の由来は、古代中国の五行説に遡る。木、火、土、金、水の五つの要素から万物が成ると考えるものである。

五色と五行
1青龍
2朱雀
3中央天位
4西白虎
5玄武

 それでは、その江戸五色不動の位置を示してみる。このように五色の結界の中に東京があるとは知らないで、住んでいる人も多いのではないだろうか。

東京を囲む五色の結界

(位置は極めてアバウト。また、移転したものは江戸末期に存在した位置に描いたつもりである。)

 こうしてみると、五色不動の方向は江戸城を中心にして五行説の通りになっているわけではないことがわかる。しかし、江戸城を中心としているのは確かなようだ。また、黄色が二つあるのは、移転(あるいは分裂か?)があったためだという。三代将軍家光の時代に五色不動を作らせた天海大僧正の頭の中にはどのような設計図があったのだろうか?

 さて、今回の探検のために私が持参した地図は少し古い。いや、はっきり言えばかなり古い。不動尊はしっかり載っているのであるが、これを頼りにしてもすぐ迷うのだ。大体、現在位置もよくわからないし、気のせいか地形すら違うように感じるのだ。まずは、目黒不動である。最初に地図で示してみよう。

目黒不動尊の辺り 目黒白金図 (1858)

人文社 「江戸切絵図で見る幕末人物事件散歩」より
 地図の左上辺り(一番明るい所)が目黒不動。 JR目黒駅は目黒川の場所から想像して欲しい。

 さて、その時の写真を以下に示す。これが現代の目黒不動である。

目黒不動尊
 目黒という地名は目黒不動があるからだけど...."黒の部屋"が突然出現して、そこが...
「虚無への供物」

 この目黒辺りは台地が繰り返す地形であるが、やはり目黒不動尊も台地の上にある。

 この日は目黒駅前では「目黒のさんま祭り」が開かれていた。ビールとさんまが夏の終わりを感じさせるのだ。

 目黒白金図 (1858)による、目黒不動の部分。内部の位置関係はそれほど変わっていなかった。内部に入ると龍泉寺という名前が納得できるだろう。

 また、「虚無への供物」が好きな方ならば、いきなりコンガラ童子達が出現するのには驚くはずだ。

 1858年といってもたかだか150年前である。江戸時代の圧倒的な長さから比べたらごく最近である。
 
 
 
 

 さて、あまりに重いページになってきたので、この続きは次回に。
 

2001-08-23[n年前へ]

あの小判で何が買えたの? 

「夏休みの自由研究」図書館で江戸時代の物価を調べてみた


 夏休みも終り、また忙しい生活が始まった。忙しい生活をしていると、「あぁ昔のノンビリとした時代、例えば江戸時代に戻りた〜い」なんて思ってしまう。江戸時代のお気楽な町人かなんかに生まれ変わって、ぼぉ〜っとしてみたり、祭りや火事に興奮してみたり、たまには働いてみたり、そして時には近所の町娘と恋なんかして過ごしてみたりしたいなぁ、と思ってみたりするのである。それに、江戸時代と言えば大昔なのだから、きっと物価はものすごく安いに違いないのである。平均給料がいくらだか知らないが、きっと色々なモノが安く買えるに違いないのだ。

 といっても、私は歴史にはとっても疎い(いや違った、「歴史も」だ)ので、本当のところ江戸時代がそんなノンビリとした時代だったかどうかは知らない。まぁ、知らないからこそ、適当にこんな風に楽観的に思ってしまったりするのである。

 しかし、世の中には私のような「歴史知らず人間」だけでなくて、「歩く歴史」人間のような方々も多いのである。いや、こう書くといきなり誤解されてしまいそうだ。私は別に「歩く化石」人間が多いとか、「踊るシーラカンス」人間が多いとか言いたいわけではないのである。旧人類が満ち溢れていると言いたいわけではないのである。私は、単に世の中には「歴史大好き」人間が多い、ということを言いたいだけなのだ。そう、例えば歴史大好き人間、例えば時代劇大好き人間(*1)とか幕末野郎(*2)とか戦国野郎(*3)などはきっと誰の周りにもいるハズなのである。
 

