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2009-05-27[n年前へ]

現代思想2009年5月号 特集=ケインズ 不確実性の経済学 

 地下の居酒屋で飲みながら、「現代思想2009年5月号 特集=ケインズ 不確実性の経済学 」を借りてパラパラとページをめくり読んだ。充実した執筆者たちが、それぞれの見方でケインズを論じていた。

 数年前、ケインズは過去の化石標本であるがように経済学の話を聞き、同じように、そういった雰囲気の本が本屋に並んでいた。けれど、今、本屋に行くと、ケインズという文字が溢れていて、地域振興券や高速代金割引がバラまかれ、まさに「ケインズ的政策」が日本中を席巻している。

 「100年に一度の不況」という言葉がしきりに使われている。100年に一度、不況が訪れるという。100年に一度、ケインズは蘇るのだろうか。歴史は何度も繰り返す、というのは本当なのだろうか。

2009-08-01[n年前へ]

「ケインズの不確実な未来」と「PID制御」 

 「現代思想2009年5月号 特集=ケインズ 不確実性の経済学 」を、しばらく前に居酒屋で眺めた。結局、その後、自分で買って、じっくり読んでいる。選挙のマニフェスト(のようなもの)と比べながら読んでみたり、歴史年表を見て歴史背景を確認しながら読み進めてみたりしている。

 この本を読む時、制御工学のPID制御をふと連想することがある。「"現在"の姿に応じた(比例した)"P=Proportional"と、過去の履歴を積分した"I=Integral"と、その瞬間の変化(動き・移り変わり)を強調した微分の"D=Differential"を、テキトーに混ぜ合わせたものを基準にして動く制御機構」と、人々が日々考え動くさまを重ね合わせてみたくる。

 人はやりなおしのきかない過去と、不確実な未来の前で、経済行為の決断をするのである。

「ケインズの思想」 伊東光晴

2009-08-02[n年前へ]

70年前の経済思想についての「衒学的議論」 

 「現代思想2009年5月号 特集=ケインズ 不確実性の経済学 」から。

 そして彼ならば、経済学者達が70年前の経済思想について衒学的議論に憂き身をやつしている様を見ることもまた、決して喜びはしないだろう。

2011-02-13[n年前へ]

「社会をよくできる論理」の魅力と危険性 

 「社会をよくできる論理」の魅力と危険性〜小島寛之、から。

 僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の”こうあってほしい世界観”に近くて、あこがれとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。
 そこで思ったのは、自分がほしがっている”あまりに魅力的な結論”を与えてくれる適度な理屈・ロジックに飛びついちゃったんじゃないか。胃の痛くなるような検証をするとか、自分に最も不都合なケースを想定するとか、科学的検証の基本中の基本を無意識に避ける性癖が、あの人たちの中にあったんじゃいかな、って思ったのです。そして、それは僕の中にあるかもしれない、という恐怖感が起きました。

2011-05-18[n年前へ]

「因果関係」という作用を与える(瓜二つの)「物語と科学」 

 無料で購読できる最高のグラフ誌「GRAPHICATION」 から、池内了の「子どもの遊びにおける物語性と科学性」を読みました。冒頭のこんなフレーズを読みながら、少し首をかしげてしまいました。

 幼児期から小学校までの子どもが好きなものは物語と科学(理科)だろう。この二つは一見すると無関係なようだが、実は重要な共通点がある。想像力を刺激するという点だ。

 なぜ、首をかしげてしまったかと言えば、それは「物語と科学」は無関係どころか、とても「繋がりやすい」ものだ、という印象があったからです。科学も物語も、そのどちらもが「因果関係を与えてくれる」瓜二つの作用を持つものだという意識があったので、「一見すると無関係」という言葉に違和感を感じてしまったわけです。

 「普通、人間のいちばん好きな考え方は因果関係です」と言うのは心理学者の河合隼雄の言葉です。そして「人は因果関係を納得しやすい。というか、因果がないと、物事の関係性を納得しにくい生き物なんだよね、人って」と書いたのは、小説家の新井素子です。

 だからこそ、「(人の心や頭を)納得させる因果関係」や「”こうあってほしい世界観”や”自分が欲しがっている魅力的な(適度な理屈・ロジックをまとう)結論”」を与えてくれる(ように思わせる)疑似科学という物語は人を惹きつけるのです。

 僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の”こうあってほしい世界観”に近くて、あこがれとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。
 そこで思ったのは、自分が欲しがっている”あまりに魅力的な結論”を与えてくれる適度な理屈・ロジックに飛びついちゃったんじゃないか。

小島寛之

 科学も物語も、そのどちらもが「世界」を描いてるように見える巻物です。「因果関係」という作用・納得を与える(かのように見える)瓜二つの存在です。



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