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2004-10-29[n年前へ]

大都市における隣駅の法則 

大都市では、拠点駅の隣駅にラブホテルが固まっている。例えば、梅田駅なら隣の十三。大阪駅は桜ノ宮、福岡駅は薬院、上野駅の隣の鶯谷もそう。なぜだ?
という大都市における隣駅の法則.
理系白書ブログ

2004-11-01[n年前へ]

その一秒に何の意味がある? 

私自身は、どんな媒体であれ、速報はメディアの生命線だと思っている。「新聞は速報性より、深く掘り下げた分析記事を載せてほしい」という意見もある。それは大切な指摘だが、起きた出来事を一人でも多くの人に、一秒でも速く届けるという役割を放棄していいことにはならない。  毎日新聞「理系白書」の記者が作るページ
理系白書ブログ (私は決してそう思わないのだが)必ず「新聞」記者達は「一秒でも速く届けるという役割」といったような言葉を言う。もっとも、そう思わない心を持つ記者は「新聞」記者を続けていくことはできなくて、単にそう思うことができる記者だけが「ふるい」に残っているだけかもしれない。

 その一秒に何の意味がある?と私は思う。「競技場で誰かと100m走でもしているのだろうか?」「単に特オチがコワイだけじゃないだろうか?」と感じる。速報がメディアの生命線であるというならば、ずいぶんと細く短い生命線なのだな、とも思う。メディアというのはそんなものを生命線にした、本当にそんなちっぽけなものなのか、私はとても疑問に思う。せめて、「新聞」メディアという世界の中にでも限っていて欲しい、そんな生命線は。

 野次馬根性が通常より旺盛(それはこの種の仕事には必要なことだと思う)な新聞記者達は、自分の中の(通常からの)判断基準のズレを少しばかり意識し続けるべきだと思う。そして、速報の必要がある記事、速報の必要が無い記事、その記事がどういったものなのかを考える義務が記者にはあると私は思う。その義務を放棄していいことにはならない、と思う。
新聞記者は謝らない。プライドが高くて自分の非を絶対に認めない。自分の記事で人が死んで一人前、と思ってる。 「恨ミシュランの真実」 西原理恵子

2005-01-10[n年前へ]

NEWS 

カリタテル カリタテルを読む。この文章中で語られていることと直接は繋がらないこと、単に連想したことを、脈絡なく以下に書いてみる。だから、何かまとまった話ということでは全くない。

 私は新聞記者が「起きた出来事を一人でも多くの人に一秒でも速く届けるという役割」を重視する姿勢はあまり好きではない。「起きた出来事」を明らかにするには時間がかかる以上、「起きた(と思われるが、その確からしさは決して高くない)ことを多くの人に速く届けてしまうという自らの判断」の必要性・危険性を「その書き手」はいつも疑い・考え続けるべきだと思う。そして、新聞記者たちがそのような期待に応えて続けているかどうかは疑問に思っている(そう思う一方で、他人のことを気にする繊細な神経の持ち主は記者を続けることは到底できないだろう、とも思っているのだが)。もちろん、私たちの中の野次馬根性に対しては、記者達は期待以上に応えてくれていると思っている。

 「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか? ところで、毎日新聞というと署名記事の割合が他に比べて多い新聞社だという印象がある。私は社説というものの存在意義がよく理解できておらず、逆に意味もなく署名記事が好きなので、毎日新聞に対しては比較的良い印象を持っている(西原理恵子の毎日かあさんが連載されているからではない、多分…)。先の理系白書の書き手も書く文章の内容はさておき、その自らの名前の元に書く態度に対しては非常に好印象を持つと同時に尊敬している。また、「書く文章の内容はさておき」というのも、勝手な期待・勝手な理想を新聞に重ねてしまうせいで、そんな風に(勝手な)基準を高めてしまっているのだとも思う。そういう期待がなければ、眺めるだけで終えておけば良いだけなのだろうから(「理系白書ブログ」に関しても「毎日新聞『理系白書』の記者が作るページです」と書いてなければ、きっと何の反応もしなかったと思う)。

 以前、「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか?というアンケートを見たときに、それをとても強く感じたのだが、もしかしたら(私に限らず)時に新聞記者に対してぶつけられる「(皮肉で書かれる)期待」の裏には、「(勝手な高い)期待」があるのかもしれない、と思う。その「期待」をどう眺めどう応えていくかは、その人(記者や私たちの)それぞれに違うのだろうけれど。

「テレビニュース」というものに対する(私たちの)イメージは全て自分達に降りかかってくるに違いない。(私たちのイメージの中の)「テレビニュース」という言葉は「僕ら自身」と全て置き換えられるに違いない。そう思いながら、刻々流れる質問への答えを眺めている。
「テレビニュース」が世の中に与える影響は? -> 悪い
「テレビニュース」は信用できる -> No
「テレビニュース」はあなたの人生にとってなくてはならないものですか? -> Yes



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