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2012-04-21[n年前へ]

高慢な賢者や謙虚な愚者は何処にもいない 

 「他山の石」を読みつつ、脈絡なく、「客観的な事実」と「自らの狭い主観」との違いの言葉を思い出す。

 「賢者愚に学び、愚者賢に学ばず」ということわざがあるが、どこをどう探し回っても、高慢な賢者や謙虚な愚者にはお目にかからない。愚かさは高慢と同居しているのが常である。

「客観的な事実」と「自らの狭い主観」との違い
 歴史をつかさどる女神クリオは、女神のうちで最も内気で控えめで、めったに人にその顔を見せなかったといいます。…歴史とは、内気で控えめでちょうど良いのではないでしょうか。
 私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについてその時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また、現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行い、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています。
 このようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。
 多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。

無意識に行う「過去と現在と未来の重ね会わせ」
 愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。(チェーホフ)

愚者は教えたがり、賢者は学びたがる。



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