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2013-06-10[n年前へ]

「目の色が違っても、眺める世界は同じ」は本当か!? 

 アジア人(黄色人種)の瞳は茶色を強く帯びていて、コーカソイド(いわゆる白色人種)は色差の大小に依存して茶〜灰〜青といった色になります。そんな「目の色が違う人」たちが見ている世界の色や明るさは、果たして同じなのか…それとも違うか?という議論があります。

 そんな時、よく言われる「答え」は「目の色が違うといっても、それは瞳中央の「瞳孔」の色が違うわけではなくて(瞳孔はほぼ透明で)、その周囲にある虹彩(あるいは周辺組織を含んだぶどう膜)の色が違うだけだから、見えている明るさや色は同じだよ!というものです。…この「答え」は「目の色≠瞳孔の色」という(ミステリーの種明かしのような)意外性があるがゆえに「納得感」「落ち」を与えます。

 しかし、その一方で、たとえば「私たちがほぼ瞳孔を通して眺めるにしても、虹彩を透過して瞳中に入ってくる光もあるよね?その光の影響は果たして無視できるものなの?」というツッコミがされたりします。…そこで、今日は「目の色が違っても」と「眺める世界は同じ」は本当か!?ということについて(日常生活にもとづくアプローチで)考えてみることにします。

 虹彩の厚みはおよそ0.5ミリメートル程度です。これはシャーペンの芯直径と同じくらいの厚みですが、(同じ”肉”で例えると)しゃぶしゃぶ・すき焼き肉の1/3〜1/4くらいの厚みです。そこで、しゃぶしゃぶ・すき焼き肉の光透過具合を思い浮かべてみると、結構向こう側の光が透けて見える気がします(参考:右写真)。…そこで約2ミリメートル弱の(滅多に口に出来ない…涙)しゃぶしゃぶ・すき焼き肉の透過具合を基準にして、0.5ミリメートルの虹彩が(メラニン色差が少なかった場合)仮に約0.1%程度の光が透過するものとしてみます。

 光が強い眩しい条件下では、瞳孔の直径は約2mmほどになります。一方、虹彩の直径は12mm 程度です。すると、瞳孔部分と虹彩部分に当たる光量比は(面積に比例するものとして)は π(2/2)^2とπ(12/2)^2-π(2/2)^2となりますから、約3:110となります。つまり、虹彩部分に当たる光量は、瞳孔部分に当たる光を基準にすると35倍程度になります。

 瞳孔部分が光を100%素通しにして、0.5ミリメートル厚の虹彩が0.1パーセントの光を透過してしまうとすると、「虹彩部分に当たる光量は、瞳孔部分に当たる光を基準にすると35倍程度」ということは「瞳孔を通る光量を基準にすると3.5パーセントの光が(瞳孔でなく)虹彩から目の中に入ってくる」という計算になります。…これは、決して無視できる大きさではないような気もします。

 「虹彩の色が違っても、眺める色は変わらない」と言われる一方で、「メラニン色素が不足するアルビノの人々は虹彩で眼球入光量の調節ができずに眩しさを感じる(羞明)」と言われたり「(灰色や青色といった)虹彩の色が薄い人は虹彩が褐色の人より”明るい”と感じやすい」と言われたりもします。

 「目の色が違ってもと「眺める世界は同じ」は果たして本当なのでしょうか!? …このナゾ、あなたならどう考えますか?



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