hirax.net::Keywords::「創造」のブログ



2004-11-08[n年前へ]

世界規模ソースコード検索エンジン中間報告 

未踏ソフトウェア創造事業中間報告会: 世界規模ソースコード検索エンジン中間報告 高林哲氏によるIPA 2004年度未踏ソフトウェア創造事業 「石田PM・長尾PM合同中間報告会」での「世界規模ソースコード検索エンジン中間報告」コードネーム gonzui(ナマズ目ゴンズイ科…)は11月29日(いいにくの日って…)に公開予定。JavaScriptでインクリメンタルgrep 検索, JavaScript で複数箇所のキーワードをハイライト等を備えた検索結果の表示インターフェースも非常に使いやすそう。

2005-01-02[n年前へ]

「自分を単純作業の機械にする」文化 

 void GraphicWizardsLair( void ); //の「PublishingSoftware 講談社はLightWayTextとInDesignで組版」から

「自分を単純作業の機械にする」という文化に激しく抵抗感があった。デザイン系の人は、手や指で反復作業をすることにあまり苦痛が無い人が多いのかも。
 デザイン系だけでなく、師弟伝承「ものつくり文化」はこの単純作業スパイラルに陥いりやすい。それが、特別に訓練が必要な作業であればともかくも、とりたてて特別なところのない(あるいは比較的容易な)単純作業の繰り返しに対してこの「単純作業スパイラル」が向けられることも多い。恐ろしいのは、教える側も教えられる側も、この「自分を単純作業の機械にする」という文化に心酔(あるいは他の文化を知らないのだろうか)していることが多いことだ。人間はロボットじゃないのになぁ…。
 下記のリンクは、「ドラえもん〜ロボットらしく、ロボットらしくなく」「ロボットは安心を創造するか」「人を楽にする作業」です。
void GraphicWizardsLair( void ); //inside outinside outinside outあけてくれ - おれカネゴンの「算数できんの気にし過ぎとや」日記

2005-08-13[n年前へ]

「自分を正当化してくれるもの」を好む 

 「自分がおぼろげに感じていることを上手く説明できるものを、好んで読む」人が多いような気がする。そう書くのは、「この本は面白い」と人が本を薦めるときには、「自分の考えや行動を正当化してくれるもの」が多いのだろうかと、先日ふと感じたからだ。

 例えば、「○×△する上手い方法」というような本を読んで、「この本に書いてあることって、前から私が感じていたり、あるいは既にやっていたことじゃないか(もちろん、「自分がおぼろげに感じていた」ということと「文章として書き、形あるものとして表す」こととは大違いだが)」というような風に感じるときに、「この本はとても面白い」という人も多いように思う。

ピーターの法則ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち 「自分の感じていたこと」をはっきりとした言葉にしたものを、つまりは、「自分と同じ考えや行動を言葉にしたもの」を好んで読み、「自分がおぼろげに考えていたことや、やろうとしていたことは適切なことなんだよ」と言ってくれるような文章を好む具体例を挙げると、「ハッカーと画家」とか「ピーターの法則」とか、そんな感じの本を好むようなことである。もしかしたら、多くの人にブックマークされるような文章もそうなのかもしれない。そんな、「自分を正当化してくれるもの」を好む傾向が見えるような気がする。

 逆に言えば、「おまえがおぼろげに考えていることや、やろうとしていることは間違ってるぞ」と指摘するような本や文章はほとんど好まれることがない、ということになる。「アンタのやり方は良くないよ」という言葉は読まれない、という感じだろうか。

2005-10-21[n年前へ]

「想像力」と「創造力」 

 今週、「すごい人たちと俺たちのような普通の人の違いって何だと思う」と訊かれた。その違いって一体何なんだろう?と頭が考えている時に、口は勝手にこんなことを喋っていた。

「想像力」と「創造力」という二つの力を兼ね備えている、ということかもしれません。
 何か「あたり前だけど、他の人は描けなかったこと」を頭の中に描いて(想像して)、そんなことを実際に作り出してしまう(創造してしまう)、そんな力をスゴい人たちは備えているのかもしれない。…それならば、その「想像力」と「創造力」を持っている人と持っていない人では何が違うのだろう?その二つの力を持つか否かは何によるものが大きいのだろう、と考え始めた瞬間に、口がこんな言葉を発し始めた。
「創造力」は「努力」という「力」の違いなのかも、と思ったりします…。
 私が見たことのあるスゴイ人たちはみんな努力していた。軽く読み飛ばしている本に、書き込みがびっしりされていたり、ポストイットが数えられないほど貼り付けていたりした。

 そして、もう一つの「想像力」に関しては、またしても口が勝手にこんなことを喋っていた。
「想像力」を狭める原因があるとしたら、それはきっと想像できたはずのことを勝手に無理だと思う自分自身なんだと思います。
 「想像力」というものが、「大きな何か」を思い浮かべる能力だとしたら、その能力を狭め失わせているものは自分自身かもしれない。もしかしたら自然に想像できたはずのことを、勝手に無理だとあきらめてしまう自分自身であったり、あるいは、「そんなことは無理だと思う他人」の意見に自分を合わせようとする自分自身かもしれない。

 そして、ふとこんな言葉を思い出す。
「夢を見続ける力のことを"才能"と言うのだ」そういう意味では、今回の芝居は、戸惑いつつも、才能は決して枯らさなかった人たちの物語ですから

2005-12-31[n年前へ]

今年書いた「12のこと」 

 今年一年12ヶ月、その中で書いたものを眺め直して、その中から「12のこと」を拾い直してみました。

1.『「四捨五入と五捨五入」
2.『続「変わらないということは、変わるということ」
3.『「マクルーハンから鴻上尚史」再び
  何かのための「スペース」を作ること、何かを指した「名前」をつけること、というのは似ています。もちろん、そういった要求があるから、でしょうけれど。
4.『紙と仕事や伝言の量
5.『「狭い世界(せかい)」と「世間(せけん)が狭い」
6.『自分の力と自分の個性
7.『「過去」の長さと同じだけ先の「未来」が見える
8.『「ルートを外して、色んなものを眺めてみたい」
9.『「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」続「井の中の蛙(かわず)」
10.『「長い文章を書くということ」
11.『「想像力」と「創造力」
12.『「WEBコンテンツの変化」と「悪は滅びる」



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