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2004-07-26[n年前へ]

超幸福論 

 「萌えの数学」を構築したと思ったら、さらに「幸福」について考えたという「超幸福論」幸福とは一体何か?を知りたい人は読んでみると面白いかも。何より、面白い結論は「悩みで無限ループに陥ったときには、何はともあれ - 繰り込み - で解決すべしー」かもしれない。

 そこで、「都合の悪いことはいつもくりこむ。ほんとにそれでいいのかな」なんて考えてはイケナイ。「都合の悪いことはいつも繰り込んで、幸せを探す」なんて、ほら物理の世界が何だかずいぶん人間らしく思えてくるはず。だって、みんな人間なんだもの。

2004-08-05[n年前へ]

幸福論の進化 

 「(自分がどれだけ幸福だと思っているかという)幸福」「(物質的、経済的、社会的(権力等)にどれだけ恵まれているかという)虚幸福」により、(超幸福)=(幸福)+k * (虚幸福)導入・提案した超幸福論は「幸福の繰り込み」テクニックを提唱した。それは、(物質的、経済的、社会的(権力等)にどれだけ恵まれているか)は気にせず、(自分がどれだけ幸福だと思っているか)ということだけを上手く考える知恵である。

 そして、さらに超幸福の式を展開した幸福論の作者は、実は(幸福)=(虚幸福)だったのではないのか?、それはつまり「物質的欲求の強い人間はプラスの幸福を感じることができない」ということではないのか?、と気づく。実に、奥深い話だ。


 個人的に興味があるのは、この「自分がどれだけ幸福だと思っているかが重要だ」という幸福論の作者が「ロリータ指向(×嗜好)プログラミング」を提唱する「萌え派」である、というところだ。「物質的にどれだけ恵まれているか、は重要でない」と説く作者の指向は、実は「微乳指向→ロリータ嗜好→萌え」という繋がりだったりはしないだろうか。いや、そんなことはないか。

2006-04-08[n年前へ]

「幸福論」 

幸福論 小倉千加子・中村うさぎが書いた「幸福論」を読んだ。「なるほど」と頷くところは多いのだけれど、「モテ・非モテ論」と同じく、「興味を惹かない箱」に入れた。いや、少し違う。「そんなことは考えてもしょうがない、の箱」だ。頷くところはとても多いのだけれど、その結果を不毛に感じたからだ。そして、「未来はどうなっているんだろう?」という質問にムッっとしたアランケイの「未来を予測したい?なら未来を作ってしまえばいいだろ?」というセリフをふと連想した。

 彼女らが持つ背景・環境・価値観を共有できる人たちは、とても興味深く読むに違いない。その背景・環境・価値観を実におぼろげに想像することしかできない私ですら、頷くところは多かったのだから。とはいえ、この本のどのページも破り撮り残すこともせず、そのままゴミ箱へ入れようと思う。そして、限られた時間を他のことに費やしたいと思う。この本には、(特に他者に対する意識が強かったり、物事に意味をつけたくなるタイプには)たくさん面白いことが詰まっている。しかし、「未来論」を語るくらいなら、ほんの少しでも「未来」を作った方が好みに合うのと同じく、この「幸福論」という本を長く読み返すくらいなら、他のことをしたい。

 そういえば、「幸福」って何だっけ?と思い、新明解国語辞典をひいてみた。なるほど、「幸福」という状態は、「進化を続けてきたことで現在がある生物の世界」とは相反するものなのかもしれない。

 「幸福」現在の環境に十分満足出来て、あえてそれ以上を望もうという気持を起こさないこと。また、その状態。  「新明解国語辞典」
外へ外へと向かっていくそういうエネルギーがなかったら、人類はいまだに洞窟の中で暮らしてたんだろうか。  「イラクと幕末」

2006-08-05[n年前へ]

「幸福論の進化」 

 from n年前へ.

「幸福の繰り込み」テクニックは、物質的・経済的・社会的権力等にどれだけ恵まれているか)は気にせず、「自分がどれだけ幸福だと思っているか」ということだけを上手く考える知恵である。

2009-06-06[n年前へ]

「理解して欲しい」でなく「理解したい」 

 小倉千加子中村うさぎの「幸福論 」から。「理解して欲しい」でなく「理解したい」

 だって、人間のコミュニケーションにおいては、その気持ちこそが最大の武器だったりするワケだもの。相手を理解したいという、本気の気持がね。それこそが「愛」というものの本質ではないかとさえ、私は思うの。



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