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2009-02-04[n年前へ]

ピッチャー体質とキャッチャー体質 

 酒井順子「入れたり出したり (角川文庫) 」より。

 ピッチャー体質というのは、「聞く」よりは「話す」方が得意な、自己主張タイプ。相手に自分の投球を受け止めてもらうのが当然と思っているので、他人の球を受けるのは得意ではない。
 対してキャッチャー体質の人は、どんなクセ球もワイルドピッチも受け止めようとします。クセ球をうまく身体でとめることができた時は、職人としての幸福感すら覚える。基本的にはどんな人とも合わせることができる、キャッチャー体質の人間。
 誰のことも受け入れてくれる娼婦は、時に聖女にたとえられます。が、彼女は別に自費の気持ちから男性を受け入れているわけでもなかろう。能力としてできてしまうから、そしてそうするしか道がないから、来るものをただ受け止めてあげる、そのひたすら受容的な態度が、見ようによっては聖女に見えるのだと思う。
 雑誌には「聞き上手は、生き方上手」なdと書いてありますけれど、聞き上手の方が、本当はよっぽどタチが悪いということも、あるのです。・・・キャッチャーはピッチャーの女房役といっても、両者の関係は実は、一妻多夫。相当したたかでないと、多夫など操れぬはずです。だとしても・・・否、だからこそ、私はキャッチャーというポジションにつく人を、これほどまでに好むわけですけれど。

2009-02-06[n年前へ]

「旅/旅行」と「性/性交」 

 酒井順子「入れたり出したり (角川文庫) 」を読み、目から鱗が落ちるように感じた数節の続き。

 「旅」と「旅行」。この二つの単語の関係は、「性」と「性交」の関係と似ているような気がします。
 私たちが持つ「旅」に対する思いも「性」に対する思いも、人間本来の根源的欲求というか、消し得ない魂というか、その手のものでありましょう。・・・その精神には何ら濁りがないからこそ、「旅」も「性」も、単体で見ると崇高な感じすら漂わせる文字なのです。
 しかしそれに「行」なり「交」なりといった文字をつけて、具体的な行動を示す単語になると、印象は変わります。「旅」と「性」に比べると「旅行」も「性交」も・・・精神がいくら崇高でも、実際の行動はえてして精神通りにはならないのですよ、ということを「行」や「交」の文字は示すのです。
 一人でする旅行為は「一人旅」と言い、「一人旅行」とは言いません。対して複数人数で旅行為は、「団体旅」とか「修学旅」とか「新婚旅」とは言わないように、「旅」ではなくて「旅行」になる。同じように、性交は一人で行うものではなく、二人もしくはそれ以上が関わる行為に対して使用される言葉なのです。



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