hirax.net::Keywords::「パラドックス」のブログ



1999-05-30[n年前へ]

パーマンのパラドックス 

ボトルネックは何処だ?!

 以前、
ハードディスクのエントロピーは増大するか?- デフラグと突然変異の共通点 - (1999.03.28)
の最後に「突然変異(あるいは、ハードディスクで言えばデフラグメント)のような現象が起きて、エントロピーが減少しない限り、熱的死(いや企業や会社であれば画一化、平凡化、そして、衰退だろうか)を迎えてしまうのだろう。」と書いた時に少し不思議な感じがした。それは、次のような矛盾を感じたのである。

まずは、

  1. 何事につけても、全体としての強さは一番弱いところで決まってしまう。
  2. 全体としての完成度を高くするためには、どこの強さも同じであるのが理想的である。
  3. 従って、全体を構成する部分というものは均質であるのが理想的である。
というのは自然であろう。何事も、一番精度・力の低いところが全体の精度・力を決めるというのは当然である。例えば、一車線の道を考えると、遅い車が一台いれば、全体の速度もその車の速度に従ってしまう。
もし、ビルの鉄骨の一部に弱い所があれば、そこから崩壊が始まり、いずれビルが崩壊することは免れないだろう。
 精度・力が高い所がいくらあろうと、「一番精度・力が低い所の=全体の精度・力」なのである。従って、一番精度・力が低い所を改良するのが全体としての完成度を高めるための唯一の方法である。
 これは、モノであろうが、個人であろうが、グループであろうが同じである。例えば、写真を撮って出力することを考えよう。いくら写真の素材が良くてもカメラマンの腕が悪ければ駄目であるし、写真自体が良くても、写真の出力装置が悪ければ、それもやはり駄目である。そもそも、カメラマンが狙う被写体自体が悪ければ、答えはやはり同じである。
 従って、精度・力を揃えた均質的な状態でなければ良いものは生まれないわけである。

 これと、先の「画一化、平凡化、そして、衰退」すなわち、「画一化は良くない」ということの間に矛盾を感じたわけである。

 しかし、少し考えてみると特に矛盾が無いことがわかる。ロボットを作る場合を考える。

  1. まずは一人で機械系も電気系もソフト部分も自分で作っていた。
  2. ソフト部分がどうも苦手なので、ソフトが得意な友達に手伝ってもらう。
  3. すると、電気系が比較的うまく行かないようだ。
  4. そこで、友達の友達に電気系を手伝ってもらう。
  5. それぞれ得意な部分で力を発揮し、特に弱いところもなくなった。
  6. ロボットの完成だ。
という具合だ。つまり、異なる分野・方法で力を発揮し、なおかつその精度・力が均質であれば理想なわけである。鉄筋コンクリートがその良い例だ。同じ分野で精度・力に差があるものがある時には、その低いほうが全体の力を決めてしまうので駄目である。

 それでは、数学的にふざけたことを考えてみる。といっても、難しく考えるのではなく、中学生でも知っていそうなあの式を使うのである。

 簡単の為にX,Y二つの部品からなるものを考える。それらの単独での精度(あるいは、出力)をx,yとすれば、全体としての精度(あるいは、出力)を考えると、それは(x* y)^(1/2)と置くのが自然だろう。それぞれ単独であれば、単なる和としては(x + y)/2であるわけである。ここで、2で割ったり1/2乗しているのは規格化しているようなものである(あとの落ちに繋げるためでもあるのだが...)。
 今やりたいことは、(x * y)^(1/2)がなるべく大きくなるようにしたいのである。というわけで、相加相乗平均の関係式の登場である。

x->(0,50),y->(0,50)の範囲で図示したもの
(x+y)/2
...相加
(x * y)^(1/2)
...相乗
(x * y)^(1/2)-(x + y)/2
...相乗-相加
 というわけで、


すなわち、x=yの時に(x * y)^(1/2)は最大になるわけである。良く知られている、相加相乗平均の関係式である。今回の話では、それぞれの精度・力が均質であれば理想的というのはこういったことである。異なる分野・方法で力を発揮しという方は簡単だ。異なる分野・方法で力を発揮するのでなければ、わざわざ乗算、すなわち、いっしょに組ませる必要がない。

