hirax.net::Keywords::「文庫本」のブログ



2003-05-28[n年前へ]

新潮文庫で色占い 

 nobodyさんのはてなダイアリから「新潮文庫も著者が背の色を選べる、もしくは過去においては選べた」という情報が。
 本屋に行って文庫本を眺めるときは、その背表紙の色を選んでいる著者の気持ちになってみるのも、面白いかも。
 もちろん、講談社文庫についての情報も「こんな情報」とか。で、こんな風に情報がすぐ集まるところが、はてなダイアリのrefererの便利なところ。自分のサイトのログはめんどうでチェックしないけど、はてなダイアリのrefererはいやでも目にはいるから、ね。

2006-03-07[n年前へ]

「相手の問題は自分にも当てはまる」「自分の価値観」 

 週に2,3回くらいは出張がある。そんな時には、雑誌などを文庫本を買って、気に入ったページを破ってポケットに入れる。今日、破りとったページは、まずは週刊SPAの勝谷誠彦 「ニュースバカ一代」から、永田議員の話から始まる「高校生意識調査の巻」

…鏡に自分の顔を映してみた方がいい。そこには、彼(永田議員)とそっくりなあなたがいるんじゃないですか。…ところが、いかなる逆境でも、例えば共産党はふて腐れない。宗教政党もそうだ。むしろ、彼らは逆境をバネとする。それは、…確固たる価値観があるからだ。   勝谷誠彦 「高校生意識調査の巻」

2007-05-06[n年前へ]

「送籍」と「名前」 

 図書館は5階建てだが、人でにぎわっているのは1階だけだ。少し前に出版された本が置いてある2階より上には、ほとんど人がいない。人がいない2階で、無意識のうちに1冊の文庫本を手に取っていた。本を手に取ったのは、本当に無意識の一瞬のことで、気づいたら書庫から本を抜き出していたというのが的確なところである。その本を手に取った理由をあえてつけるなら、その本が「コロンブスの卵」という名前で、ちくま文庫だったからだと思う。「コロンブスの卵」という題名は科学的・工学的なものを感じさせるし、ちくま文庫はとても読みやすい文字レイアウトだという感覚が意識の底に染みついていたからに違いない。

 その本を抜き出すと同時に本の頁を開いた途端、少し驚いた。開いた頁に、「徴兵忌避者としての夏目漱石」という考察が綴られていたからだ。「展望」の昭和44年6月号に掲載されたという、丸谷才一の「徴兵忌避者としての夏目漱石」がそこに載っていたのである。前から読みたいとは思っていても読むには至らず、しかし内容が気になり数日前にも関連記事をブックマークしたりした、それらの記事の源流がそこにいきなり出現したので、驚いたのである。

 私の友人で送籍という男が「一夜」という短編を書きましたが…
1905年 「吾輩は猫である」
 

 これまで、半藤一利や北村薫の著作など、漱石の名前の由来を巡る話として「徴兵忌避者としての夏目漱石」の名前を出したものを読んでいた。しかし、「徴兵忌避者としての夏目漱石」は、徴兵忌避のために漱石が北海道へ籍を移した(送籍)ことが、漱石の神経衰弱の大きな理由になっていて、徴兵忌避の自責という視点から眺めてみれば、「こころ」の不可解な結末(乃木大将が出てくる必然性)も納得できる、という内容だった。漱石という名前が、「負け惜しみが強い」という意味の「石に漱ぎ流れに枕す」だけでなく、「送籍」をも意味するのではないかというような内容は、「徴兵忌避者としての夏目漱石」では書かれておらず、あくまで「こころ」に至るまでの背景・構造解説に集約された内容だった。

 「徴兵忌避者としての夏目漱石」の内容はとても自然なものだっただけれど、それとは別の、自然ではない「漱石の名前の由来を巡る話」にも、やはり興味を惹かれる。夏目漱石が最初に漱石という名前を使ったのは、1889年5月の「七艸集」上であって、漱石が(徴兵忌避が可能な)北海道へと本籍を送籍したのは、その3年後の1892年4月であるから、夏目「漱石」という名前の第一の由来は「送籍」ではないのだろう。しかし、漱石の最初の小説「我輩は猫である」で、自分自身を「送籍」という名前で語っているのだから、やはり自身の送籍を意識していたに違いない。

