hirax.net::Keywords::「公衆電話」のブログ



2010-01-14[n年前へ]

「技術の進歩」と「歌詞の意味」と「10円でゴメンね」 

 本棚を整理していると、種ともこのデビューアルバム「いっしょに、ねっ。 」のピアノ譜が出てきた。電話の「ベル」の音がドラム代わりに曲始まりを奏でる「10円でゴメンね」を聴きながら、技術が進歩して文化が変わっていくと、歌詞の意味がわからなくなってしまうものだ、と実感させられた。

勇気出して、ダイヤル回して
受話器とうらはらに、心は繋がらない

 今では、ダイヤルを回す黒電話を使ったことがない人の方が多いだろう。そして、もしかしたら、10円玉を公衆電話に入れて、家の外から電話をかけた経験がない人のほうが多いかもしれない。ケータイを持たない人を見つけることのほうが難しい現在では、電話「線」ってナニ?「アンテナで電波」じゃないの?と思う人も多いことだろう。

10円でゴメンね
ことばが出てこない Telephone line
ピンチのウルトラマンみたいさ
制限時間 Three minutes
 なぜ、10円なのか、それがなぜ、なぜウルトラマンの3分間なのか、首をかしげてしまうのが自然な時代に、今はもうなっているに違いない。(電話の歴史を楽しく眺めるなら、同じ時代、やはり同じ種ともこの「ないしょ Love CallのPV」を観るのも良い)

 下に張り付けた動画は、デビューアルバムの後、何年もしてからリアレンジされたバージョンで、「電話の音」を多用した最初のアレンジとは非常に異なっている。すでに、この頃ですら、時代がアレンジの変化を要求したのだろう。

まさに、「歌は世につれ、世は歌につれ」である。


10円でゴメンね






2010-04-29[n年前へ]

歌詞で眺める「時代の風景」 

 Barbee Boysを聴きながら、「負けるもんか」の歌詞が耳に引っかかる。あぁ、ここにも技術の進歩で意味不明になりつつかる歌詞がある。この歌の頃は、硬貨を入れる公衆電話しか(多分)なかった時代だった。

 夜、公園の近くにある公衆電話に10円玉を入れて長電話する、そんな時代があったような気がする。歌詞は世相を映すというけれど、歌詞はその時代の技術や道具も的確に写しこんでいるものだなぁ。

近くまで来てるのよ。泊めてくれる?
いきなりで悪いけど、帰れないの。
ねぇ、いいでしょう?コインが無いわ。
詳しく話すから、着替えでも捜してて。

2011-08-06[n年前へ]

「地デジ化で消えた時報」と「3分10円の公衆電話」 

 TVのアナログ放送が終了し地デジに移行するとともに、TV放送からピッ・ピッ・ピッ・ポーンという時報も消えていきました(参考:携帯電話の同時性?::(2000.02.19))。デジタル放送になると…映りが悪いということが無くなって…ゼロかイチかで映るか・映らないのどちらかになってしまったり、チャンネルを変えても画面が映り・音声が再生されるまでに時間がかかったりします。だから、「時報」の意味がなくなって、TVの画面から「時報」の時計が消えました。

 時刻を電波で受信して自動的に時間を合わせ続ける時計が使われるようになったり、あるいは、ネットワーク経由で時刻を修正するということが普通に行われる時代になりました。そして、それとともに「時報」のように身の回りから消えていくものが多くあります。技術革新が進むと、かつてあったはずの「生活必需品」のことを、私たちは忘れていきます。

 1986年…今から25年前=四半世紀前の、種ともこの(小刻みに転調が繰り返されるのが印象的な)「10円でゴメンねHOT CHOCOLATE MIX はこちら)」を聴いていると、こんな歌詞が出てきます。

十円でゴメンね。言葉が出てこない。
ピンチのウルトラマンみたいさ。
制限時間、3ミニッツ。
 もしかしたら、いえ、もしかしなくても、もう解説無しでは…意味不明なのかもしれません。

 昔は、街の中には公衆電話があって、家以外からは公衆電話でしか電話を掛けることができなくて、電話の”親機”とか”子機”なんていうものは一般的ではなくて(「電話の歴史」のその3あたりです)、だから、好きな人の”家”に(他の人に聞かれずに)電話を掛けようとするなら、まずは公衆電話という時代でした。十円玉を入れ、市内電話なら3分まで話すことができる…というわけです。だから、地球上では3分までしか活動できないウルトラマンと同じ「制限時間、3ミニッツ」と歌い上げられているのです。もちろん、十円玉を投入し続ければいくらでも電話できるわけですが(相手に電話を切られない限りは)、3分10円、30分で100円、1時間で200円…ということは、1日話すと24時間で4800円というわけで、いつまでも(電話で)話すことができるわけではないのです。…当時は、なかなか「定額制」のラブコールができる時代ではなかった、というわけです。

 しかし、よくよく考えてみれば、直接会いながら話すのでなく、公衆電話から話すシチュエーションというのは、そもそも、あまり「芳(かんば)しい」状況ではないわけで、それはまさにピンチのウルトラマンでもあるし…もしかしたら、ウルトラマンというより(歓迎されないにも関わらず)地球にやってきた怪獣のような状況だったりしたように思われます。…つまりは、ウルトラマンに3分10円ナリの短い時間に「倒される運命の(歓迎されざる)怪獣」というわけです。

 地デジとともにTV画面から時報が消えました。そんなことを考えながら、TV画面の中で地球上から毎週のように消えていた「(3分10円の公衆電話で戦う)ガオーと叫びつつ倒される怪獣」を思い起こしました。技術革新とともに、かつての生活を、私たちは忘れていきます。…たまには、忘れかけていた「昔の生活」を、ふと想い出してみたくなりもします。



■Powered by yagm.net