 さて、タイトルの「パーマンのパラドクス」であるが、少々疲れてきたので、本題は次回にしたい。今回はタイトルについての考察を上の話に絡めてしてみるに留める。
 私は「パーマン」についてほとんど知識がない。TVアニメを観ていた記憶がある位である。だから、パーマンの名前の由来が何であるか知らない。スーパーマン+罰としての「パー」からきているのかもしれないが、ここで勝手な想像をしてみる。英語で考えてみると、par=同等、同水準、平均であるから、par-manは「平凡な主人公ががんばってスーパーマンになる」という気持ちが込められているのかもしれない。これはありそうな話である。
 ここで、「平均」でなくて同等というような意味をそこに入れたらどうなるだろうか?パーマン1,2,3,4号に対して、par=同等、同水準、平均というような視点から考えてみるのである。あるいは、パーマンだけではなく、他で考えたらどうだろうか....

2001-01-27[n年前へ]

オッパイ星人の力学 仏の手にも煩悩編 

時速60kmの風はおっぱいと同じ感触か?

 本サイトhirax.netは「実験サイト」というジャンルに分類されることが多いようである。何が実験で、何が実験でないのかは私にはよくわからないのだが、とにかく「実験サイト」と呼ばれるサイトは数多くある。そして、その数ある実験サイトの中でも、人間そして愛について日夜取り組んでいるサイトの一つが「性と愛研究所」である。

 その「性と愛研究所」を読んでいると興味深いことが書いてあった。テレビ番組の「めちゃめちゃイケてる!」の中で何でも「時速60キロの風圧はおっぱいの感触である」と言っていたらしい。そしてまた、「性と愛研究所」では「おっぱいの感触と風圧に関する考察」の中で、「時速60kmでは全然おっぱいの感触ではなくて、ちょうど時速100kmを境に急におっぱいの感触を感じます。」というメールを紹介しながら、

「時速100kmの風では、本物は触れないけどお手軽に疑似体験、名付けて『プリンに醤油でウニ』ではなくなってしまう。それでは、まるで『キャビアにフォアグラでトリュフの味』だ。青少年のために疑似おっぱいを探してあげる必要があるな。」
と結論づけている。

 この「時速60kmの風」現象は「できるかな?」的にとても興味深いと思われるので、今回じっくりと考えてみることにしてみた。そして、この結論に何らかのプラスαをしてみたいと思う。

 そう、前回「オッパイ星人の力学 第四回- バスト曲線方程式 編- (2001.01.13)」でオッパイの表面で働いている力について考えてみたのは、実は単に今回・そしてさらに次回の話のための準備だったのである。(さて、ちなみに今回は会話文体をメインに話が進む。「性と愛研究所」ではないが、この手の話は会話文体の方が書きやすいように思うし、私のバイブル「物理の散歩道」でも「困ったときの会話文体」と言われていたので挑戦してみた次第である。言うまでもないが、AもBも私が書いてはいるが、私自身ではない。)
 

A : 「東名高速で出勤途中に確認してみたんだが、やはり時速100kmあたりが妥当な感じだったな。」

B : 「何を根拠に妥当なのかがよくわからないが、確かに時速60kmでは手に何かが触っているという感触すらないな。それにしても、哀しい出勤の景色だぞ、それ。」
A : ほっとけ!だけど、少し考えてみると、このおっぱい(ニセモノ)の感触問題は結構面白く、技術的にもなかなかに深い話だと思うんだよ。」
B : 「はぁそうですか…、としか言いようがないな。」
A : まぁ、聞け。何しろこのおっぱい(ニセモノ)の感触問題には流体力学のエッセンスがぎっしりと詰まっているんだからな。」
B : 「そんな話は聞いたことはないが、とりあえず聞かせてもらおうか。」
A : 「このおっぱい(ニセモノ)の感触問題を解くためには、とりあえず車の窓から手を出したときの指の周りの空気流を計算すれば良いわけだ。」
B : 「ちょっと待て。何で指の周りなんだ。手のひらじゃなくて?」
A : 「簡単なことさ。試しにおっぱいを揉む仕草をしてみろよ。」
B : 「こ、こうか?あぁ?手のひらじゃなくて指で揉んでるっ!
A : 「そうだろ。何故かわからないが、おっぱいを揉む仕草=Mr.マリックが超魔術をかける時のような指使いらしいんだよ。」
B : 「うむ、確かにそのようだな。」
A : 「だから、時速60kmの風からおっぱいの感触を受けているのは指先だと考えるのが自然だろ。それなら、とりあえず下の図のような「指の間を抜けていく空気の流れ」を計算してみれば、おっぱい(ニセモノ)の感触問題が解けるわけだ。」
B : 「実写の手に二次元の計算結果を三次元的に合成するという凝った処理が、実にクダラナイことに使われている例だな…」
車の窓から手を出して、指の周りの空気流を計算しよう
  高速で走る車の窓から手を出して、その手の指の間を抜けていく空気の流れを計算しよう。

