hirax.net::Keywords::「山際淳司」のブログ



2009-06-07[n年前へ]

すべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ 

 山際淳司の「スローカーブを、もう一球 (角川文庫) 」から。

 ふと思い出した台詞がある。ヘミングウェイが、ある短編小説のなかでこんな風にいっているのだ。
「スポーツは公明正大に勝つことを教えてくれるし、またスポーツは威厳をもって負けることも教えてくれるのだ。要するに・・・・・・」
 といって、彼はつづけていう。「スポーツはすべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ」
 悪くはない台詞だ。

2009-12-09[n年前へ]

「結局は、自分のためにやってきたんです」 

 山際淳司「スローカーブを、もう一球 (角川文庫) 」の「たった一人のオリンピック」から。

 そして時が流れた。二十代の後半を、彼はボートとともにすごしてきてしまったわけだった。ほかのことに見向きもせずにだ。オリンピックに出るという、そのことだけを考えながら、である。
 決算はついたのだろうか。彼が費やした青春時代という時間の中から果実は生み出されたのだろうか。一つのことに賭けたのだから、彼の青春はそれなりに美しかったのだ、などとは言えないだろう。
「結局は、自分のためにやってきたんです」
 津田真男は、現在、ある電気メーカーに勤めている。ボートはやっていない。

2009-12-12[n年前へ]

一塁ベースに行ける、と信じつづけること 

 山際淳司の「山際淳司―スポーツ・ノンフィクション傑作集成 」の「途中入社」から。

 野球には盗めない塁が一つだけあるんだ。知ってるかね。ファーストベースだ。ここだけは盗塁できない。そして一塁に出なければ、得点もできない。一塁ベースに、何が何でも行くことさ。それが野球だ。
(1985年に米野球殿堂入りしたカージナルスのエノス・スロウターが晩年に語った)その話をすると、蓑田(浩二)は考えながらいった。
「一塁ベースが遠く見えるときがあるな。でも・・・」
 彼はつづけた。「…肝心なのは、行けるんだと信じつづけることだ」

2009-12-13[n年前へ]

スポーツシーンは「読む」に値する 

山際淳司が生前に自ら選んだ文章等をまとめた「山際淳司―スポーツ・ノンフィクション傑作集成 」の最後を飾る、「ツール・ド・フランスを”読む”」の一番最後を締めくくる一節。

 ところで、もうひとつ付け加えておくと、ここではツール・ド・フランスのことを書いたが、スポーツシーンは「読む」に値するということだ。スポーツを解読していくと、いろいろなものが見えてくる。それは逆から言うと、スポーツが人間に関するもろもろのことを、つまるすべてを含んでいるからにほかならない。
 もしかしたら、人が力を費やすさまざまなことを、この「スポーツ」という言葉に置き換えてみても、その文章は「真」なのかもしれない。

2009-12-18[n年前へ]

日々出会う分岐点に道しるべはない 

 「山際淳司―スポーツ・ノンフィクション傑作集成 」の「タマサブローのその後」から。

 誰の人生にも分かれ道がある。分岐点というやつだ。しかしそれは奥深く分け入った山道で出会う(道しるべが立っていることが多い)分かれ道とは違う。
 日々、生きているなかで出くわす分岐点には、当然のことだが、道しるべはない。そこで、やっかいなのだ。右へ行けば成功するのか、左に行けば可能性があるのか、誰にもわからない。ただいえることは、その場で立ち止まっていてはいけないということだ。立ち尽くし、考え込んでいても何も変わらない。



■Powered by yagm.net