hirax.net::Keywords::「光学」のブログ



2005-04-02[n年前へ]

オンラインで遊ぶ「ダイヤモンド・デザイン」 

DCMSU Diamond Cut Study 昔好きだったマンガが「パタリロ!」だった。このマンガの主人公はダイヤモンド産出国の国王だった。ダイヤモンドと言えば、ダイヤモンドのような宝石が好きな女性は多そうだが、ダイヤモンドのカットをデザインしたことがある女性は少ないかもしれない。
 このこのページでは、オンラインで「ダイヤモンドのカット・デザイン」をすることができる。ダイヤモンドのデザインをちょっと変えて、煌めきが失われたり、あるいはより輝いたりするようすを見れば、きっと面白いはず。そして、どの場所でどの色の光が煌めくかを眺めてみるのもきっと面白い。ダイヤモンドを身につけるのは好きだけど、その光学設計?をするのはキライなんていう人はこのページを見ていそうにないし、ね。

2006-02-10[n年前へ]

タブレットPC PORTEGE M400 

Laptop Computers, Projectors and Accessories - Toshiba TOSHIBAのTablet PC PORTEGE M400発売。カスタマイズすれば、12.1インチ・ディスプレイに1400x1050の画面解像度、4GBのメモリ容量、光学ドライブ内蔵(差し替え可能)、Core Duo 2.16GHz…と、魅力ある製品。…しかし、2.1kgと少し重いか。

2007-11-25[n年前へ]

「海面に写る太陽」の不思議 

初日の出と足元に広がるミステリー

 新年の代表的な景色が「初日の出」だ。海の向こう、水平線の向こうから太陽が姿を現す。空に太陽が昇ると、太陽に照らされ水面が静かに光りだす。そんな景色を見ているとき、ふと「あること」が気になりだし、とても不思議に思えてきた。

 海面に太陽が写っているようなのだが、海面に写った太陽はまるで「道」のように水平線から足元まで続いている。よく考えてみると、これは少し不思議に思える。海面に反射した、つまり、海面という鏡に映った太陽の姿がなぜ「上下反転した太陽」でなく「輝く道」のように見えるのだろうか。

 昔学校で習った理科の教科書の中には、確かこんな図が描いてあった。そして、太陽の光が水面で反射するときには、「入射角と反射角が同じになるように(海面からの太陽の反射光が)進む」ということだったように思う。そして、その結果、水面には上下さかさまになった太陽の姿が見える、はずだった。

実際、夕暮れ時に風やんだ静かな河口で夕日を眺めた時を思い出せば、それは川面に写る太陽は教科書通りの「上下さかさまの姿」そのままだった。なぜ、目の前の海面にうつる太陽は逆さの点光源ではなく、輝く道のように見えるのだろう?その理由を考えていくうちに、「海面が波立っていること」「太陽に対する(微小)海面の向き」「海面でのフレネル反射率」が原因だということがわかってきた。

 まずはじめに確実なことは、海面は平らでも滑らかでもない、ということだ。風や色々なものが原因で、海面は波立っている。海面はその場所ごとに、数限りない色々な方向を向いている。だから、「入射角と反射角が同じになるように(海面からの太陽の反射光が)進む」のだとしても、海面に写り込む太陽は、決して一点だけに見えるわけでなく、さまざまな海面上に写って見えることになる。

 実際、表面が粗く波立った海面に太陽光が入射した時の反射光の分布を計算してみると、右の図のようになる(Modified - Blinn - Phong Model)。海面が微視的に色々な方向を向いているので、海面からの太陽光の反射は一方向のみに照射されるのでなく、色々な方向に向く。しかも、右の図は、まだ比較的表面が平らな場合の計算結果なので、実際の海面からの反射光はもっとさまざまな方向に広がる。

 

 そして、重要なことは(微小領域ごとの)海面の向きにより海面からの反射光強度が等方的に分布するのではない、ということである。海面が太陽の方向を向いているときには、その(海面から見た)海面単位面積辺りに入射する太陽光強度が強くなる。そういった効果は、太陽の反射光強度を強める方向に働く。また、海面が私たちの方向に向いている(傾いている)箇所では、(微小海面から見た)水平に近い角度で太陽光が入射・反射することになる。すると、海面でのフレネル反射率が高くなり、これまた、太陽の反射光強度を強める方向に働く(右図は太陽光の入射角に対する海面での反射率を示したもの)。特にフレネル反射率は入射角度が海面に対して、水平に近くなればなるほど非常に高くなり、最後には全反射になる。そのため、「太陽光が私たちの目に反射するような角度になる微小海面」がそれほど多くなかったとしても、反射光は非常に強く見えるのである。

 

 これらの効果が合わさった結果、太陽光の反射光が眩しく映り込むような箇所はどのようになるかを図示して考えてみると、「自分の足元の海面から太陽の方向へ延びる線上」となることがわかる。太陽と私たちを結ぶ線以外の方向は、海面での太陽光の反射率が低くなるので、太陽の姿はほとんど写らず、波立った海面に映り込む太陽の姿が見えるのは、自分の足先の海面から水平線まで光り輝く道状の領域ということになるのである。