 鉛直方向の指の等方性を考えて、右の図に示すような指を輪切りにするような水平面のみを考える。

 こんな写真を撮るときに、自己嫌悪に陥りがちなのは何故だか知りたい今日この頃。

A : 「こういう「空気の流れ」ような流体の力学は、ニュートンのプリンキピアに始まり、オイラーとベルヌーイにより非圧縮・非粘性の理想流体の運動方程式とエネルギー保存則が導かれた。それがオイラーの運動方程式とベルヌーイの式だ。オイラーの運動方程式はちなみにこんな感じだ。」
 

オイラーの運動方程式

加速度 = 外力 + 圧力勾配力
 
v : 速度
s : vに沿ってとった座標
t : 時間
p : 圧力
K : 外力

A : 「基本的には「加速度 = 外力 + 圧力勾配力」という形だな。この非圧縮・非粘性の理想流体の場合はラプラシアンがゼロのポテンシャル流れと呼ばれる単純な流れになる。試しに、そんな場合をNast2Dを元にしたプログラムで計算してみた結果はこんな感じになる。ホントはこの計算自体は完全な理想流体ではないのだが、まぁ大体はこんな感じだ。」

B : 「おっ、あっという間に計算したな。」
A : 「まぁ、ポテンシャル流れならエクセルでもちょちょいと計算できるくらいだからな。ちなみに、これは窓から手を出してしばらくしてからの空気の流れだ。」
 
粘性が(ほとんど)ない時の指の周りの空気の流れ

A : 「で、どうだ?」

B : 「いや、どうだ、と言われても困るが、なんかキレイだな。だけどちょっと小さくて見にくいなぁ。」
A : 「そう言われれば確かにそうだ。じゃぁ拡大してみるか。」
 
粘性が(ほとんど)ない時の指の周りの空気の流れ (拡大図)
空気は右から左へ流れている。いや、指が右から左へ移動していると言った方が良いか?
B : 「で、この結果から何がわかるんだ?」
A : 「この図で空気は左から右へ流れているわけだが、左端の空気の速度と右端の空気の速度は、実は同じなんだ。」
B : 「そう言われても、よくわからないが?」
A : 「指を通り過ぎてく空気は、指をとおる前後で運動量がそのまま変わってないってことさ。つまり、空気は指を通り過ぎる時になんら抵抗を受けてないってことだ。」
B : 「えっ?おかしいじゃないか、それなら逆に言えば指も空気から何の抵抗を受けないってことか?
A : 「そういうことだ。これがダランベールのパラドックスだ。」
B : 「じゃぁ、何か?この指先に感じるまぎれもないおっぱいの感触はだとでもいうのか!? そんなのオレは認めないぞ!」
A : 「まぎれもない、っていうほどのものでもないし、ニセモノおっぱい自体は何か一種の幻のような気もするが、もちろん感触自体は幻であるハズはない。そもそも、空気をサラサラな理想流体として取り扱ったところが間違っているわけだ。そこで、登場するのがナヴィエとストークスだ。彼らはオイラーの運動方程式に粘性を導入した。全てはおっぱいの感触を説明するため、だ。」
B : 「それウソだろ。ナヴィエとストークスが聞いたら怒るぞ。」
非圧縮流体に対するナヴィエ・ストークスの方程式

