hirax.net::Keywords::「彫刻」のブログ



2003-04-10[n年前へ]

重さ30gの世界で一つだけの彫刻 

 3方向の顔写真(前・横・後)から60mmx25mmのフィギュアを作成してくれる、オリジナルフィギュア

2004-04-20[n年前へ]

ナンシー関に会いに行こう。 

 ナンシー関が今もテレビを見ていたならば、一体どんな一言を書くだろうか。どんな番組のことを書くだろうか。そして、誰を消しゴムに刻むだろうか。哀しいことに、どんなにそう思ってみても、そんなコラムを読むことができない。そして、もちろん消しゴムに刻まれた誰かの顔ももう眺めることができない。

 もしも恐山に行ったなら、どこかのイタコが彼女になりかわって何か言葉をはいてくれるのだろうか。そして、消しゴムに彫刻刀で何かの姿を映し出してくれるのだろうか。そうだ、ゴールデンウィークには恐山に行こう。消しゴムと彫刻刀を持参して、誰かのもとに降りてくるかもしれない、ナンシー関を探してみよう。ゴールデンウィークにはただひたすらに北上し、恐山に行ってみよう。故郷の青森に戻っているかもしれないナンシー関に、会いに行こう。

2005-01-30[n年前へ]

Parastone Mouseion collection 

 色んな平面絵画を立体彫刻で作り直してみた、というParastone Mouseion collection. from BOX HEAD ROOM
Parastone Mouseion collection

2005-04-01[n年前へ]

続「変わらないということは、変わるということ」 

 「ピーターの法則」に対し

一つ抜けているファクターがありますよ『人は変われる』ってことを違う世界にいくと、今まで見えなかったものが見えてくるものです。考え方が変わって成長できるんですよもちろん、人との出会いによっても成長できるんですよ…なので、法則どおりには『無能』にはなりません。向上心がある限り…
 と、「有能」で「変わることができる人」(ちなみに、私は大切にしている「三つの座右の銘」のうちの一つはこの方の言葉だ)からツッコミを受けた。

Mayunezu Space Ver.6:変わらないことは、変わるということ。 この言葉を聞いて思い出したのが、「変わらないということは、変わるということ」 『ずっと「変わらない評価」を受け続けるためには、「変わらない努力」が必要だ。「変わらない努力」というのは、結局のところ「変わる努力」だ。人(状況)が変化している限り、自分も変化していかないと、取り残されてしまう』という言葉だ。

 …もちろん、「それでも人には(それ以上変わることができなくなる)限界がある」とも私は思うが(「人の能力・可能性」は無限大だが、(その可能性を具現化するために必要とされる)「人の時間」は有限であるのだから)、それでも「向上心がある限り、変わり続けることができる(その結果として、ずっと「変わらない」でいられる)」と信じたいところだ(とはいえ、それは人には老化も寿命もないと考えるような話だが…)。

 そういえば、「三つの座右の銘」の内のもう一つは
三十代前半は気をつけないといけない年齢だから
という女性ライターの方(ちなみに、「シタッパーズ」という言葉を教えてくれたのはこの方で、さらにこの本の出版もこの方に因る)の言葉だった。その年頃の人って、自分の力を過信するから、会社とか他の何かの力を自分の力と勘違いするとか、(そのせいか)何かガマンができなくなったりしやすい…とか、そんなような意味の言葉だ。ちょうど、その年頃だった私は、この言葉を彫刻刀で消しゴムに刻み、私の座右の銘の一つにした。そして、それから何年か経った。

 …ん?そう、気づいたらもう三十代前半でなくなっていた…。大切な「座右の銘」なのに、大切な言葉の使い道がない年齢になっていた…。まさか「座右の銘」が「生もの」の「期間限定」だったとは考えもしなかった…。うぅ。

 いっそのこと、「永遠の三十代前半」って名乗ろうか。だけど、「永遠の三十代前半」って何だかとてもヤな感じだなぁ…。「永遠の十代」ならともかく…。

2006-07-02[n年前へ]

2年前の「ナンシー関に会いに行こう」 

 2年近く前、2004年04月20日(火)に書いた「ナンシー関に会いに行こう」もコピペする。

 ナンシー関が今もテレビを見ていたならば、一体どんな一言を書くだろうか。どんな番組のことを書くだろうか。そして、誰を消しゴムに刻むだろうか。
 哀しいことに、どんなにそう思ってみたとしてても、そんなコラムを読むことはもうできない。もちろん、消しゴムに刻まれた誰かの顔ももう眺めることはできない。
 もしも恐山に行ったなら、どこかのイタコが彼女になりかわって何か言葉をはいてくれるのだろうか。そして、消しゴムに彫刻刀で何かの姿を掘り起こしてくれるのだろうか。
 そうだ、ゴールデンウィークには恐山に行こう。消しゴムと彫刻刀を持参して、誰かのもとに降りてくるナンシー関を探しに行こう。ゴールデンウィークには、ただひたすらに北上し、恐山に行ってみよう。故郷の青森に戻っているかもしれないナンシー関に、会いに行こう。



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