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2015-05-20[n年前へ]

自転車王国オランダでは、かなりの比率の人が乗ってる自転車に○×が△□!? 

 「自転車王国」と呼ばれるオランダで、これは確かに自転車王国だ!と驚かされたのが「老若男女、かなりの比率の人が乗ってる自転車に○×が△□」ということだった。たとえば、スーパーで自転車止め、近くに留まってる自転車を撮ってみたのが左下の写真。よくよく見ると、日本のよくある自転車群とは大きく違う部分があって、気づくと思わずビックリさせられる(一番右の自転車は普通)。

 答えは何かというと…「自転車を高速で走らせる老若男女の人たち、そのかなりの比率の人たちがブレーキがハンドルには無い自転車に乗っている」ということだった。たとえば、右上の写真、街中に止められてる昔ながらの(よく見かけるタイプの)自転車を眺めてみれば、ハンドルはただのハンドルでハンドブレーキなんか全く存在していない。…つまり、いわゆる「ペダルを逆回しするとブレーキがかかるコ-スタ-ブレ-キの自転車に乗り・高速に飛ばしている人が多い」ということ。 いや、びっくり。

自転車王国オランダでは、かなりの比率の人が乗ってる自転車に○×が△□!?自転車王国オランダでは、かなりの比率の人が乗ってる自転車に○×が△□!?






2015-05-30[n年前へ]

ゴッホ「夜のカフェテラス」を特殊撮影してみた 

 オランダのクレラー・ミュラー美術館(Kröller-Müller Museum)でいくつもの絵画を特殊撮影してきました。デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園の中にあるこの美術館は、アムステルダムのゴッホ美術館と並ぶフィンセント・ファン・ゴッホ絵画のコレクションで知られています。…というわけで、1888年9月にフィンセント・ファン・ゴッホが描いた「夜のカフェテラス」 (Caféterras bij nacht)をWebGLで3次元的に表示してみたのが、下の動画です。

ゴッホ「夜のカフェテラス」を特殊撮影してみた






2015-06-01[n年前へ]

オランダのクレラー・ミュラー美術館に行く途中の高原で「オランダ風景画の水平線位置」を確かめてみた。 

オランダ風景画で印象的な「画面を広く占める空」の不思議?で書いたように、オランダ風景画で空が占める比率は異常に高い。けれど、実際にひたすら平地が続く彼の地で地平線を眺めてみると、風景画に描かれた地平線の位置は確かに合っている。…ということが、実感できる「仕掛け」が、オランダ・ヘルダーラント州の高原地帯に位置するクレラー・ミュラー美術館(Kröller Müller Museum)に行く途中、デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園にありました。

 オランダ風景画を見るたび、そこに描かれている「遙か遠くまで広がる空」が印象的だった。たとえば、オランダ風景画でGoogle画像検索すると、キャンバスの2/3くらいの広さに青い空と横方向に延びる白い雲が描かれていて、その景色がとても印象的だ。それは、たとえば、日本の油絵風景画でGoogle画像検索してみた結果と比べると、その違いがよくわかる。日本の風景画では空はキャンバスの上部1/4程度を占めるに過ぎない。

 高原に備え付けられた「額」を覗いてみると、自分の視線の高さと”ほぼ”等しい高さに広がる地平線の高さが、オランダ風景画を描く基本のレイアウトに一致していて、何だかそれが面白く感じます。

オランダのクレラー・ミュラー美術館に行く途中の高原で「オランダ風景画の水平線位置」を確かめてみた 






2015-06-06[n年前へ]

西洋甲冑の「社会の窓」で考える放水部の高さについて 

 よく座るテーブルの正面に、西洋甲冑が立っている。その西洋甲冑を眺めると、その「社会の窓っぽい箇所(つまりは小便用の空きスペースっぽい箇所)」の高さについて、いつも考えてしまう。…どういうことかというと、その社会の窓はテーブル面よりも高く、椅子の背面よりもさらに高く、それは私の腰よりも遙かに高い場所にあることに気づかされるからだ。つまり、高さ35cm以下の小便器を保証しようとする日本は「世界一の小便バリアフリー王国」かもしれない2015/05/04)で書いたような、小便器に対する放水部の高さがあまりにも違う(小便バリアフリー)問題について考えさせられてしまう。

 古今東西、男性が身につけてきた衣服を研究してみると、この小便バリアフリーについて、さらに深い知見が得られるかもしれない。

西洋甲冑の「社会の窓」で考える放水部の高さについて






2015-08-16[n年前へ]

「天津の爆発事故」と「デルフトを描く3枚の絵」 

 中国 天津市で爆発事故が起きた。その映像を観て、オランダのデルフトを描く、あるいはデルフトで描かれた3枚の絵画の話を連想した。

 オランダのハーグにあるマウリッツハイス美術館というと、フェルメールが描いた「真珠の耳飾りの少女」が有名だ。その少女が飾られているフェルメールルームの反対側の壁には、フェルメールの「デルフトの眺望」が飾られている。薄暗い曇で陰った近景の先に、印象的な青空とその下で輝く街が広がる、印象的な一枚だ。

 この絵が描かれたのは1660年頃だが、その数年前の1654年10月12日、大規模な火薬爆発がデルフトの街で起きて、街のかなりの部分が失われた。爆発事故が起きたデルフトを描いた、エグバート・ファン・デル・プールの絵を眺めると、その悲惨さが感じられる。

 「デルフトの眺望」が描かれたのは、デルフトの街が爆発事故から復興する途中だ。そんなことも相まり、街を上から照らす青空と、眩しい光を反射する建物の壁が、とても美しく思えてしまう。

 フェルメールの絵が飾られている隣の部屋、Steen Roomには、外から光が差し込む2枚の窓の間で「小鳥」が一羽たたずんでいる。この小品を描いたカレル・ファブリティウスはデルフトの爆発事故で若くして亡くなった画家だ。

 窓辺にとまる小鳥を少し眺めた後で、もう一度「デルフトの眺望」を眺め直すと、遠景で輝く街の壁に、柔らかい光に照らされた「小鳥」がとまっているような気がしてきてしまう。

「天津の爆発事故」と「デルフトを描く3枚の絵」








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