(*1) 古くは「杉さまぁぁ〜」と黄色い声を上げる杉良太郎大好き・時代劇大好きおばちゃん(いや、違ったおねえさん…)、など。
(*2) 坂本竜馬に自分を例える武田鉄也、など。
(*3) 会社から外へ飛び出し、その退社時に「江戸城」という本を後輩に渡して行くようなカッコイイ人、など。
 そんな「歩く歴史」人間の方々は私を、「江戸時代はきっと色々なモノが安く買えるんだ〜。いいなぁ〜。」などと無知にも憧れたりする素直な私を、必ずやバカにするに違いない。いや、バカにされるのは構わないのであるが、そうなると、そんな自分をちょっと情けなく思ってしまう。

 そこで、今回夏休みのぼ〜っとした気分からのリハビリも兼ねて、江戸時代と現代の物価について調べてみることにした。そして、夏休み過ぎの私が夢想する「江戸時代への憧れ」がトンチンカンなものなのか、あるいはそうでないのかを調べてみたい、と思う。つまり、今回は単に「夏休みの自由研究 図書館で江戸時代の物価を調べてみた」ということなのである。そして、「江戸時代はきっと色々なモノが安く買えるんだ〜。いいなぁ〜。」の是非を確かめることにしよう。

 とはいっても、じゃぁ、すぐに江戸時代の物価と現代の物価を比べよう、といきなり始めるわけにはいかないだろう。なんと言っても、江戸時代は実に長い。何しろ、江戸時代と一言で言っても、260年もあるのだ。その長い江戸時代の間にお金の価値(物価)がものすごく変化していたとしたら、一体どれが「平均的」江戸時代なのか判らない。

 そこで、まずは図書館に行って、「江戸物価辞典」を片手に江戸時代の間に米の価格がどの程度変化していたのかをグラフにしてみた。江戸時代の間に物価がどの程度変化していたかを見てみるわけだ。もちろん、何をもって物価の上昇具合が緩やかなのかあるいは急なのか、という基準が必要なわけで、第二次大戦後の米価格の変化も同じように示してみた。
 
 

米の価格の変化
左 : 江戸時代
右 : 第二次大戦後

 上のグラフを眺めてみると、江戸時代(幕末期は除く)は緩やかな物価上昇は見られるが、それはごくごく緩やかなものであることが判る。何しろ200年も経っても、たかだか二倍程度にしか上昇していないのである。第二次大戦後の(すなわち、たった50年程度の間の)物価上昇に比べれば、もう物価上昇はほとんど無いといっても良いくらいである。少なくとも人生50年というような時間尺度で眺める限りは物価はほとんど変化していないのである。私の記憶(とても曖昧…)があるたった25年足らずの間に、駄菓子の価格がほとんど二倍(ガリガリ君を除く)になっているのとは大違いなのだ。ということは、少なくとも江戸時代の中期辺りの物価を眺めてみれば、それを「江戸時代」と言ってしまっても良さそうに思える。そこで、

の江戸時代中期の色々なモノの価格をグラフにして並べてみる。また、それらのモノが西暦2001年の現在、何円くらいであるかを私の主観によって判断し、同じようにグラフにしよう。そして、それぞれを比較して、
  • 今の方が安いモノ
  • 昔の方が安かったモノ
を判断してみることにする。

 とはいえ、もちろん江戸時代にあったが現在はもうほとんど存在しないというようなものも多い。そこで、そういうものは現在における相当品で、例えば

  • 富くじ → 宝くじ
  • 吉原高級遊女 → 銀座の高級?クラブの基本料金
  • 町駕籠 → タクシーの初乗り料金
  • 夜なきソバ → 近所のチャルメラ・ラーメン
  • 絵本 → 写真集
  • 貸し本 → レンタルビデオ
  • 夜鷹 → ○×△■
という感じで代用してみた。「銀座のクラブ」など私の未体験ゾーンも多いので、そこらへんも実に大雑把な値である。もし、詳しいかたがいらっしゃったら、ぜひ教えて頂きたい次第である。

