hirax.net::Keywords::「仏教」のブログ



2004-06-05[n年前へ]

「悟る」という言葉の定義と実際 

自分が何かを「悟る」ことを考えるときに、まずしようと思うのは、「定義すること」と「あきらめること」のような気がする。「悟る」という言葉自身にはなんとなくプラスの響きがあるのに、実際にそれをしようと思うと、なんだかマイナス方向の気持ちになってしまう。「そんなもんよね」って、思ってしまっていいんだろうか?
「悟る」とは仏教用語だと思うのですがその通り、「仏に近づく」感覚がするのです。イコール人間らしさからは遠ざかってる気がする。
Mayunezu Space Ver.6

2006-06-12[n年前へ]

裾野・茗荷谷・新橋 

 もうすぐ、ワールドカップ日本戦が始まる…という時間に、"数学大好き少年たちの憧れの先生"小島寛之さんに「最後の質問」をする(質問される方はイヤだろうけれど…)。mixiの画面を眺めてもらいながら「ケインズ理論に打たれてこの道に進んだにもかかわらず…」という、その質問の答を聞きつつ書きなぐったのが二枚目の左下辺り。「オウム事件」「仏教」という言葉がここでシンクロニシティ的に登場していますね。もちろん、村上春樹も登場してます。

年収が低くても、理系に進む人がいるのは何ででしょう?お金とは違う価値観もありますからね。例えば女性にモテるとか。だけど、理系に進んだ方が女性にモテなくなるような…?

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2009-02-28[n年前へ]

「阿」+「弥陀」=? 

 森達也の「視点をずらす思考術 」より

 阿弥陀のミダは、測るという意味、メジャーの語源だとの説もあります。アは反意を示す接頭語。つまり、噛み砕いてしまえば、阿弥陀はサンスクリット語で、「わからない」という意味を表しているのです。

p.106 多面的矛盾に満ちた「現代の不安」

2009-08-09[n年前へ]

「岸田麗子」の「キリスト」と「仏」 

 岸田夏子編・著 「肖像画の不思議 麗子と麗子像 」から。

 「キリスト教も仏教も結局は同じ事を教えているけれど、キリスト様は若くして亡くなられたから教えは厳しく、仏様は永く生きられたから、教えは穏やかなだけ」

岸田麗子

  岸田劉生が書いていた日記とともに、麗子像を眺めると、少しづつ描き方が変わる(およそ70枚にもわたる)数々の麗子像を、その描き方が変わる理由を想像しながら(これまでより)深く味わうことができる。



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