2010-02-24[n年前へ]
■評論・エッセイが届くのは「賢い人」(だけ)ではないのか?
鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」No.658 「物語という手段でしか届かないもの」から。
たぶん、評論やエッセイで届けることができるのは、じつは、「賢い人」なんじゃないかと思っているのです。
もっとガンコでもっと臆病でもっと弱くてもっと真剣でもっと壊れやすい人に届けるためには、物語という手段をちゃんと考えないといけないんじゃないか、と思いだしているのです。
この記事原文では、「賢い人」には括弧がついていません。つまり、賢い人と書かれています。しかし、あえて、上の文章では括弧を付けました。
そう改変した理由は、そうした方がより現実に近く・より普遍性を持つのではないだろうか、と私はそのように思うからです。そう思うので、括弧(カッコ)を上記文章に付加してみました。
2010-02-27[n年前へ]
■他人に何かをする、ということ
後藤繁雄「彼女たちは小説を書く
」中、赤坂真理の言葉から。
他人に何かをしたいっていうのは、あんまり、思っちゃいけないことと思うけど。コントロール願望に繋(つな)がりかねないから。
鴻上尚史「ロンドン・デイズ
」から。
古今東西の権力者が語る権力の最高の会館は、人間を操縦することである。お金でも色でも美食でもなく、人間を操縦すること。
中井英夫「新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)
」「新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)
」から。
「人間を実験材料にして、好きなように操る興味が、一度もわかなかったといい切れるかどうか。本当の意味で一番残酷だったのは誰(なの)か、どうしても知りたいの」
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