hirax.net::Keywords::「ポール・サイモン」のブログ



2009-06-23[n年前へ]

さよなら、「僕のコダクローム」 

 大学に入学した夏、友人の部屋で何日か過ごした。何日か目の朝、徹夜明けの朝、二人で散歩していると、古いカメラが捨てられているのを見つけた。そこで拾ったカメラは、CANON FTbというものだった。金属の重さを感じさせ、いかにも「道具」という雰囲気を持つそのカメラに惹かれ、いつしかぼくは写真を撮ることを趣味にするようになった。

 白黒写真は、ネオパンフィルムを使い、大学の研究室にあった暗室でいつも現像・焼き付けをしていた。カラー写真は、ポジフィルムのコダクロームを使うことが多かった(ベルビアも使うこともあったけれど)。独特の濁った色が、景色を眺める複雑な色合いの気持ちを写しだすように思われて、それが好きでぼくはいつも使ってた。好きな街を、好きな空を、好きな人たちを、いつでもぼくはコダクロームとネオパンで撮った。

 「米Kodak、コダクロームフィルムの販売を終了」という記事を読んだ。僕はコダクロームが好きだった。けれど、もう20年近く使っていない。だから、販売終了というニュースを聞いても、ただ頷(うなづく)くしかない。けれど、ぼくはコダクロームが好きだった。

 ぼくのiPodには、Paul Simonの「僕のコダクローム」が入っている。彼が「鮮やかな色を、夏の緑を写しだすコダクロームを僕からとりあげないで」と歌う声を、今でも、ぼくは電車の中で聞いている。コダクロームで撮った夏の景色、夕暮れの空の下を歩く誰か、夜に花火を持つ君、国分寺のライブハウスで歌う人、コダクロームで撮った色々な景色を思い出す。

Kodachrome
They give us those nice bright colors
They give us the greens of summers
Makes you think all the world's a sunny day,
I got a Nikon camera
I love to take a photograph
So mama don't take my Kodachrome away

 また一つ、ぼくの好きだったものが消えていく。思わず、ぼくも、ポール・サイモンのように、"So mama don't take my Kodachrome away"と呟いてしまう。

2009-12-27[n年前へ]

「ドナドナ」と「コンドルは飛んでいく」 

 細見和之の「ポップミュージックで社会科 (理想の教室) 」が、とても奥深く面白く、まだまだはまっている。今日はまっていた部分は、「ドナドナ」という歌と、その歌詞が歌われた時代だ。「ある晴れた昼下がり 市場へつづく道・・・」と悲しげに歌われるあの、「ドナドナ」である。

 ドナドナは、1940年にが米国に移住してきたユダヤ人、アーロン・ツァイトリンが(東欧ユダヤ人の日常語であった)イディッシュ語で作詞し、ニューヨークの劇場で発表されたものだという。細見和之氏がイディッシュ語版を翻訳した一部を抜粋すると、このような歌詞になる。

荷車のうえに子牛が一頭
縄に縛られて横たわっている。
子牛がうめくと農夫が言う
いったい誰が子牛であれとお前に命じたのか。
お前だって鳥であることができたろうに。
ひとびとは哀れな子牛を縛りあげ
そして引きずっていって殺す。
翼を持つものなら空高く舞い上がり
誰の奴隷にもなりはしない。
 この子牛は、どう読んでも「人」である。日本語の歌詞より、ずっと辛く・苦しい歌だ。

 この歌が、(日本でほど知名度が高いわけではないが)一般的に知られ・歌われるようになったのは、1960年にこの曲が英訳されたジョーン・バエズのアルバムに収録されてからだという(そして、1960年代後半に日本で大ヒットした)。

 ジョーン・バエズの歌を聴いていたその頃の、日本の私たちは一体どのようなことを感じながら、どんなことをしながら、この歌詞を聴いていたのだろう。前回、

 その時代、あの時代、さまざまな時に流れ・歌われた曲を聴きながら、その時折を知る人たちの話を訊いててみたい、と思う。
と書いたが、この曲に関しても、やはりそう思う。

 私がこの歌詞を読んで、ふと思い出したのがサイモン&ガーファンクル が歌った「コンドルは飛んでいく」である。アンデスのフォルクローレの名曲に、ポール・サイモンが英語の歌詞をつけて、よく歌われるようになったあの「コンドルは飛んでいく」である。

地を這うカタツムリになるよりは、スズメになりたい。
もしなれるなら、心からそうなりたいと願う。
人は地面にしばりつけられ、
一番悲しい声を響かせている。
 この曲も同じ時代に歌われたからなのか、ポール・サイモンがやはり同じユダヤ系だからなのか、あるいは、単に悲しげなメロディとモチーフからに過ぎないのか、それとも普遍的な何かがこういった曲の底に流れているからなのか・・・理由はわからない。けれど、「ドナドナ」のメロディと(イディッシュ語版もしくは英語版)歌詞を眺めると、「コンドルは飛んでいく」を、私はふと連想してしまった。

 「ドナドナ」は、日本の小学校で音楽教育を受けた人ならば、多くの人が知っていると思う。人は、たとえば、あなたは、一体「ドナドナ」を聴いて、どんな風景を思い浮かべるだろう。



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