hirax.net::Keywords::「幻想」のブログ



2007-11-24[n年前へ]

オン・レイルズ(廃線) 

 ランニングをしている時、信号待ちをしていると、足下の変な金属が気になった。錆びた黒い金属が長く伸びている。その長く延びる金属の上を歩いていく老夫婦を眺めると、まるでレイル(線路)の上を歩いているように見える。さらによく眺めてみると、老夫婦が歩く道の先に、さらに「レイル」が延びているように見える。

 これは一体なんだろう?と思い調べてみると、その物体は本当に鉄道の「レイル」だった。昭和49年まで使われていたという旧国鉄の蛇松線が、こうして沼津駅から沼津港までの街の中に残っていたのだった。街の中に廃線が残っていて、人がその廃線上を、気づかぬうちに歩いていたりする風景は、映画を写すカメラの中の景色のようで、少し幻想的で綺麗だ。

蛇松線蛇松線蛇松線蛇松線蛇松線沼津港貨物線(蛇松線)その1旧国鉄 蛇松線(沼津港線) その1






2008-04-19[n年前へ]

「夜のコンビニ・デッサン」と「色々な世界を描くための秘密道具」 

 石膏のベートーヴェンや、皿の上の果物や、あるいは身近なモノをデッサンをしたことがある(あるいは、課題として与えられたことがある)人は多いと思う。芯が柔らかな4Bくらいの鉛筆や、パレットに載せた数色の絵具で、目の前に見えるものを描こうとした経験を持つ人は多いと思う。石膏のベートーヴェンを描くならともかく、色のついたモノを描かねばならない時には、いきなり悩んだりはしなかっただろうか。目の前に見えているモノを、手にした道具でどのように表現するか悩んだりはしなかっただろうか。

 ケント紙のスケッチブックと4Bの鉛筆を手に持って、「目の前の赤いリンゴと、黄色いバナナはどちらが白いのだろう?どちらが黒いのだろう?」と悩んだりした経験はないだろうか? 色々な色をどんな風に限られたもので置き換えれば良いのか、全然わからないままに、適当に鉛筆を走らせた人もいるのではないだろうか? 夜のコンビニを、ケント紙に鉛筆で描いた「コンビニ#3」を眺めたとき、ふとそんな経験を思い出した。


 描かれているのは、人通りの少なそうな道沿いに立つコンビニエンスストアで、青や赤といった色を白と黒の世界に置き換え描かれた世界は静謐で、まるで異次元の世界のようで、それでいて、とても「私たちの現実の世界」を忠実に描写しているように見える。

 いつだったか、絵画の解説書を眺めていた時に、面白い描写と記述を見た。「面白い描写」というのは、絵の中に不思議な機械が描かれていたことで、「面白い記述」というのは、その道具が「目の前の景色をどのような色や明暗で表現すれば良いかを判断するために作られた光学機器である」という説明だった。その「連続色→離散色・明暗変換」の道具は、時代を考えればおそらく単純な色分解フィルタなのだろう。…ただ、残念なことに、その不思議道具(色分解フィルタ・ツール)が描かれていた絵が誰のどの絵だったかを忘れてしまった。時代背景を考えれば、17世紀後半から19世紀中盤くらいの絵だろうと思うのだけれど、誰のどの絵だったのかを全く思い出せないことが残念至極である。

 人間の比視感度を考えると、(赤:緑:青=3:6:1くらいで)緑色の感度が高い人が多い。だから、少し赤味がかった緑色をしたサングラスでもかけながら景色を見れば、色の着いたリンゴやバナナや下履を簡単に黒鉛筆で「濃淡画像」として描くことができるのだろうか。

 夜道、ふと横を見ると、「夜のコンビニを、ケント紙に鉛筆で描いた"コンビニ#3"」に瓜二つな景色が見えたので、ケータイでその景色を写してみた。そこには人も車も写っていて、そのまま私たちの現実の世界だ。けれど、それだけだ。"コンビニ#3"にある妙な存在感(あるいは不存在感)がそこにはない。それが、良いことか・悪いことかはわからないけれども。


