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2009-05-14[n年前へ]

『「赤毛のアン」の秘密』という『物語』 

 作家論に描かれるのは対象の「作家」のようでいて、実際に描かれるのは「作家論を書く著者自身」である。人は多少の違いはあれ、大雑把に眺めてみれば、みな似たようなものだから、作家論からは結局のところ「あなたや私や多くのひと」が浮かび上がってくる、というものだと思う。だからこそ、人はそんな本を興味を持って、あるいは、共感とともに読むのだと思う。逆にいえば、そうでない本は対してあまり読まれず・残らない、ということになるかもしれない。

 1942年4月24日、モンゴメリは最後の気力を振り絞って原稿を出版社に渡す作業を済ませると、(その日)その直後に自分の意志で死の世界に旅立った。(p.246)

 小倉千加子の『「赤毛のアン」の秘密 』が面白かった。この本は「小倉千加子」が、赤毛のアンの作者ルーシー・モード・モンゴメリを描いた作家論である。あとがきで著者が書くように、この本は、「小倉千加子」が「赤毛のアン」シリーズを読み解いていくことで、モンゴメリ評伝という形をとりつつ「日本人女性の結婚観・仕事観・幸福感」を考察したものだ。つまり、「あなたや私や多くのひと」を浮かび上がらせる本である。

 中学生の少女たちにとって、自分の家族に性が存在すること、性が存在したからこそ自分が誕生したことに気づいた時の衝撃は、決して小さなものではない。
 自分には見せたことのない女の顔を母が持っており、父は男の欲望を持っており、しかも子どもに接する時には決してその顔と欲望を露わにしないことでかろうじて成り立っている家族の正体を知ったとき、少女は母には裏切られた思いを、父には嫌悪の情を、たとえ一瞬であっても抱くのである。(p.128)

 この本に書かれていることが事実かどうかはわからない。少し疑問に感じることもあったりする。たとえば、「若いモラトリアム期の日本人女性がアメリカでなくカナダやオーストラリアに行く」のは、「自立・独立・アイデンティティの確立」に不安を感じるといった深層意識的な深淵な理由ではなく、若者が一定期間その国で働くことができるワーキングホリデービザが米国にはなく(だから日本も米国人に対してはワーキングホリデービザを提供しない。日本にいる若い英語教師にカナダ人が多いのはそういう理由だ)、カナダやオーストラリアはそれを提供してくれる、という都合が大きいのではないか。

 モンゴメリは夫を、その出自(スコットランド系)と宗教(長老派)、学歴(ダルハウジ大学文学士)と職業(牧師)、年齢差(四歳年上)、そしてへ金以上の要望によって選んだ。(p.46)

 しかし、この本に書いてあることが「事実」であるかどうかは、この本の価値とはあまり関係がないと思う。この本は、モンゴメリ評伝という「物語」なのである。主人公「モンゴメリ」の一生を綴ることで、結婚観・仕事観・幸福感といった「誰もが抱えているだろうこと」を描いた物語なのだ。だから、事実に基づいているか否かは、この本の価値とは関係がないと思う。事実に基づいた評論が、必ずしも、虚実取り交ぜた物語より真に迫っているとは限らないのだから。

 モンゴメリにとって、アンの現実の居場所は最終的にはマシュウとマリラの<家>であってはならなかった。・・・モンゴメリにとってマシュウは、モンゴメリが考えている当然そうなるべきアンの将来をアンに踏み外させかねない危険な男となっていた。
 マシュウはモンゴメリに殺されたのである。(p.121)
 



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