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2010-03-08[n年前へ]

仕事仲間との「給料の比率」 (初出:2006年03月21日) 

 「(漫才の)ネタを書く側をSE、そうでない人をプログラマとして、人気コンビに例えて、ギャラ比率をレポート(考えよう)」という記事を読んだことがあります。仕事を一緒にする人、けれど仕事の内容は違う人の間では、一体どんな割合でギャラを分けているものなのだろうか?というレポートです。その記事を読んだとき、ウォームビズに関する計算を行い、そして記事を書いた時のことを思い出しました。

 編集者と一緒に、計算内容の修正・デバッグ作業をしたときのことです。私たちは、メール越し太平洋越しに、こんな言葉を交わしたような気がします。
「何だか大変な仕事になってしまいましたねぇ…」
「この仕事量だと、いくらぐらいの報酬をもらいたいと思いますか?」
「あと、私たち二人(編集者の方と私)の間で、ギャラの分け前は一体どんな感じだったら納得します?」

   その後、「(ギャラの分け前は)半々でいいんじゃないでしょうか? たいていの場合は、下っ端エンジニアの方が”しきり役”より報酬って安いですけどね」と私が書けば、つまり、「いいんじゃないでしょうか」と言いながら…半分寄こせと要求する私に対し、「いやいや、ふつう、選手の方が監督より年俸は高いでしょう?それに、こういった業界では、筆者の方がしきり役(編集者)よりギャラが安いということはありえないんです…」と、大人の編集者は淡々と書かれたりするのです。

 異なる仕事をする人の間で、「報酬の分け前がどんな感じだったら納得できるか?」というのは難しい問題であるように思えます。基本的に、長く仕事を一緒にしたい人との間では、難しいことは考えず等分にするのが一番気持ち良いような気がします。二人なら半分に、三人なら三等分に・・・というのが、心地良いように思います。

 こんな時、なんだか難しいことを考えようとする時には、経済学者 石川経夫の言葉を、今一度眺め直してみることにしましょうか。

  この世は不公平なものだが、
  それぞれが努力すればそれに見合ったものを 
  みんなが得られるようになる社会を
  どうすれば実現できるだろう、
  ということを愚直なまでに考えるのが経済学だ。

2012-08-08[n年前へ]

時間で計られた報酬を貰うのは「サラリーマン」とは言いません!? 

 「サラリー(salary)」とは「行った仕事に支払われる報酬」で(仕事をするのに)かけた時間に対し支払われるものでなく、「作業時間に対して支払われる報酬」は「ウェイジ(wage)」だと言われます。

 だとすれば、「人月」という単位でお金が流れる場所にいる状況は、きっとサラリーマンではないのでしょう。もしも時間で報酬が計られるなら、それは(サラリーでなく)ウェイジ・マン…なのかもしれません。

 大正時代、サラリーマンという和製英語が言葉が生まれた時代には、「サラリーマン」は確かに(時間でなく仕事量で量られる)サラリー(salary)を手に入れる人(man)でした。大戦を経て、 昭和に入り…いくつもの変化を経た後、時間給(wage)を手にする人も(元々の意味から外れて)「サラリーマン」と呼ばれるようになったのです。

 「サラリーマン」という和製英語が使われはじめたのは大正時代の半ば。工員や店員などと区別された職員(月給取り・ホワイトカラー)で、旧制中学校などの中等教育以上の学歴の者たちの職業だった。

サラリーマン誕生物語

 21世紀の日本から、サラリーマンと呼ばれる(けれど、ある意味では実はウェイジマンな)プログラマが、大正時代にタイムトリップしたとしたら…一体どんなことを考えるのでしょうか?

 サラリーマンという言葉が誕生した大正時代から、その「報酬体系」は時代を反映して色々な変化がありました。そんな時代背景や変化を眺めてみると、ちょっと興味深いと思います。



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