コンビニ#3夜のコンビニ






2008-06-29[n年前へ]

「素晴らしく綺麗な景色」は写真に撮れない 

 綺麗な風景を見てカメラのシャッターを押したい、と思うことがあります。それは、写真に撮って残したいという気持ちではなくて、目の前に広がる素晴らしい景色を他の誰かにも伝えてみたい、というような感じに近いように思います。心惹かれる景色であればあるほど、そんな景色を写真に撮りたい・誰かに伝えたい気持ちが浮かび上がってきます。

 けれど、それがどんなに素敵な景色だったとしても、カメラを取り出そうという気持ちが起きない状況が、いくつかあります。たとえば、「山腹の上に月が佇む景色」がそんな景色の一つです。写真を撮る気が起きない理由は、私の腕では「魅力的に浮かぶ月の大きさが、撮った写真ではどうしても小さく見えてしまう」からです。肉眼でとても大きく見える月が、撮影した画像中ではあまりに小さい存在になってしまうのです。つまり、眺める景色の素晴らしさを絶対に写し取ることができないだろう、と確信してしまう時に、カメラを取り出す気になれないように思います。写真で「真を写す」ことができそうにないと確信してしまうのです。

 湧水池に蛍を見に行きました。緑色に強く光りつつ浮かぶ蛍や、水草に止まり、ゆっくりとした点滅を続ける蛍を見に行きました。蛍が浮かび上がる景色・蛍がそこらかしこで光る景色を見に行く時にも、やはりカメラを持って行こうという気持ちは起きませんでした。あの幻想的で不思議な世界を、ぼんやり暗い草木の中や水草の上で、たくさんの小さな緑色の光が浮かぶ景色を、私の腕で真に写し取ることができるわけもないからです。

 特に優れた写真の腕を持つわけでもない私たちが、あの綺麗な景色を写し取り伝えることができる撮影・表示装置があるとしたら、それはきっと「現在のカメラのようなものではない」のだろう、と思います。それは、小さなプラネタリウムのようなものかもしれないし、今の私たちには想像もできないようなシステムかもしれません。いずれにせよ、少なくとも私は、そんな装置や腕をまだ持ち合わせていないのです。

 だから、カメラも何ももたずに、蛍を手ぶらで見に行きました。

 もし、あなたが住む場所の近くに川が流れていたら、少し散歩をしてみると良いかもしれません。もしかしたら、目の前で蛍がふんわりと光りながら浮かび、足下では小刻みに点滅する蛍の光が見えるかもしれません。今週は、そんな景色を見ることができる限られた時期です。あなたの住む家の近くに川が流れていたとしたら、夜、少しだけ散歩をしてみると良いかもしれません。

2014-01-02[n年前へ]

昼間の星空を映し出す「幻想カメラ」を作ってみよう!? 

 昼間、目にすることはできないけれど、空には星が浮かんでいます。そんな私たちの頭上に拡がっている昼の星空を映し出すことができる「幻想カメラ」が欲しくなり、iPadでプラネタリウムソフト Sterallium で眺めた画像と標準カメラで撮影した画像を合成して、それ風の「撮影画像」を作ってみました。

 そして、星空だけでなくて昼の空に流れる天の川も眺めてみたくなり、けれどStellarium for iOS では天の川を表示する方法がわからなかったので、Stellarium OS X版でキューブマッピング用画像を出力するスクリプトを作り、少し前に作ってみた iOS VR アプリに流し込んでみました。あとは、カメラ画像とプラネタリウム画像を気持ち良く合成すれば、昼間の星空を映し出す「幻想カメラ」を作ることができるかもしれません…。見ることができる風景とは全然別の映像を写し取るカメラが、ひとつふたつ欲しい今日この頃です。

昼間の星空を映し出す「幻想カメラ」を作ってみよう!?昼間の星空を映し出す「幻想カメラ」を作ってみよう!?昼間の星空を映し出す「幻想カメラ」を作ってみよう!?








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