 私たちが眺めている景色には、「たくさんの不思議」が満ち溢れている。私たちの目の前に転がっている小さなミステリーを解決しようと、その未知のものに一歩足を踏み入れた途端、ただひとつの例外もなく、その奥にはさらに未知の大きな世界が続いている。それは、何だか元旦と新年の関係に似ているように思う。元旦になった今日、新しい未知の一年が始まる。私たちの足元から水平線の先へ、未知の道が続いている。


河口河口河口海辺海辺海辺ホワイトボードMod-Blinn-PhongPhongSurfaceFresnel全反射






2008-01-21[n年前へ]

「水に濡れた白服が透ける理由」と「白色顔料の歴史」 

 「なぜ白い服は水に濡れるだけであんなにも透けるようになるのか考えてみた」という日記を読んだ。着目点は素晴らしいのだけれど、残念ながら正解には辿りつけていなかった。リンク先に書いてある考察通りであれば、正面から眺めた白服はスケスケの透明に見えてしまうことになる。しかし、現実にはそうではない。


図解 図解  まず、白服が透けずに「白色・照明光色」に見える理由は、白服を形作る「繊維」と「空気」の屈折率が異なることにより、白い服(を形作る繊維)の中に進入した光が散乱し、(その下に到達せずに)白服から出てくる光が多くなるからである。繊維と空気では、屈折率が1.5程度と1.0と大きく異なるため、繊維・空気の境界で光が反射・屈折を繰り返すのだ。


図解 図解  しかし、白い服が水に濡れたときには、状況が異なってくる。水の屈折率が1.3強であるため、繊維と水の間の屈折率差が小さくなり、繊維と空気の間で反射・屈折があまり生じなくなってくる。その結果、照明光が白い服をそのまま通過して、服の下に到達・反射した後に、また白い服を透けて外に出てくる…ということになる。


 だから、屈折率が1.5程度であるサラダオイル、つまり繊維と同じ程度の屈折率の液体を白い服に振りかけてみれば、白い服がスケスケ透明服に大変身してしまうことになる。だから、そうなっては困る白い水着などでは、繊維を中空にすることで、水に水着が浸かっても繊維中に空気と繊維の境界が保持されることで光を散乱させたり、あるいは、水より屈折率がさらに高い白色顔料を繊維中に混ぜることで、光が繊維中で散乱するように工夫するのである。



 ところで、たとえば油絵を考えたとき、顔料は油に包まれていることになる。青や赤といった「色をつけるための顔料」ならば、必ずしも顔料と油の間で反射・散乱などは生じなくても良い。それどころか、顔料と油の屈折率が近いほうが都合が良いことが多い。そこで、顔料を包み込む媒体として、(色顔料と同じ程度の)屈折率が高いものが徐々に使われるようになった。


 しかし、白色顔料の立場から考えてみると、これはマズイ事態である。なにしろ、顔料と油の間で反射・散乱を繰り返さなければ、「白色」が生じないからである。そういうわけで、ずっと昔には屈折率1.5程度の白色顔料も使われていたが、現在では屈折率が2.7ほどもある酸化チタンなどが白色顔料として使われることが多い。


 …というのが、「水に濡れた白服が透ける理由」から「白色顔料の歴史」も透けて見えてくる、という話である。ふと目にする色々なものは、すべて繋がっている…という、そんな話だ。残念ながら、水に濡れた白服を目にしたことはないのだが。

図解図解図解図解






2008-03-20[n年前へ]

「町の甍の乱反射」と「乱反射する友人」 

 日が傾いた時刻に、波立った水面を眺めると、水の上に輝く道が見える。川面・海面・湖面に太陽が足元から陽の方向へ、一直線につながって見える。そんなことを『「海面に写る太陽」の不思議』で書いた。その後、住宅街を見下ろしても、やはり、そういう「道」が見えた、という話を読んだ。

 丘に上がってみると、眼下の住宅街の屋根の群れが細長く光っていた。海で日没を見る時のように太陽から道が伸びて見えている。

   「甍の波と

 日が傾き始めた頃、高台に上って町を眺めてみた。すると、住宅街の屋根で日の光が乱反射し輝いている。その輝きは、住宅街の向こうにある河口の上、そしてさらに、海の先まで続いている。屋根の傾きに傾向はありつつも、やはりさまざまな方向を向いていて、いろいろな方向を向いた屋根が太陽の光を色んな方向に光を跳ね返している。あぁ、確かに、海も河口も町の景色も、みんな同じように乱反射した光を返している。

 そういえば、『黄金の日日』や『落日燃ゆ』などを書いた城山三郎は「乱反射」というものが好きだった。城山三郎のいくつかの随筆を読むと、自分が思うことをそのまま写し返す鏡のようなものでなく、乱反射するものの方を好ましいものだと何度も書いている。

 考え方も色々なことを言ってくれて、乱反射する友人とでもいいますかね。

   城山三郎
 住宅街の屋根や水や風が作る乱反射面を見ていると、ふとそんな言葉を思い出す。そして、屋根の向きは、やはり南北向きが多いのだろうか、とか些細なけれど生活に密着しているはずのことに想像を巡らせてみたくなる。

 これまで特に意識することもなく眺めていた町の景色、光る屋根の瓦にも、きらめく水の小波にも、光学や統計学といったものが、その姿を見え隠れさせながら、幕の内弁当のように箱にギッシリ詰められている。

4321








■Powered by yagm.net