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2009-04-10[n年前へ]

指が月をさすとき、愚者は指を見る

 四方田犬彦 「指が月をさすとき、愚者は指を見る―世界の名科白50 」から。

指が月をさすとき、愚者は指を見る。

古い諺
 けれども、指が月をさしたとき、思わず指を見てしまう人というのは、本当に愚かなのでしょうか。
 (中略) 「月」という言葉を「平和」といい換えてみてもいいでしょう。誰もが口を揃えたように、この「平和」という言葉を連発します。けれどもそれぞれのいう「平和」は、どれもが異なった意味をもっています。それを見極めるには、月ではなく、月を指している指がいったい誰のものなのかを、キチンと見定めなければなりません。本当に重要なことは、あるものが何であるかよりも、誰がそれをいっているのかを知ることなのです。

四方田犬彦

2009-11-03[n年前へ]

「経験」を持たない「賢者」

 ふと目にした言葉、衝撃を受けた言葉や、気になった言葉を、システム手帳にいつも書き写し、時間がある時にはいつも読みなおしている。…その一部をここに書くことが多い。

 その中で、「腑に落ちないけれど、書き写した」というものもある。たとえば、次にひく勝間和代の言葉もそうだ。これは、朝日新聞の2009/05/09に掲載されていた「人生を変えるコトバ」に書いてあった言葉だ。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
書き写して読み直すのだけれど、どうにも消化できず、この言葉が胃もたれしたままでいる。

 ここで書かれる「賢者」は、数多くの否応なしに学ばさるを得なかった「経験」を自らのものとしては持たなかったのだろうか。あるいは、ここで「愚者」と呼ばれる者は、本屋で歴史書を手にすることはないのだろうか。

 「腑に落ちない胃もたれしたままの言葉」を書いたのは、この言葉だけだ。どうにも、この言葉の深さというものを計ることができず、書き写した頁を眺めるたびに、いつも悩んでしまう。

 ・・・だから、というわけではないが、今日張り付けたイメージ画像は同じ「愚者」でも、勝間和代の本ではない。「指が月をさすとき、愚者は指を見る―世界の名科白50 」である。

本当に重要なことは、あるものが何であるかよりも、誰がそれをいっているのかを知ることなのです。

四方田犬彦

2010-02-18[n年前へ]

愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。

 「スプレッドシートを使ったシミュレーション入門」という講習会を、何回か手伝っている。その講習会が開催されて何回目かのとき、離散粒子法(DEM)の第一人者といっても良い研究者が、その講習会に参加申し込みをしてきて、実際、エクセルを使っていたって真面目に計算作業をしていた。

 愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。

チェーホフ
 上の言葉はもしかしたら、こう言い換えても良いのかもしれない。
 学びたがる人は賢者であることが多く、教えたがる人は愚者であることが多い。
 もっとも、賢者と愚者のどちらが、何か為す人であるか否か、ということは、また別である。



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