hirax.net::Keywords::「鬼門」のブログ



2010-12-22[n年前へ]

「天下一品」のある風景 

 少し前のアメトークのテーマが、京都北白川に本店があるラーメン屋の「天下一品」大好き芸人でした。ラーメン屋の「天下一品」と書いてしまうと・・・「それは違う」という人が多いかもしれません。なぜなら、「天下一品」で食べることができるのは「ラーメン」ではなく「天下一品」という料理だ、という人も多いからです。

 「平成」という時代が始まった頃、天下一品の本店に毎週行きました。一日を過ごした終わりに、北白川のバッティングセンターに行き、バットを振り回したりビリヤードやゲームやカラオケをして遊び、その後は北白川のバッティングセンター隣の「餃子の王将」に行くか「天下一品」本店に行くか悩む、というのが典型的な夜の過ごし方のデザインパターンでした。「天下一品」の目の前には、(部屋によっては)テニスコート付きのラブホテルもあったりしましたから、人によってはゲームやビリヤードではなく、テニスをして汗を流していた人もいたかもしれません。京都市街の東北に、つまり、京都の鬼門に位置する北白川の一角は、そんな場所だったように思います。

 北白川バッティングセンターに行った後は、2分の1の確率で「餃子の王将」に行き、あるいは、残りの2分の1の確率で「天下一品」本店に行ったように思います。その頃の「天下一品」のラーメンは、「量」と「ニンニクを入れるか・入れないか」しか選択肢としてはなかったと思います。少なくとも、今のような「あっさり」なんていう”不可思議な”選択肢はありませんでした。

 むしろ、そんな選択肢があった(できた)のは、「天下一品」本店のすぐ横の「王将」の方でした。ある日「王将」の麺メニューに突然「こってりラーメン(というような表現の)」ラーメン・メニューが出現し、「それってどこの天下一品?」と餃子と焼き飯を食べながらビールを飲みつつ、笑った記憶があります。

 一年ほど前、京都駅近くでテキーラをずいぶんとがぶ飲みしました。みじん切りになった記憶の中で、次に覚えているのは、深夜1時に近隣の駅から少し離れた国道沿いにある天下一品にひとり座り、天下一品のラーメンをただズルズル食べている風景です。どこをどう歩いてそこに辿り着いたのか全く覚えていませんが、その時の自分を動かしていた「天下一品を食べたい気持ち」はいくらでも思い出せる・わかるような気がします。

 深夜3時を過ぎた頃、「天下一品」を食べたくなることがあります。24時間営業の「天下一品」があれば、いつでもどこでも飛んで行きたい、と思います。

2011-08-26[n年前へ]

秋葉原近く「銭湯 燕湯」でタイムトラベルをしてみよう!? 

 秋葉原と御徒町の間に、知る人ぞ知る至高の銭湯「燕湯」があります。金閣寺が放火により焼失した1950年に建てられた燕湯は、国有形文化財にも指定されている趣がある古い建物で、第二次大戦後から今に至る歴史を感じながら湯につかり、そして、風呂上がりの汗を風に飛ばすことができます。

 真夏の蒸し暑い日暮れ時、吹きだした汗を流し落とすために燕湯に行きました。その帰り道、町歩きのために掲げられている「現在の地図」と「1856年(安政3年)の周辺地図」を見つけました。1856年ということは、燕湯が建てられるよりさらに100年前、桜田門外の変が起き・日本が多くの大地震やコレラの大流行に襲われていた頃です。

 今から150年以上前、今では幕末と呼ぶ時代が始まりつつあった安政3年に、燕湯がある場所はどこだったのだろう?と古地図を眺めてみました。すると、「下谷長者町 東叡山領」という辺りに燕湯は建っているように思われます。東叡山は、つまり、(京都の鬼門を叡山ー延暦寺 延暦寺ーが封じているのと同じく)江戸の鬼門を封じるために、南光坊天海が上野に建てた寛永寺です。・・・そんなことを考え始めると、燕湯の建物や湯の中に「数百年の歴史」が溶け込んでいるように感じられてきます。

 燕湯は、早朝6時から夜の9時まで営業していて、もちろん、貸しタオルもありますから「いつでもぶらっと歴史の湯を堪能する」ことができます。汗が体中から噴き出す暑い夏、あるいは、手足が冷えてしまう冬の寒さの中で、上野から秋葉原近くで時間があったなら、銭湯「燕湯」に入り・歴史を感じてみるのはいかがでしょうか。

秋葉原近く「銭湯 燕湯」でタイムトラベルをしてみよう!?秋葉原近く「銭湯 燕湯」でタイムトラベルをしてみよう!?秋葉原近く「銭湯 燕湯」でタイムトラベルをしてみよう!?秋葉原近く「銭湯 燕湯」でタイムトラベルをしてみよう!?






2013-12-03[n年前へ]

「起潮力」とか「遠心力」とか…説明でハマりがちな鬼門なキーワード 

 「こんなにわかってきた宇宙の姿」という本を読んでいると、起潮力の説明が出てきました。しかし、説明が間違っています。文単独だけであれば、必ずしも「間違ってる」わけではありませんが、図も合わせてしまうと完全に間違ったことが書かれています。地球上の各点で、月と地球の公転による遠心力が大きく異なっているような図は、(地球の各点は月と地球の共通重心から一定方向にシフトした円運動を描くだけなので、その遠心力は地球のどの点でも同じですから)何だかおかしいような気がします。

 つまりは、少なくともこの図に描かれていることだけであれば、「月の重力と遠心力の差」を計算すると「(単に)月の重力の差」となるので、わざわざ「遠心力」が登場する必要がないように思えてしまいます(この図に描かれていることだけであれば)。「起潮力」とか「遠心力」とかいったことは…説明文を書く際にハマりがちな鬼門なキーワードだなぁ、と思います。

「起潮力」とか「遠心力」とか…








■Powered by yagm.net