hirax.net::Keywords::「鴻上尚史」のブログ



2009-06-17[n年前へ]

「他者と付き合う」ということ 

 鴻上尚史の「表現力のレッスン 」 レッスン10 他者と付き合う から。

 「他者」とは「受け入れたくないのに、受け入れなければいけない存在」であり、同時に、「受け入れたいのに、受け入れられない存在」のことです。
 「他人」は、関係ない人のことです。苦労して付き合っていく必要も関係ない人のことを「他人」と言います。
 ただ、自分の思いを表現するだけが表現力ではありません。表現力は、相手がどんな存在なのかを考える力でもあるのです。そのためには、相手にレッテルを張ってしまうことは、一番もったいないことなのです。
 「他者」というやっかいで魅力的な存在と付き合うためには、まず「他者」の事情を知ることです。それが、「他者」と付き合う大切な方法なのです。
 「他者」がくれる喜びは、「他人」がくれるものとは、較(くら)べものにならないぐらい強いものです。それは、人と深く付き合ったことのある人ならみんな知っています。
 そして、「他者」がくれる苦しみも、「他人」とは、較べものにならないぐらい強いものです。
 それが「他者」と付き合う魅力なのです。

2009-06-26[n年前へ]

「コメント」と「想像力」 

 鴻上尚史の「“祖国なき独立戦争”を楽しむために―ドン・キホーテのピアス〈10〉 (ドン・キホーテのピアス (10)) 」から。

 すべてのものは、コメントし得ると、国民が思い込んでしまったのは、いつの頃からなのでしょうか?
 世の中には簡単にコメントできないことがある。そう気づくのは想像力の問題です。

2009-07-06[n年前へ]

片隅に転がる人形のように… 

 鴻上尚史の「表現力のレッスン 」中に引用されている戯曲「ビー・ヒア・ナウ」から。

 僕たちは、片隅に転がる人形のように、自分の人生を捨てながら生きていく。何種類の人形を捨ててきたのかも忘れて、その人形と過ごした幸福な日々も忘れて、僕達は、生きていく。
 だが、ある昼下がり、友人があなたを訪ねる。・・・そして、その人形が欲しいとあなたに迫る。
 その時、人形は蘇る。いとおしさに溢れて、あなたの目の前に蘇る。

2009-08-31[n年前へ]

「空気」と「世間」 

 鴻上尚史の「「空気」と「世間」 (講談社現代新書)」の「おわりに」から。

 壊れかけた「世間」の力を、幽霊のように大きく見ては損だと僕は思っています。激しい力を持っているにしても、それは、かつての「世間」とは違うんだと、相手を見極める必要があると思っているのです。
 そして・・・

2009-11-28[n年前へ]

「やる気になればやれる」という言葉 

 「全集古田足日子どもの本 (第7巻) 」中、「忍術らくだい生」の冒頭に掲げられた言葉から。

だれだって
どんなことだって
やる気になれば やれるさ
その気になれば できるさ
-先生も そういう
-お父さんも そういう
ほんとうだろうか?

 「全集古田足日子どもの本 (第7巻) 」には、「宿題ひきうけ株式会社 」と「忍術らくだい生」が収録されている。いずれも、1960年代に書かれたものだ。

 末尾には、『宿題ひきうけ株式会社』の勇気、と題した鴻上尚史による2ページほどの一文も入っている。

 自分で考えること、自分が自分の意思で自立することの可能性を教えられたと思った。
 この作品は、確かに、ある時代の、まだ希望と未来を堂々と語れた時代の風景にもとづいている。がしかし、そこに提出される『宿題ひきうけ株式会社』のコンセプトは、どんな時代になっても、リアルであり続ける。
 僕は大学時代、小学生の家庭教師をしていた。最後の授業の日、僕はプレゼントとして、この『宿題ひきうけ株式会社』を渡した。
 それは、どんな時代になっても、この作品の勇気を知ってもらいたかったからだ。



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