2008-05-04[n年前へ]
■夢を紡ぎ続ける画家や作家や多くの芸術家たち 
美しいものと醜いものが同時に存在する。それは人間関係においてとくに顕著に現れることがあり、青空がたちまち暗雲に閉ざされる気持ちがするものだ。しかし、生きていくということは、きれいごとだけではすまない。夢の虚しさを知ったところで、その夢は消えないものである。そして、そう信じる人たちのために夢を紡ぎ続ける画家や作家や多くの芸術家たちがいる。
本書に登場する人物をひとつの共通項で要約すると、イメージの達人であり夢を一生追い続けた人たちであるといえる。
「夢と遊びの設計者たち」
■”ファール”は”フェアー”で”フェアー”は”ファール” 
(シェークスピア「マクベス」の”きれいは汚い、汚いはきれい”="Fair is foule, and foul is failr"を指して)fiarとfoulということであれば、これは野球用語ではないか。そして、野球が成り立つためには、fairとfoulは、もちろん画然と区別されていなければならない。「Fair is foule, and foul is failr.」といった両義的なルールでは、そもそもゲームは成り立たないのだ。
……現実の人間の生活世界とは異なってスポーツでは、両義的ないし重層的ではない、ごく限られた単純明快なルールが設定されていて、その約束事の下で選手たちが熱いドラマを繰り広げる。
中村達也 "きれいは汚い、汚いはきれい"
2009-05-04[n年前へ]
■ロマンを感じさせる「東京・地下の深い闇」 

「(表に出てこない)何か隠されているものがある」というのは、人の興味をかきたてる。たとえば、どこかの山中に「江戸幕府の埋蔵金が隠されている」なんていうのも、その一例であるし、あるいは、「歴史の中の出来事には、その水面下で私たちに見えないように巧妙に隠された秘密がある」なんていうのも、そうである。そして、そんな2つが
組み合わさったような例が、「大都会の地下には、私たちの知らないものが、歴史の過程で秘密裏に作られ、そして隠されている」というものである。
そんなことが書いてある本、東京の地下鉄や地下通路の地図から、あるいは、戦前・中・後のさまざまな地図から、東京の地下に広がっていた世界・あるいは今も広がっている世界を「想像」させてくれるそれらの本は懐古歴史ミステリーのようで、しかも、今現在の世界へも繋がっているミステリーのようで、読んでいると不思議なほどにハマってしまう。
2003年には、日野市で民家が傾き、調べてみると、その下に地下道があった。大型トラックがすれ違える広大な地下道は、いまもまっすぐ市街地の下を東西に貫通している。
「写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密―東京駅周辺の地下の謎に迫る! 」
東京の地下はいまも深い闇のなかにある。にわかには信じられないような闇である。寺院の地下に変電所や博物館がつくられ、公園の地下には冷暖房施設、巨大貯水池、地下駐車場がつくられている。地下鉄の駅の上を走る地下自動車道は、今も国民には公開されていない。
「写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密―東京駅周辺の地下の謎に迫る! 」



2010-05-04[n年前へ]
■テキ屋のクジに一等賞は入っていない!? 
学生時代、「みやげもの販売」というバイトをした。もう今の時代にはないだろう、アルバイト雑誌に載っていた「みやげもの販売」という求人情報を見て、電話すると「すぐ来てくれ」と言う。喜び勇んで、電話で教えられた住所に行った。すると、そこは大きめの普通の家だった。しかし、家の中に入ると広めの和室の壁には、「○×組」という提灯が並んでいる。その家は、普通の名前も持っているけれど、「○×組」という名前も同時に装備しているらしかった。そういえば、玄関に変な看板があったことを思い出し、家を出るときに確認してみると、そこには確かに「○×組」と小さく書いてあった。
「みやげもの販売」といっても、決して名産お土産を売るわけでなく、お祭りが開かれている場所で「くじ」や「綿菓子」や「金魚(スーパーボール)すくい」といった「みやげもの」を販売する店だ、ということがわかった。つまり、そこはいわゆるテキ屋業を営んでいたのである。
できるなら、このバイトには採用されたくないな・辞退したいな…という気持ちとは裏腹に、「じゃぁ、明日から来てね」と「姐さん」に言われ、次の日から色々な街で開かれている「お祭り」会場に行くことになった。そして、テキ屋の店員として、夏の間中、働くことになった。それは結構ツラく、そして楽しい毎日だった。
楽しかったのは、何だか祭りという特殊な場所で時間を過ごすことができる感覚や、こどもたちが祭りの中で興奮して楽しくしているさまを見ることができるからだった。そして、ツラかったのは、たとえば、たとえば、「くじ」の担当になった時だった。「くじ」の中には、そもそも一等賞のあたりくじなんか入っていなかったし、「二等賞や三等賞が当たったとしても、適当にごまかして絶対に景品は渡すなよ」ということを、姐さんや氣志團の綾小路翔みたいな実にハンサムな(バイトではない)常勤の先輩に強く言い渡されていたからだ。はずれくじを握って残念そうな顔をするこどもを前に、その一等賞の箱の中には何も入っていないんだよ、ということを考えるのは何だか切なかった。
結局、こどもの笑い顔を見るのはとても楽しく、こどもの泣き顔を目の前にすると少し辛かった。…その楽しさと辛さで差引き計算をしてみたら、やはり、昔のことだと思えば、「楽しかった」ということになるのだろうか。
2011-05-04[n年前へ]
■「人々は、自分がまず思いついた事例に囚われてしまう」 
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』から。
(アーネスト・メイは)こういう問いを抱きました。…アメリカのなかで最も頭脳明晰で優秀な補佐官たちが制作を立案していたはずだった。その彼らはなぜ泥沼にはまるような決断をしてしまったのか。
…自らがこれから判断しなければならない問題を考える時…歴史のなかから類推例を必死に求めようとします。過去の人々はどうやっていたのだろうか、あのとき政府はどうやったのだろうか、と。しかし、その過去の歴史について、真実がすべて明らかになっているわけではなく、また人々が思い浮かべる過去の歴史の範囲はきわめて限定されてしまっている。人々は、自分がまず思いついた事例に囚われてしまうものなのだ。
…これを逆にいえば、重要な決定を下す際に、結果的に正しい決定を下せる可能性が高い人というのは、広い範囲の過去の出来事が、真実に近い解釈に関連づけられて、より多く頭に入っている人、ということになります。