 また、モノの価格だけでなく「収入」の基準もやはり必要なわけで、それに対しては大工日当を用いた。つまり、収入の基準との大工日当に対して、色々なモノがいくらであるかを、江戸時代と現在とで比べてみることになる。というわけで、そのグラフが以下である。
 

大工日当を中心に見た、
青線 : 江戸時代中期のモノの価格
赤線 : 西暦2001年のモノの価格(hirax.net主観による)
緑線 : 両者の比較

 このグラフを見ると、例えば大工日当を基準にすると、一両はほぼ十万円に相当することが判る。また、砂糖などは今のほうが江戸時代よりもよっぽど安い。だから、砂糖を基準にすれば、一両は千円にしかならない。逆に夜鷹を基準にしてしまうと、何と一両はおよそ百万円に相当するのである。それほどに江戸時代の夜鷹は安かったのだろう。大変な話だ…。

 砂糖も含め、眼鏡とか町駕籠(タクシー)とか飛脚(宅急便)とか提灯(懐中電灯)とかの、いわゆる科学の力を有効活用したものは当然現代の方が安い。そして、わらじとか歌舞伎とかの現代においては希少価値の高いものは江戸時代の方が安かったのも当然である。じゃぁ、吉原高級遊女(銀座の高級?クラブの基本料金)と吉原中級遊女(銀座の大衆クラブ)の価格の違いはどう説明するのかいう疑問も当然湧いてくるわけではあるが、そういう話はどうでも良いのだ。

 何はともあれ、タクシー(町駕籠)に乗って銀座のクラブ(吉原高級遊女)に遊びに行くのが大好きな人、しかも眼鏡をかけてて、甘いもの(砂糖)が大好きなんて人には江戸時代はどうも合いそうにない。そんな人たちはすごくお金持ちでないと、江戸時代はかなりツライ時代のようである。そんな人達は、江戸時代よりも2001年現在の方が幸せに違いない。そんな輩には江戸時代はマッチしないハズなのである(根拠薄弱)。

 しかし、広い風呂(銭湯)が好きで、夜のチャルメラ・ラーメン(夜鳴きソバ)にロマンを感じ、写真集(絵本)が欲しいけど高くて買えないワタシのような人間にはやはり江戸時代がジャストフィットするに違いないのだ。チープにお気楽に生活できるかもしれないのである。やはり、「江戸時代はきっと色々なモノが安く買えるんだ〜。いいなぁ〜。」は合っていたのである(ウソ)。

 よっしゃぁ、私に合う時代はやっぱり江戸時代なのだぁ、とここまでは思ったのだが、もう少し私の生活パターンを考慮して吟味し調べてみると(調べなくても判るだろうが…)、江戸時代には発泡酒はもちろんビールは日本では一般的ではなかったのである。これでは、ビール(だけどお金が無いから発泡酒に変わったが)大好き人間の私としては致命的にマズイのであった…。う〜ん、う〜ん、ちょっと残念なんだけどだなぁ…。
 
 

2003-12-15[n年前へ]

広重レンダリング・エンジン 

 「広重が見た日本橋」CGで当時の風景再現という記事のように-絵に描かれている江戸城は実際に見えず、富士山も左ではなく右側の視界の端に位置していたことが分かった-なんて言ってしまうとあまりにも当たり前の話に聞こえてしまうに違いない。「○×が判った」なんて言ってしまうと、少しばかりつまらない。やはり、ここはその過程をもっと伝えるべきだろう。例えば、古地図の幾何補正に関する研究の中の江戸時代から現代に至る溜池地域のモーフィングなんていうのも、その面白さは「結果」で表現されるものではないに違いない。

 ところで、広重が描いたパースペクティヴ、単純なカメラではありえないパースペクティヴのような空間変換を実現するレンダリング・エンジンなんてどうだろか?特殊な幾何学変換により、実際にはありえない構図、だけど面白い構図を描き出す広重レンダリング・エンジンなんて少し欲しくなったりはしないだろうか。

2004-08-21[n年前へ]

江戸城北の丸付近の発掘現場 

江戸城北の丸付近の発掘現場








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