hirax.net::Keywords::「池内了」のブログ



2003-11-18[n年前へ]

役に立たない、遊びとしての物理学 

 富士ゼロックスの広報誌「GRAPHICATION」の今月号が届いた。池内了の「現代科学の見方・読み方」に「役に立たない、遊びとしての物理学」のこれからの重要性が書かれていて、とても面白く読む。
 この文章の最後は「ニュートリノ研究が社会の役に立つのですか?」という問いに小柴昌俊さんが言下に「役に立たない」と答えたその姿勢こそ物理学者は学ばなければならないと思う、と結ばれている。
 とはいえ、「役に立たないこと」が生み出す豊かさももちろん受け入れた上で、「役に立つこと」を求める納税者が少なからずいる中である程度の予算を請求するからには…と思ったりもするが。

 それはともかくこの広報誌「GRAPHICATION」は無料配布ということを考えるととてもお薦め。

2004-07-22[n年前へ]

GRAPHICATION 働き方を考える 

 GRAPHICATION(グラフィケーション)は富士ゼロックスの広報誌である。といっても、ありがちなつまらない企業広報誌ではなく、とても読み応えある雑誌だ。無料で購読することができるので、購読していないという人にはぜひ購読申し込みをすることをお勧めする。

 今月のグラフィケーションの特集は「働き方を考える」というものである。二十代後半過ぎ〜五十代くらいまでの人はきっととても興味深く読むことができると思う。また、少し面白いのが、稲葉振一郎/玄田有史・中村達也・太田肇・中沢孝夫・杉村和美らによる特集記事だけでなく、天文学者 池内了のような連載陣も「働き方を見直す」というような特集テーマに対応した内容を書いていることだ。その機動力は少し驚きだ(池内了の対応力がすごいのかもしれないが)。

 特集記事の冒頭、経済学者の稲葉振一郎と玄田有史の対談は、現在の社会背景(IT、若年層の失業 等)を踏まえながら、内容の濃い、けれど読んでいてとても面白く目から鱗の話を語っている。

世の中には二つのタイプの研究者がいる。理路整然と嘘を言う研究者と支離滅裂だけど真実を言う研究者がいる。 川喜多喬
 こんな、興味を惹く言葉がこの対談にはたくさん詰まっている。また、さまざまな「IT化に伴う虚言」に対する対話内容も面白いのだけれども、「経済学とはどういう学問ですか?」と問われて、経済学者の石川経夫が答えた内容が実に心惹かれる。
この世は不公平なものだが、それぞれが努力すればそれに見合ったものをみんなが得られるようになる社会をどうすれば実現できるだろう、ということを愚直なまでに考えるのが経済学だ。 石川経夫
 また、石川経夫の「人格」という言葉に異を唱えて「人間に格はない」と言ったという一節も実に興味深い。「格付け」をしたがる自分たちを顧みると、目から鱗の言葉だ。

 ちなみに、天文学者 池内了が連載「現代科学の見方・読み方」の中で語る「忙しさが増す中での時間を作り出す四つの方法」は
 1. (便利そうに見える)テクノロジーは敬遠する
 2. 出張の際はマイペースに過ごす
 3. 何かに専念する日と専念しない日に曜日を分ける
 4. (信頼は得た上で)異端者になる
である。「(信頼は得た上で)異端者になる」という項目は面倒な仕事を増やしすぎないためには、とても効果的かも。実際にやろうと思うと、なかなか難しそうだけれども。

2007-12-19[n年前へ]

GRAPHICATION 「ものづくりと物語」 

 (無料で定期購読することができるGRAPHICATION の最新号の特集は「ものづくりと物語」だった。GRAPHICATIONは、一つの特集テーマの下で、色々な人たちの視点から見た記事が描かれている。特集記事だけでなく、連載記事でもその特集テーマに対することが書かれることも多い。GRAPHICATIONは本当に密度が高い。

 ものづくりは自然への畏敬の念とともに、人がモノと格闘する物語として語り継がれてきました。それは経済活動であると同時に、人づくりでもあり、文化を育む活動でもあります。ものづくりから生まれる無数の物語に耳を傾けることで人は元気をもらい、先に進む力を得ることができるのではないでしょうか。

 ちゃんと仕事もあり、お金ももらっている人たちが、自分の仕事以外のことには目も向けない。
「のりしろ」を出し合う 吉岡 忍
 よく建築家にふさわしい資質は何ですかと若い人に聞かれますが、「計画性のないこと、楽天的であること」その二つがなければ、少なくとも独立した建築家にはなれないと言っているんですよ。
「遊び」を思いつく 中村好文
 科学とは広い意味での物語である。…客観性や普遍性が売り物である科学には、個人の思惑を一切介入させるべきではないとされてきたのだ。しかし、科学の歴史を通覧してみると、意外にも物語性に富んだ科学が多く試みられてきたことがわかる。
科学と物語の道行き 池内 了

2008-05-06[n年前へ]

ノウハウの限界 

 何かノウハウがあるようになってくると、決まった仕事しかできなくなるんですよね。悪く言えば、演習問題の域を出ないものばかりになる。それは、むろんまだ誰も解いたことがないから新しい問題のように見えるけれども、誰もが予想できる範囲のものなんです。
 池内 了「不合理こそが面白い」"GRAPHICATION No.156"

隠された非合理的な部分 

 "GRAPHICATION No.156"

 論文には試行錯誤のところは絶対に書かないんですね(笑)。だから、ある日、天才的な閃きによってそれが発見されたかのように見えるんです。
   赤木昭夫
「君、科学論文はこう読むんだよ」
「大体ずるいキツネほど自分の足跡を尻尾で消していくんだ」
「肝心なところは、アインシュタインもハイゼルブルグも全部隠しておるのや。そんなのにだまされたらあかんよ」
   内山龍雄 via 赤木昭夫
 数学の三段論法のような論理だけで論文は仕立ててあるわけですね。
   赤木昭夫
 つまり、論文には(筋道をたどれるような)合理的なことしか書かれていないわけですね。本当はその裏に隠された不合理な部分が重要なんですね。
   池内 了



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