hirax.net::Keywords::「鴨志田穣」のブログ



2008-05-05[n年前へ]

「泣くことも笑うこともすごく上手」 

 ベトナム人は、泣くことも笑うこともすごく上手なんだよ。
  鴨志田穣 「女の人生の方が得(西原理恵子)」

2008-05-06[n年前へ]

「舞台裏」 

 マンガ家の西原理恵子が「サンデー毎日」に連載していた4コマ・マンガとエッセイをまとめたものが、1993年に毎日新聞社から出版された「怒濤の虫 」だ。西原理恵子は、「あのコラムは毎日新聞の担当の方が、私の文章を手直ししてくれているんです。時には、原文の姿がどこにも見当たらないほどに」というようなことをどこかで書いていた。その言葉を当然のように受け入れられるほど、確かに「怒涛の虫」はいかにも手馴れた具合で言葉が書き連ねられている。

 世間的には、それで金を稼いでいれば仕事、そうでなければ趣味、ということになるのであろうが、それではday jobをこなしながら喰えない舞台俳優を続けている人にとって、舞台は何なのだろう。
 少し前、河合さんの文章を読み、ずっと思い返していたのは、「怒涛の虫」の中の「死んだのはひとりの芸術家でした」という文章だった。
 彼だけは、その日暮らしの生活を送りながら、完成度の高い絵を描き続けていました。…それなのに、彼の絵は売れませんでした。
 「怒涛の虫」の中で、(唯一といってよいと思う)4コマ・マンガが描かれず文章だけが書かれていたのが、「死んだのはひとりの芸術家でした」だった。西原理恵子と担当編集者が書いた言葉の割合はわからないけれど、若い頃の西原理恵子の「番外編」のような内容で、なぜかずっと忘れられない。
 死んだのは、フリーアルバイターではなく、ひとりの芸術家でした。

 当時のサンデー毎日の”担当S”、今は毎日新聞で「毎日かあさん」の担当をしているのが、毎日新聞出版局の志摩和生だ。「毎日かあさん 出戻り編 4」の「後ろ見返し写真」には、フリーカメラマンの鴨志田穣の笑う姿とマンガ家の西原理恵子の後姿が写っている。この写真を撮ったのは、カメラのファインダーを覗いて、そんな景色を切り取ったのも志摩和生氏だ。そうだ、あの”担当S”氏だ。

 本が作られるまでの裏作業、写真を撮影するための作業、舞台の上で演じられる演劇の舞台裏…そんなことを見るのも良いな、と時折思う。華やかな舞台の舞台裏や、それとは程遠い舞台裏を知りたい、と時々思う。

2008-10-12[n年前へ]

鴨志田 穣 「遺稿集」 

  2007年3月20日に腎臓ガンで亡くなった鴨志田 穣の「遺稿集」 の最後、最終章はこんな風に始まる。

妻はマンガ家だった。
彼女と初めて出会ったのはタイのバンコクであった。
 西原理恵子の鳥頭紀行などを、違う側から見たこの本は、2007年3月13,20日にオンラインで公開された最終章を読むためだけにでも手に取ってみるといいと思う。たぶん、そこに綴られた内容に引き込まれると思う。
私とくらした最後の半年間
彼は詩をかいていたらしい。

ほめて
やろうと
思うけど
人生は
いっつも
全然
間に合わない

西原理恵子 「できるかな」
 西原理恵子が鳥頭紀行で描いたタイやアマゾンの風景に、あるいは西原理恵子が写る写真に、西原理恵子が描かなかった一面が重なってきて、さらに深く複雑な色合いに染まって見えてくる、かもしれないと信じる。

2010-03-29[n年前へ]

飲んでいることを忘れたいから酒を飲むという「星の王子さま」に登場する問答を。 

 角田光代の「酔いがさめたら、うちに帰ろう。 」(鴨志田穣)への書評から。

 なぜ酒を飲むのか、飲んでいることを忘れたいからだという、「星の王子さま」に登場する問答を幾度も思い浮かべた。
 いってはいけない場所は避けて生きる。それが正論だが、人生は正論にはおさまらない。生きることはかくも理不尽である。それでもこの小説が絶望に彩られていないのは、「帰りたい」、そう切望する場所を、理不尽な「僕」が諦(あきら)めることをしないからだろう。

 「酔いがさめたら、うちに帰ろう。 」の「僕」は、とても理不尽で不器用で、その理不尽で不器用な「僕」が生まれてからの話、そして、「彼女」と描く-西原理恵子-のもとに、やはり限りなく不器用に「帰る」までの話である。「帰る」ことができた一節には、「帰りたい」と切望したその場所の大きさと魅力が透けて見えてくる。

2011-06-24[n年前へ]

「上手に笑えなくなってしまった」私たち 

 録画された「仁」を観ていると、「(この幕末の時代には)笑った人が多いです。ここの人たちは、笑うのが上手です」というセリフが出てきました。

 1800年代後半、つまり幕末の日本を訪れた西洋人が口にした言葉が「この国には笑いがある」ということだったといいます。

 この町でもっとも印象的なのは男も女も子どもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった。

オズボーン,1858

 誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている。

パーマー, 1886

 いつ頃からか、私たちは、誰か他の人を見て「笑うのが上手」と感じるようになってしまいました。

 アジアの人は、泣くことと笑うことがとても上手なんだよ。

西原理恵子が鴨志田穣に言われた言葉

 2011年の、亜熱帯特有の蒸し暑い空気を感じながら、いつの間に、私たちは「笑うことが下手」になってしまったのだろうかと考えます。つまらない(限られた視界が形作る)小さな枠や思い込みという名のルールにとらわれて、いつの間に笑い・楽しむことが下手になってしまったのだろう、と嘆きます。



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