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2009-11-05[n年前へ]

経済成長率下のゼロサムゲーム 

 小島寛之「数学で考える 」から。

 どんなに個人が有望そうな投資戦略を取ったとしても、経済成長率がゼロなら、国民全員の投資収益を集計するとゼロになる。つまり、国民全員で見た場合、投資とは単なるギャンブルによって現資産の再分配をしているにすぎないことになる。

 以下は、「数学で考える 」の中で引用されている村上春樹の「パン屋再襲撃」から。

 つまり世の中には正しい結果をもたらす正しくない選択もあるし、正しくない結果をもたらす正しい選択もあるということだ。

2010-07-23[n年前へ]

ThinkPad Edge 13”の常時電源供給USBポートは便利だ!? 

 ThinkPad Edge 13”をモニター試用しています。借りているものには日本語キーボードが装着されていて、普段は日本語キーボードを使う機会がないので、記号がキーボード上のどこにあるのかわからなくて悩む以外は、とても気持ち良く使うことができています。やはり、デザインというのは大事で、赤い天板、赤いライトが光るキーボードを叩いていると、(あまりにも古い言い方ですが)普通の3倍くらい自由に早く動くことができるような気がしてきます。

 ThinkPad Edge 13”で、とても「ささやかだけれど、役にたつこと」(By レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳)だと思うのは、本体左側のUSBポートです。この左側USBポートは、本体を閉じてサスペンドしている時も、(ノートPCではあまりないシチュエーションだと思いますが)シャットダウンしている時もが電源供給されます。だから、たとえば、ノートPCを閉じている夜間にiPhoneを繋ぎ、iPhoneの充電をさせておくことができるのです。たとえば、右の写真はサスペンドしているThinkPad Edge 13”にiPhoneを(左側の)USBポートに繋いだ際の写真です。きちんと、充電が開始されているのがわかると思います。

 これは、とても便利です。USBポートは「充電のために使うもの」と考えているわけではないですが、…実際のところUSBポートを充電のために使っていることも多いと思います。つまりは、とても便利な充電器です。この便利な充電器を、PCの状態に関わらず常時使うことができる、というのは結構役に立ちます。まさに、小さいと同時に身になること、ささやかだけれど、役に立つこと、です。今日は、そんなThinkPad Edge 13”にまつわる"A small good thing"をメモしてみました。

"You probably need to eat something," the baker said."I hope you'll eat some of my hot rolls.You have to eat and keep going. Eating is a small, good thing in a time like this," he said.

A Small, Good Thing

ThinkPad Edge 13”の常時電源供給USBポートは便利だ!?






2010-10-26[n年前へ]

「答え」は一体どんなものだろう!? 

 「ひとつの疑問をべつのかたちの疑問に有効に移し替える作業」という言葉は、村上春樹が「小説とは何か」という疑問に対して「神の子どもたちはみな踊る 」の中で出した答えです。

 いくつかの疑問に対して、その答えが一体どういうものなのだろうかと考えていたときに、とりあえず思いついた答えが「次の手がかり(ポインタ)を何らかの形で与えるもの」というものでした。正しい・正しくない・・・そのどちらにたどり着くのかはわからないけれど、とにかく何かの手がかりがあるということが、少なくとも「答え」に関するとりあえずの必要条件なのではないだろうか、と考えたのです。そして、そんなことを考えながら、先の村上春樹の言葉を思い起こしたのでした。

 その逆を考えてみます。つまり、「次の手がかり(ポインタ)」を提示していない言葉を考えてみれると、たとえば、何らかの提案が含まれていない言葉や、あるいは、単なる堂々巡りの言葉といったものがあるように思います。とりあえずであっても、そういったものは何かに対する「答え」ではないような気がするのです。

 ところで、「小説とは何か」という疑問に対する答えと、「答えとは何か」という疑問に対する答えがとても似ているということは、もしかしたら、もしかしたら、小説とは何らかの答え・・・なのかもしれません。

 Aという小説で私なりにあることができたと思った時に、(その結果)Bという課題が生まれたとします。すると、次にBの課題を入れ込んだ小説を書くというふうに、「読み手に向けて」よりは、「自分の中にある課題を片付けていく」というのが近いですね。

角田光代@児玉清の「あの作家に会いたい」

2011-05-29[n年前へ]

「旅」という言葉を「人生」と置き換えて読んでみる 

 「”一周とか縦断とか”の旅はなんだかちょっと、人をわくわくさせます」というワクワクさせるアジテーションから始まる「野宿野郎」(急いでつくった)3号を読んでいると、村上春樹の言葉が差し込まれていました。

無目的にただぶらぶら旅してまわるのも、 もちろん楽しいけれど、経験的に言って、 ある程度そういう目的みたいなものがあったほうが、 旅行はうまく運ぶことが多い。

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』

 よく、人生を「旅」に例えることがあるように思います。「人生という旅」といったフレーズを使うことも多いように思います。

 人生が「一種の旅」であるならば「旅全般について成り立つことは、人生についても成り立つ」のかもしれません。

 たとえば、村上春樹の言葉を、「旅」を「人生」と置き換えて読むのなら、それはこんな具合になります。

無目的な人生も楽しいけれど、経験的に言って、
ある程度目的みたいなものがあったほうが、
人生はうまく運ぶことが多い。

 「いい旅のためのガイドブック」はたくさんあります。もしかしたら、そんな旅のガイドブックを、その中にある「旅」という言葉を「人生」と置き換えつつ読んでみれば、その奥深さが見えてくるかもしれません。何しろ、そのタイトルは「いい人生のためのガイドブック」というように置き換えることができるからです。

 最後に、「アジアからイギリスのロンドンまで、乗合いバスに乗っていくこと」を目的として始めた旅について書いた沢木耕太郎『深夜特急』、その最初に書かれている言葉を書き留めてみます。酔狂なにも思える目的に向かい、時間と力をかけ続ける旅を読むと、無性にワクワクさせられます。

 人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ。

沢木耕太郎『深夜特急』
 しとしと雨が続く梅雨の季節には、紀行本や旅行ガイドブックを読みつつ、無目的にぶらぶらとする魅力、目的を持って歩く意味に思いを馳せてみるのも、一興かもしれません。



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