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2010-01-14[n年前へ]

「技術の進歩」と「歌詞の意味」と「10円でゴメンね」 

 本棚を整理していると、種ともこのデビューアルバム「いっしょに、ねっ。 」のピアノ譜が出てきた。電話の「ベル」の音がドラム代わりに曲始まりを奏でる「10円でゴメンね」を聴きながら、技術が進歩して文化が変わっていくと、歌詞の意味がわからなくなってしまうものだ、と実感させられた。

勇気出して、ダイヤル回して
受話器とうらはらに、心は繋がらない

 今では、ダイヤルを回す黒電話を使ったことがない人の方が多いだろう。そして、もしかしたら、10円玉を公衆電話に入れて、家の外から電話をかけた経験がない人のほうが多いかもしれない。ケータイを持たない人を見つけることのほうが難しい現在では、電話「線」ってナニ?「アンテナで電波」じゃないの?と思う人も多いことだろう。

10円でゴメンね
ことばが出てこない Telephone line
ピンチのウルトラマンみたいさ
制限時間 Three minutes
 なぜ、10円なのか、それがなぜ、なぜウルトラマンの3分間なのか、首をかしげてしまうのが自然な時代に、今はもうなっているに違いない。(電話の歴史を楽しく眺めるなら、同じ時代、やはり同じ種ともこの「ないしょ Love CallのPV」を観るのも良い)

 下に張り付けた動画は、デビューアルバムの後、何年もしてからリアレンジされたバージョンで、「電話の音」を多用した最初のアレンジとは非常に異なっている。すでに、この頃ですら、時代がアレンジの変化を要求したのだろう。

まさに、「歌は世につれ、世は歌につれ」である。


10円でゴメンね






2010-11-11[n年前へ]

「ひとりよがりの書法をとらないでもらいたい」 

 岩城 宏之 「楽譜の風景 (岩波新書) 」から。

 演奏者という人間を媒体とした曲を書く以上、ひとりよがりの書法をとらないでもらいたい。うまく演奏家という動物を使うべきである。自分の表現したいことを、能率良く、無駄なく演奏家に伝える方法を常に考えてほしい。見やすい、わかりやすい方法で書いた方が自分のために得なのだ。

 ほとんどすべての場合、ありとあらゆるコード記法、ありとあらゆる記述法に、このアドバイスは当てはまるのだろうか、と思ったりするのです。

2013-12-02[n年前へ]

「どんなものを作るかで定まるコーディング・ルール」と「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかった!という衝撃の事実」 

 五線譜の情報圧縮や対称化・単純化といった感じの話題から、プログラミングのコーディングルールや、記譜法における臨時記号や調合の(歴史の中での)変化といった話を眺めました。で、紆余曲折を経た後に、今日初めて(アルツハイマーが進んでなければ)知った「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかったんだ!」という衝撃の事実。

 そして、独自の「さまざまな記譜法」というあたりの話から連想したことは、岩城宏之「楽譜の風景ー記譜法のディレッタンティズム」と「ご冗談でしょうファインマンさん」の"From Far Rockaway to MIT"の一節。

 岩城宏之「楽譜の風景ー記譜法のディレッタンティズム」の方は、現代音楽の作曲家に対するこんな言葉。「自分の表現したいことを、能率よく、無駄なく演奏家に伝える方法を常に考えて欲しい。見やすい、わかりやすい方法で書いた方が自分のために得なのだ」
 そしてもう一方、「ご冗談でしょうファインマンさん」の"From Far Rockaway to MIT"の一節はこう。
 "I realized then that if I'm going to talk to anybody else, I'll have to use the standard symbols, so I eventually gave up my own symbols."
 人に何かを説明するときには、やっぱり標準の記号を使わなくてはならないことを悟り、それ以来自己流の記号を使うのはあきらめてしまった。

「時代が要請するコーディング・ルール」と「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかった!」という衝撃の事実。








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