加速度 = 外力 + 圧力勾配力 + 粘性力
 
v : 速度
t : 時間
p : 圧力
K : 外力
μ: 粘性係数

A : 「見ればすぐわかるだろうが、この非圧縮流体に対するナヴィエ・ストークスの方程式は、最後に粘性項が入っている以外はオイラーの運動方程式と全く同じだ。」

B : 「なるほど。こうしてみると意外に簡単な式だな。」
A : 「あぁ、オイラーの運動方程式に粘性項が入っただけだからな。そのせいで計算はちょっと複雑になるが、最近のパソコンならノープロブレムだ。というわけで、粘性を考慮して計算してみた結果が次の図だ。」
 
 
粘性を考慮した指の周りの空気の流れ
B : 「おっ、ちょっと様子が違うな。何か、ジェットエンジンみたいに尾を引いてるぞ。」
A : 「そうだろ。指の後ろのl様子がずいぶんと違うだろう。で、これを拡大してみたのが次の図だ。」
 
 
粘性を考慮した指の周りの空気の流れ (拡大図)
B : 「左端の空気の速度はもちろんさっきと同じだが、指の後ろでは空気が渦巻いているし、右端の空気の速度は全然違うな。」
A : 「もっとリアルに、窓の外に手を出したときの、指の周りの空気の動きを時間を追って計算してみた計算結果のアニメーションが次の図だ。指の周りに空気が渦巻いていく様子がよくわかるハズだ。」
 
車の窓から手を出して、指の周りの空気流を計算しよう
 窓の外に手を出したときの、指の周りの空気の動きを時間を追って計算してみたもの。指の周りに空気が渦巻いていく様子がよくわかる。

 メッシュを細かく切ったおかげで、計算結果は1GB弱。なんてこったい。

B : 「指が空気の中を走り抜いていく様子がよくわかるな。確かにこれなら、空気の抵抗を受けまくりだな。」
A : 「そうだ。空気は指から力を受けるし、逆に、指は空気からしっかりと力を受けるわけだ。」
B : 「なるほど、この計算結果は指先に感じるまぎれもないおっぱいの感触を説明しているわけだな。いい感じじゃないか。流体力学そして粘性項さまさまじゃないか!」
A : 「あぁ、それも全てナヴィエとストークスのおかげだ。」
B : 「おやっ?ちょっと待てよ!これでは、ただ現実を説明してみただけで、何の解決にもなってないぞ!時速60kmと時速100kmの風の感触の差を説明しているわけでもないし、青少年のためのもっと安全な擬似おっぱいを提供しているわけでもない!」
A : 「いや、それがそういうわけでもない。実はこの先があるんだ。このナヴィエ・ストークスの方程式の解はレイノルズ数という無次元数によって決定されるんだ。今回の場合で言うと、レイノルズ数は「指の直径x 車の速度 / 流体の運動粘性率」という形になる。そして、このレイノルズ数が大きくなるほど渦が延びていくんだ。」
B : 「なるほど、わかってきたぞ。つまりあれだな。時速60kmから時速100kmに速度を上げれば、それに応じてレイノルズ数が大きくなって、空気の渦もおおきくなるし、おっぱいの感触も確実なものになるわけだな。勉強になるな。」
A : 「う〜ん、実際には密度の違いの方が大きいんだが、ナヴィエ・ストークスの方程式の理解としてはそれでいいかもな。あと、単にレイノルズ数を大きくしたかったら指を太くする、っていうのでもいいわけだ。」
B : 「そう言われても指の太さはなかなか変えられないしなぁ。」
A : 「指サックとか色々手はあると思うが、もっといい方法がある。さっきの式を眺めてみれば流体の運動粘性率が小さくなれば、レイノルズ数は大きくなる。例えば、水の運動粘性率は空気のそれの十五分の一だ。」
B : 「ってことは、水の中だったら、レイノルズ数も大きいし、密度も大きいし、指先に抵抗を受けまくりってことだな。すると、水中で手を動かしてみれば、それは空気中の高速クルージングと同じってことになるな!」
A : 「そうさ、風呂の中で手をひとかきすれば良いだけの話さ。何もわざわざ時速100kmの車の窓から手を出す必要はないんだ。実際、風呂の中で確かめてみたけど、なかなかイイ感じだ!」
B : 「時速100kmで走る車の窓から手を出すのに較べれば、風呂の中で手をひとかきすれば良いだけなんて、まさに青少年のためのもっと安全な擬似おっぱいだな!」
A : 「あぁ、それも全てナヴィエとストークスのおかげだ。」
B : 「それはもういいっ言ってるだろ。」
A : 「ところで、ふと考えてみたことがあるんだ。さっき、指を太くすれば遅い速度でもレイノルズ数が大きくなるって言っただろ。東大寺の大仏なんかかなり指が太いじゃないか。」
B : 「確かに、そうだな。」
東大寺の大仏 (想像図)