 「詩人かも知れないが随分妙な男ですね」と主人が云うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡に送籍君を打ち留めた。
1905年 「吾輩は猫である」

 「籍」は名前と住所のデータベースだ。英語で言い換えれば、レジストリである。Windows ユーザが日々悩まされているWindowsレジストリなら、名前と値が階層構造で格納されたものだ。名前などを鍵(キー)にしてそのデータベースを呼べば、値など必要な全ての情報が得られるわけである。籍を移動することで固定されない浮いた状態にしてしまう「送籍」ということからは、「名前が無い・固定できない動的なもの」を連想してしまう。

 小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もやはりただの夏目なにがしとして暮したい希望を持つております
1911年

「無名関数」と「吾輩は猫である」  博士号拒否の際に自身を「ただの夏目なにがしでいたい」と書いた夏目漱石は、その「なにがし」の部分を一つの明らかな言葉で置き換えること、すなわち自身を名付けることはできなかったのではないか、と想像する。この「なにがし」は、博士号という冠・名前を軽く扱う表現上のトリックであると同時に、実は「なにがし」の部分は、漱石にはこのように表現することしかできなかったのではないだろうか。本名の金之助をここに入れることは、もとより忌み嫌っただろうし、それが「漱石」という号であっても、一つの固定した意味しか持たない限りは、ここで使うには至らなかったかもしれない。何かを書くことで自身を作っていくことはできても、その自身にふさわしい名前を付けることは非常に困難なことだったのではないだろうか。関数の中身を長く書き続けることはできても、その関数を「短い言葉」で表現することは不可能だったのかもしれない、とふと思う。

 私はその人をつねに先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間をはばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
1914年 「こヽろ」
(dekirukana9/registry)

2008-10-25[n年前へ]

「自信」と「プライド」 

 本を読む時、これは「どういう意味」の言葉なのだろうか、と考えることがある。たとえば、「自信」と「プライド」という言葉を頁の中に見るとき、いつもこれは一体どんな意味だったのだろうか、と考える。片方は日本語で、片方は外来語のような日本語だけれど、よく「自信」と「プライド」という言葉を一緒に眺めて考えてしまう。

 この2つの言葉はよくカップリングされて出てくることが多く、しかも、同じ書き手の本の中でも、その意味合いが揺れ動き・違うようでいて・また重なり合うようでいるため、いつも「自信」と「プライド」という言葉を見ると、最小二乗法か何かで、なるべく誤差が小さい意味推定をしたくなる。

 先週も、香山リカの「I miss me.―新しい自分を見つける42章 」を読んでいると、何回かこの2つの言葉が出てきて、そのたびに何回もその行を読み返した。頁ごとにどういう意味・どういう気持ちの言葉なのだろうか、と考えた。

 他人には無関係に見えるかもしれないできごとの連なりを、日付というものを「鍵(キー)」にして繋ぎ、自分なりの物語を作るのです。そして、位置づけ・繋がりを理解・納得しようとするのです。

 この本は、香山リカが自分と同じ女性、自分と同じような女性に向けたこの本は、たぶん、文庫本で読むといいような気がする。小さな文庫本だからといって、決して通勤電車の中でバックから出して読むのではなくて、部屋の壁に寄りかかりながら一人読んでみたり、長距離列車の外の車窓を眺めつつ適当な頁からつらつらと読むといいような気がする。

2013-08-25[n年前へ]

「明日のことは誰もわからない。でも不安に思わない」 

 「あまちゃん」の東京編を観ながら、ブレイク…は遠いけど頑張ってる(B級と呼ぶ人たちもいたりする)”アイドル”たちのオーディション風景とかを思い出して、何だか泣けてきたりする。

 「あまちゃん」で元アイドルの女優を演じている薬師丸ひろ子の写真集を、ずっと昔に角川の文庫本で何冊か買ったりしたことや、薬師丸ひろ子が演じた資生堂のCMの数々や…武部聡志が編曲したキーボードリフが印象的な、薬師丸ひろこが歌う(伊集院静が作詞した…ちっ)「風と光に抱かれて」を思い出したりする。

明日のことは誰もわからない。 でも不安に思わない。



■Powered by yagm.net