2009-12-04[n年前へ]
■どの人が言ってることも… 
銀色夏生の「あの空は夏の中 (角川文庫)
」から。
たくさんの本を読んだ。 どの人が言ってることもウソじゃないと思うけど
どの人が言ってることも本当じゃない
私はすこし疲れた気持ちになって
夕立の窓を開ける
2010-12-04[n年前へ]
■ドッグイヤーに生きる「文明人」は近視眼的な発想に陥りがちだ 
縣 秀彦「天文学者はロマンティストか?—知られざるその仕事と素顔 (生活人新書)
」から。
純粋な科学の追究は、その成果を応用することで、人々の生活を豊かにしたり、(中略)人類の歩みや個人個人の生活と深く繋がってきました。そして二十一世紀を迎えた今、科学の成果は、タイムラグなく直接人々の生活と関わりを持つようになってきています。
これはとりもなおさず、今を生きる文明人たちが、近視眼的な発想に陥りがちだということを意味します。その結果、愚かなことだとわかっていながらも、私たちは無意識のうちに、「役に立つ」「立たない」という評価軸のみで人の営みを測ってしまいがちなのです。
「役に立たない」「知っていても得しない」ことに、人類は古くから取り組んできました。文化とはそういうものです。
2011-12-04[n年前へ]
■「高座という名前のナゾ」と「上を見上げる姿勢が持つ力」 
林家たい平師匠になぜ「高座」と呼ぶのでしょうか?と尋ねてみました。「高座」に座布団をひき正座して、噺家は落語を話します。あの場所をなぜ「高座」と呼ぶのだろうか?ということを尋ねてみたのです。
すると、たとえば、高座説法という言葉もあるように、元々はお坊さんなどが「高いところから説法をしていた」ところから始まっているんです、と教わりました。お坊さんが、高い場所から、面白くありがたい「はなし」をしていたところから、「高座」で噺をすることが始まった、と聞きました。
それと同時に、けれど、上方(関西)では、つまり上方落語は、路地などに座り・(自分の前に)机などを置き、大道芸やバナナの叩き売りのごとく、音などを出して人を集めながら、面白話をすることから生まれたんです、とも聞きました。上方落語で使われる、見台(小さな机)や小拍子(拍子木)などはその名残だ、教えてもらいました。
さらに、だから「客席は平らで、その前に高座がある」「客席から、客は上を見上げつつ”噺家のおはなしを聞く”のが、本来の(関東の)寄席なんです」と聞きました。そして「最近は、客席がせりあがっていて、お客が下にいる噺家を見下ろしながら落語を聞く寄席もあるけれど、あぁいった寄席は苦手です」「だって、そうでしょう?上を向いたら、自然に喉が開き、笑い声も自然に出るでしょう?けれど、下を向いていたなら、喉も閉じてしまうし、自然に笑うのは難しいでしょう?」と言われます。
そうか、「”上を見上げる”という姿勢をとるだけで自然に笑い声も出しやすくなる」ということもあるのか、そして、その逆のこともあるのか、と何か少し考えます。毎日の生活をする中でも、下を向いて歩くよりも・上を向いて歩くのは、もしかしたら良いものなのかもしれない、それが単にカタチだけのポーズだとしても、その”姿勢”が何か笑いや楽しさを自然に感じさせることもあるのかもしれない、と感じます。
”高いところに座る”と書いて高座と読む理由謎を林家たい平師匠に聞き、さらに「上を見上げる」姿勢が持つ効果を教えられたのでした。
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