A : 「今調べてみると、大仏の掌の長さは256cmだ。つまり普通の人間の10倍くらいある。だったら、指の太さも10倍はあるだろう。ってことは、ほんのそよ風が吹いただけでも、大仏の手にはしっかりとしたおっぱいの感触が感じられているんじゃないのかな?」

B : 「単に手が大きいから空気の抵抗も大きいだけどいう気がしないでもないが、指の長さもでかいしさぞかし超巨乳の感触かもしれんな!そう考えると、あの大仏の手も何か実にイヤラシイ手つきに見えてくるから不思議だな!」
A : 「う〜ん、悟りを開いているから、指先のヘンな感触なんかには惑わされないんだとは思うけどな。しかし、案外と仏もそんな煩悩と日夜闘っていたりするのかもしれないなぁ。しかも、その煩悩がホントーにあるのかもよくわからない幻のような擬似おっぱいってところが面白くないか?大仏の指先は二十一世紀の煩悩そのものを暗示しているのかもしれん。仏の手にも煩悩ってところだな!」
B : 「言いたい放題だな、全く。」


 さて、今回は「オッパイ星人の力学第四回 - バスト曲線方程式 編- (2001.01.13)」と繋がるところまで話が辿り着かなかった。おっぱいの表面張力、マボロシのような指先の流体力学、そして大仏の煩悩をめぐる大河ドラマは人生そのもののようにまだまだ続くのである。
 

2003-10-23[n年前へ]

自己言及の論理と計算 

自分自身について述べることの難しさと面白さは、日常誰でも経験することだと思います。この講義では、数理論理学と計算機科学の密接な関係を示す好例として、自己言及から生じる様々なパラドックスなどの数理論理学における問題、また自分自身を呼び出すような再帰的なプログラムやデータ構造に関する問題などについて、統一的な視点から考察します。また、後半では自己言及現象の自明でないモデルの例を実際に構成します。
という自己言及の論理と計算

2004-03-20[n年前へ]

集合とその補集合の境界線をひく、ということ 

 センのパラドックスは、言い換えれば「万人に奉仕する社会はどうやっても作り得ず、一部の人間にとっての社会しか作り得ない」ということなのだろうか。そして「一部の人間」と「その補集合」を区切る絶対的な線を引くことはできず、誰かが…
というおれカネゴンの「算数記」の文を読んでから、「センのパラドックス」を説明する『合理的な愚か者』へ。

 定義域の非限定性(=どんな変なヤツもいるような社会?)であれば、「リベラル」的かつパレート的な(=どいつのわがままも聞きながら、みんなが満足するような?)社会決定はできない
というその証明の解説は「はてなダイアリー」の「はてなダイアリー評議会」などの一連の動きを連想させ、さらに集合Aの補集合のさらにその補集合がその集合Aだと、なんとも当たり前のこともふと考えさせられる。集合Aになれなかったものがその補集合なのか、それともその補集合になれなかったものこそが集合Aなのか、消去法で決まる側はどちらなのか、とふと考える【補集合の補集合とはおれカネゴン】。

2006-03-20[n年前へ]

「24色肌色クレヨン」と「センのパラドックス」 

 from n年前へ.

 「24色肌色クレヨン」黒・茶色・薄オレンジ・赤色…24色がどれもみんなそれぞれ違う、だけど、「どれもみんな同じ肌色」だと知ることができる肌色クレヨン。
 定義域の非限定性(=どんな変なヤツもいるような社会?)であれば、「リベラル」的かつパレート的な(=どいつのわがままも聞きながら、みんなが満足するような?)社会決定はできない。



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