hirax.net::Keywords::「井の中の蛙」のブログ



2002-11-09[n年前へ]

「ニーナ 空に行こう」 

Breath of Fire 5 と、「井の中の蛙」繋がりで「閉ざされた世界」などぼんやり考えていると、鬼束ちひろの歌と共にテレビのCMが流れた。ゲームはしないのだけれど、ちょっと思わず見とれてしまった。

 上を仰ぎ見て、天井が二つに開いて、青い空が開けてくる場面に見とれてみたり。

アンチ「井の中の蛙」 

 クローズな環境だとどうしても「井の中の蛙」になってしまうだろうし、そうならないように気をつけなくちゃなぁ、と思う今日この頃。どんどん閉ざされた世界になっているような気がするしなぁ。

2004-02-15[n年前へ]

井の中の蛙大海を知らず、しかし空の蒼さを知る 

井の中の蛙大海を知らず

秋水編 荘子
しかし空の蒼さを知る

詠み人知らず
 「新撰組」を観ていると、「井の中の蛙大海を知らず、されど空の高さを知る」というような一節が出ていた。荘子「秋水編」の有名な一節に誰かが「されど空の高さを知る」あるいは「されど天の高さを知る」という一節を付け足したもののようだ。

林の中から空を見る 少し検索などをしてみると、「井の中の蛙大海を知らず、しかし空の蒼さを知る」というものもあった。この付け足された部分の原型がどういうものであるのか、あるいはどういう経緯で生まれてきたものなのかは判らないけれど、「井の中の蛙大海を知らず、しかし空の蒼さを知る」なら良いかもしれない。「天の高さ」でなくて、「空の蒼さ」ならもっと良いように思われる。

 確かに、井の中の蛙には「天の高さ」は判らないに違いないことだろう。人の遙か上にある「天」の高さは確かに判らないかもしれない。その「天の蒼さ」だってきっと判らないに違いない。

 けれど、井戸の「穴」を通じて自分の上に見える「空の青さ」ならよく知ることができることだろう。井戸の中から空を見上げれてみれば、昔なら昼間でも星を見ることができたように、井戸の中からだからこそ「空の蒼さ」を誰よりも知ることだってできるかもしれない。空しか見ることのできない井の中の蛙だからこそ、憧憬とともにその「空の蒼さ」を心に刻むことだってあるかもしれない。

2005-09-17[n年前へ]

「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」 

平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女/Tech総研 Tech総研ブログに「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」を書きました。

 あなたなら、「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉をどんな時に思い浮かべるでしょう?そして、その言葉に「どんな一言」を続けたくなるでしょうか?


2005-09-18[n年前へ]

続 「井の中の蛙(かわず)」 

平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女/Tech総研 Tech総研ブログ続 「井の中の蛙(かわず)を書きました。
 つまりは、昨日の「あなたなら、井の中の蛙、大海を知らずという言葉をどんな時に思い浮かべるでしょう?そして、その言葉にどんな一言を続けたくなるでしょうか?」という一節に対する感想の一つを書いてみました。



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