hirax.net::Keywords::「鴻上尚史」のブログ



2010-02-24[n年前へ]

評論・エッセイが届くのは「賢い人」(だけ)ではないのか? 

 鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」No.658 「物語という手段でしか届かないもの」から。

 たぶん、評論やエッセイで届けることができるのは、じつは、「賢い人」なんじゃないかと思っているのです。
 もっとガンコでもっと臆病でもっと弱くてもっと真剣でもっと壊れやすい人に届けるためには、物語という手段をちゃんと考えないといけないんじゃないか、と思いだしているのです。

 この記事原文では、「賢い人」には括弧がついていません。つまり、賢い人と書かれています。しかし、あえて、上の文章では括弧を付けました。

 そう改変した理由は、そうした方がより現実に近く・より普遍性を持つのではないだろうか、と私はそのように思うからです。そう思うので、括弧(カッコ)を上記文章に付加してみました。

2010-02-27[n年前へ]

他人に何かをする、ということ 

 後藤繁雄「彼女たちは小説を書く 」中、赤坂真理の言葉から。

 他人に何かをしたいっていうのは、あんまり、思っちゃいけないことと思うけど。コントロール願望に繋(つな)がりかねないから。

 鴻上尚史「ロンドン・デイズ 」から。

 古今東西の権力者が語る権力の最高の会館は、人間を操縦することである。お金でも色でも美食でもなく、人間を操縦すること。

 中井英夫「新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫) 」「新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫) 」から。

 「人間を実験材料にして、好きなように操る興味が、一度もわかなかったといい切れるかどうか。本当の意味で一番残酷だったのは誰(なの)か、どうしても知りたいの」

2010-04-01[n年前へ]

若い人の前で恥をかくのを辞さぬ大人は偉い! 

 週刊SPA! 鴻上尚史 「ドン・キホーテのピアス」 No.759 「若い人の前で恥をかくのを辞さぬ大人は偉い!」から。

 本当は、頭と体が硬直しそうになる年齢ほど参加した方がいいと思うんですよね。でも、大人は、参加しません。どうしてでしょう。若い奴の前で恥をかいてはダメだと思うのでしょうか。
 「演技」をさらい直すワークショップに、「演技はしたことがないんで、ものすごく恥ずかしいんですけど、がんばります」とボソボソ語りつつ、若い人の中に混じってジャージ姿になって参加していた人が、「ルーキーズ」「時効警察」「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」などを撮った塚本連平監督だったことを受けて。
 僕が演劇以外のジャンルにいそいそと出かけるのは、もちろん、根が落ち着きがない、ということもありますが、演劇だけをやっていると、どんどん権威になっていって、先生と持ち上げられて、恥をかきにくくなるからです。

2010-09-27[n年前へ]

運命を変える「ヘルメットの色」は偶然が決める 

 鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス (13) どうしてニッポンはこんなに便利で息苦しいのか? 」から。

 人間の運命なんて、自分が考えている以上に偶然に左右されるものだと思ったりします。堤さんと現在指名手配されている女性との違いは、かぶったヘルメットの色だけでした。(色の違いがセクトを表すのです)
 何色をかぶるかで、その後の運命が変わったのです。でも、その色を選択した理由は、じつは、誰と出会ってどの色を勧められたか、という違いだけなのです。

 かつて、「メット」という言葉を聞くと「角棒」を連想したものだった。角棒の先には(見落としそうなくらい)小さな旗がついていた。角棒の先になぜ旗がついているかというと、あくまでその「角棒」は単なる「旗」であって決して「武器」ではない、というイイワケのためだった(と思う)。そんな人たちを、頻繁に見かけたような気がする。

 「誰と出会ってどの色を勧められたか」という偶然は、決して運命を決めるすべてではないだろうが、無視できない大きいファクターなのだろうか。

2010-10-03[n年前へ]

全員が喜ぶ番組なんかないでしょう!? 

 鴻上尚史 「ドン・キホーテのピアス (13) どうしてニッポンはこんなに便利で息苦しいのか? 」の中にある「電波少年」の土屋敏男の言葉から。

 最近のテレビはどうですか?と質問すると、「好きになって欲しい」と思って創っているいる番組より、「嫌われたくない」と思って創っている番組が増えているんじゃないかとおっしゃっていました。
 全員が喜ぶ番組なんかないでしょう、と土屋さんは続けました。



■Powered by yagm.net