hirax.net::Keywords::「パラドクス」のブログ



2006-04-04[n年前へ]

今日以前の4月4日に書かれた記事 

 今日以前の4月4日に書かれた記事は、「大リーグ養成ギブス for ペニス」「○×を志す人の性格条件/プログラミングと体力」「双子のパラドクスと石のお金」「夏目漱石のトラウマ」 from n年前へ.

多くの宗教で、悟りを開くための修行は数限りない肉体鍛錬に満ちている。なるほど、それも納得か。とはいえ、よくありがちな肉体鍛錬にはもれなく精神鍛錬もついてきて、「赤フンドシで浜辺を走る」「ランニングをするのに何故か袴に竹刀を持つ」というようなコスプレ・プレイもついてきてしまったりもするのが個人的には難アリだ。

2006-06-19[n年前へ]

「無限の可能性と有限の時間」 

 fromn年前へ

人の可能性や能力は無限にあるの。だけど、人には有限の時間しかないの。これって、面白いパラドクスだと思わない?   J.P.ホーガン
子供達が学んでいく姿が見えます。夢が現実になっていくのが見えます。私たちには見えます。小さな彼らの、大きな夢が。あなたの中にある無限の可能性が見えます。   Microsoft "We see your potential."

2008-03-21[n年前へ]

「ちりとてちん」と「地獄八景亡者の戯れ」と「自己言及パラドクス」 

 NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」がもうすぐ終わる。エンディングに近づきつつある「ちりとてちん」では、冥土ツアーが語られる落語「地獄八景亡者の戯れ(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を演じる音声が、画面の後ろに流れているシーンも多い。

 もともとこの話は、その時その時の事件や世相流行などをとり入れて、言わばニュース性を持たせてやる演出で伝わってきたものです。

 森下伸也の「逆説思考」~自分の「頭」をどう疑うか~(光文社新書)を読んでいると、冥土ツアーが語られる落語「地獄八景亡者の戯れ(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」における、自己言及的パラドックスが挙げられていた。

 このはなしの一応の原典と見てよいものは江戸時代の小咄本にありますが、各地の民話にもあり、また欧州の民話にもあるそうで、…本当の原典は従ってよく判らないというのが答えと言えましょう。

 森下伸也「逆説思考」で挙げられている「地獄八景亡者の戯れ」での自己言及的パラドックス一つは、三代目桂米朝のものであ り、もう一つは桂文珍のものである。ちなみに、桂米朝のものはこんな感じの「地獄八景」である。

  冥土の歓楽街に、亡くなった過去の名人の名前が豪華に並んでいる。よく見ると、そこに「桂米朝」の名前もなぜかある。
「そないな名の亡くなった落語家いてへんやろ?」
「よう見て下さい。”近日来演”って張り紙してありまっせ」
「なるほど、本人はそれも知らんと落語でもしてるんですやろな」

  桂米朝 「地獄八景亡者の戯れ」

 もうひとつ挙げられている桂文珍のものは、閻魔の前で特技の落語として「地獄八景亡者の戯れ」を披露し始めると、その話の中でさらに、「地獄八景亡者の戯れ」が展開されて…というM.C.エッシャー描く版画のような、「地獄八景」である。

 それにしても、ドラマ「ちりとてちん」は面白い。あと、一週間で終わってしまうのが残念だけれど、本当に旨く美味しい「半年間ほどの短編ドラマ」だと思う。一見長く見えるけれど、短いショート・ショートの連作のような、実はそれが繋がっている一つの短編小説のような、そんな素敵な作りだ。

 その内に、これを十八番の持ちネタとして新しい「地獄八景」を作ってくれる人が出てくることでしょう。

 何ヶ月かすると、このドラマのことも忘れてしまうかもしれない。けれど、何かの折に受ける印象・する選択に、どこかで影響を与えたりしてくれたら良いな、と思う。

2008-03-26[n年前へ]

「吉野家の公理」と「吉野家のパラドクス」 

 「吉野家の公理」というものがある。この「吉野家の公理」がはたして真実であるのかどうかは知らないけれど、少なくとも、とても自然に納得できる公理である。その内容はこのようなものだ。

次の三つの項目をすべて満たすものは、必ず売れる。
  1. 旨い
  2. 安い
  3. 早い
 「"Value""Cost""Speed"を兼ね備えていれば売れる」というのは、あまりに自明に思えるくらい、当然の話に見える。

 しかし、この「吉野家の公理」は、同時にまた「吉野家のパラドクス」でもある。なぜなら、「"Value""Cost""Speed"」は、両立しないことが多いからだ。"Speed"を立てれば、"Value"が立たず、"Value"を立てれば"Cost"が立たず、あるいは……という具合に、それら3つを兼ね備えれば「必ず売れる」と言われても、そういったモノはそうそう作り出すことができないのである。だから、この「吉野家の公理」は、「必ず売れるものは、滅多にない」というようにも聞こえてしまうわけである。

 とはいえ、時代や技術が何か変化したりすることで、(それ以前に比べれば)"Value""Cost""Speed"をすべて実現するブレイクスルーが生まれたりすることもあるのだろう。次に生まれくる「そんな新しい何か」はどんなものなのだろうか。

吉野家の法則






2008-03-27[n年前へ]

「吉野家のパラドクス」と「営業の法則」 

 「吉野家の公理」と「吉野家のパラドクス」で書いたように、「旨い・安い・早い」を兼ね備えたものは必ず売れる。しかし、その3つをすべて持つものはほとんどない。だから、実際の商品は「旨い・安い・早い」のうち、少なくとも1つ、できれば2つを備えたものになる。

 そんな実際の商品を売る作業が、営業だ。そんな営業の一面を表現する「営業の法則」を教えてもらったことがある。その「営業の法則」の1番目は、

営業の実績=訪問件数×質
  「営業の法則」第1則
というものだ。訪問件数を高めれば、営業実績は上がるし、質を高めても、営業の実績は上がる、というものである。

 逆にいえば、質が低ければ訪問件数を多くすれば、営業実績も上がるし、訪問件数を多くできなければ、質を高めればよい、ということになる。

 そして、さらに次の第2,3則がある。

営業実績が上がると「やる気」が増大する。
  「営業の法則」第2則
「やる気」の増大は「件数・質」の増大を生む。
  「営業の法則」第3則
 面白いのは、これら第1,2,3則により、次の第4則が導かれることである。
「件数or質」の増加は、乗数的な実績増加を生む
  「営業の法則」第4則
 訪問件数あるいは質の片方を上げると、営業実績が上がる。そのため「やる気」が増大し、「訪問件数・質」のもう片方も上がることが多い。その結果、営業実績がさらに増大する。というわけだ。「やる気」というパラメータが陰に介在していることで、「営業の実績・訪問件数・質」が互いに関わり合っていることが、意外のようで当たり前のようで、それが味わい深く面白い。この乗数効果は実はとても重要なことなのかもしれない。

営業の法則








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