2006-09-25[n年前へ]
■「私たち自身」@みんなの意見
from n年前へ.
(私たちのイメージの中の)「テレビニュース」という言葉は、「私たち自身」という言葉と入れ替えることができるに違いない。 「テレビニュース」が世の中に与える影響は? -> 悪い 「テレビニュース」は信用できる -> No 「テレビニュース」はあなたの人生にとって なくてはならないものですか? -> Yes
2007-07-15[n年前へ]
2007-07-26[n年前へ]
■「二十年」
from n年前へ.
1985年発行、つまり、ほぼ二十年前に発行された「科学技術を考える」(グラフィケーション編集部 編)には、坂村健、渡辺茂、村上陽一郎、竹内啓ら19人による対談11編が収録されている。 1985年というと、つくば科学万博が開かれていた頃だ。しかし、その内容は決して古くない。それは、次の文章を読むことで、まざまざと実感させられることだろう。「万博会場の自動翻訳機を使って、エスキモーとケニア人が対話している。いまや、世界中が科学の力で結ばれている。ロボットにピアノを弾かせたり、似顔絵を描かせることが流行している。しかし、そんなことができたからといって、世界中に渦巻いている異民族間、異文化間の問題が何か一つでも解決したわけでもない」 坂村 健は対談相手の端山貢明にこう語る。「技術の進歩が早い、早いとよく言われますが…新技術が研究されてから一般化するまでに二十年かかる」
この言葉は今から二十年前に交わされた会話である。「二十年前の過去」の未来を振り返ってみることもとても良いのかもしれない。「二十年前の過去」の未来はまさに今現在であるのだから。
「 都合の悪いことはいつもくりこむ。ほんとにそれでいいのかな 」
「都合の悪いことはいつも繰り込んで、そして、いつでも幸せを探す」だって、みんな人間なんだもの。
好きになった女性の素敵な笑顔をみるたび、それがDNAの膨大な組み合わせの中に存在する、「たった1つ」の結果であるということに、「あぁ、本当に良く組み合わさってくれたなあ」と、思います。
今も、私が大学で勉強する必要性はわからない。けれど、少なくとも、彼女に立派な「大人」になったと認められたいために、彼女に追い付くために、今日も私は学校へ行く。
2007-09-06[n年前へ]
■「バカでヘン」
男の子は皆「バカでヘン」です。女の子は「意地悪」
ちゃろん日記2000(仮)を読んだことのない人は、ぜひぜひ読んでみて下さいな。私の今でも一番のお気に入り。
ちなみにそのまま大きくなるので、「オトコ」という生き物も基本的に「バカでヘン」だと思って間違いありません。
もしも本当に、「前世」というものがあるのなら、私の「前世」は、絶対に男だったと思う。ちゃろん日記(仮) 1997/09/07
「バカ」と「意地悪」が共に暮らす人間社会。いろいろあって当たり前ですね
2007-09-13[n年前へ]
■「理系」と「化けもの」
「それのどこが未踏なんですか?」という뿉떿쳤ꓤ죣좽꒬ꓞ꒹ꆣ人の記憶は、自分の都合の良いように変わる。
宇宙は永久に怪異に満ちている。しかも、私は記憶力が悪い。だから、次に書く言葉も多分間違っている。そして、自分の都合の良いように、きっと書き換わっている。だから、きっと間違っていることが、次に続く。
あらゆる科学の書物は百鬼夜行絵巻物である。寺田寅彦の葬式で、誰かが「君はとても孤独な人だった」というようなことを言った。
化け物の出入りする世界は科学の世界である。今では、寺田寅彦が書いた随筆をたくさん簡単に読むことができる。青空文庫でも、それ以外の場所でも、たくさん読むことができる。
化け物がないと思うのはかえってほんとうの迷信である。けれど、寺田寅彦を書いた随筆を辿ることは、この瞬間の青空文庫からは、まだできない。
それをひもといてその怪異に戦慄する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。そんな随筆を辿ると、寺田寅彦が書く科学の書物や芸術の書物の中に寺田寅彦が見ていた景色、人によってはそれを化け物と呼ぶだろう景色が浮かび上がってくる。そんなものを化け物と呼ぶ人もいるだろうし、人によってはそれを人生と呼ぶこともあるだろう。あるいは、人によっては、それが"世界"だと言うかもしれない。
あらゆる科学の書物は同時にまた芸術の世界でもある。「根っからの理系人間を自認する人には使えない言葉」でも「定量的に評価不能じゃないですか」と突っ込まれる表現でも、きっと社会や人生は根っからの理系世界でも定量的に評価可能な世界でもない世界にはそんな見方・現し方ことふさわしい。だから、
ぼくが恰好悪いと感じるだけで作る理由としては充分じゃないですか。だから、他の何の誰かの名前を借りた理由も頼るわけでなく「ぼくが恰好悪いと感じるだけで、作る理由としては充分じゃないですか」という言葉はシンプル、かつ、綺麗に響く。たぶん、これ以上綺麗なものはない。それを、他の何の誰かの名前を借りて表現しようとした途端、綺麗でなくなるように思う。
ぼくが恰好悪いと感じるだけで、作る理由としては充分じゃないですか。他の何の名前も借りず、他の何のルールも借りず、自分自身の言葉で書く「ぼくが恰好悪いと感じる」ということ、その正しさは、本当にシンプルで綺麗に響く。それを、社会が追いかけるかどうかは別にしても、その言葉は、本当にシンプルに綺麗に響く。
人の記憶は、自分の都合の良いように変わる。そして、その人の中の真実でしかない「人の記憶・人の過去や経験」は自分の都合の良いように変わり、そして新たな未来が形作られて行く。
人の記憶は、自分の都合の良いように変わる。人の未来は、人が作る。





