hirax.net::Keywords::「天文台」のブログ



2007-06-07[n年前へ]

モバイル・プラネタリウム PC版 

 携帯電話で眺める星空"Monile Planetarium"を、PC用WEBページとして作り直しました。もとのケータイ版Mobile Planetarium自体もPCから眺めることができますが、せっかくのPC版、もう少し大きな画面表示を行うようにしておきました。

 Mobile Planetarium(for PC)はノートPCの液晶や小さなCRTの画面越しに、見えない星空を眺めてみるためのWEBページです。180ピクセル x 180ピクセルの、あなただけの、小さな小さな天文台です。真上に見える星空、あるいは、星がほんの少ししか見えない空の下で、好きな時間・好きな場所へと移動して、星を眺めてみることができるのが、モバイル・プラネタリウム PC版です。あなたのいる場所を、地球上のさまざまな場所に変え、あなたのいる街を空気の綺麗な高原に変え、あるいは、空気の汚れた大都会に変え、そこから星や星座を眺めることができるWEBページです。

2009-10-26[n年前へ]

続「手作りスーパーコンピュータへの挑戦」 

 重力多体問題専用計算機から始まったGRPAEに関する本は、それが本屋に並ぶようなものであれば、すべて読んでいると思う。「完全主義へのこだわりを捨てると、新しい道が見えてくる」の「スーパーコンピューターを20万円で創る (集英社新書)」もそうであるし、あるいは、「手作りスーパーコンピュータへの挑戦―テラ・フロップス・マシンをめざして (ブルーバックス) 」もそうである。あるいは、「専用計算機によるシミュレーション―デスクトップ・スーパーコンピュータ入門 」もそうだ。論文は…それほど多くないが、読んでいるつもりだ。

 たぶん、この手の本で一番最初に読んだのは杉本 大一郎「手作りスーパーコンピュータへの挑戦―テラ・フロップス・マシンをめざして (ブルーバックス) 」」だ。この本は、とても惹かれる本だが、自分で本屋で見つけ出し買ったのか、それとも帰省した時に「この人の本は面白い」と肉親に渡されて読んだのかは、思いだせない。けれど、とにかく、この本は面白かった。

 1988年の秋、国立天文台野辺山宇宙電波観測所の近田義廣さんから一通の手紙が届いた。(中略)彼は天体相互の間に作用する重力を計算する重力を計算する「重力マシン」としての計算機を作ろうと、提案したのである。
 この本に登場する人物・場所が、聞いたことのある名前であったり、暮らしことがある馴染み深い場所であったこともあるし、何よりもその内容が面白かった。
 20年あまり前、アメリカのNASAで研究生活をしていたときのことである。ワシントン・ポストという新聞の一面を買い取って、ワインが半分だけ入ったグラスを描き、「あなたはこれをハーフ・フル」だと思いますか、ハーフ・エンプティーだと思いますか」と問いかけた公告が載せられた。何のための広告だったか忘れてしまったが、私にはこの言葉が永い間こびりついて離れなかった。
 こうして私の人生訓は、「完全主義は捨てて、楽をしよう。ハーフ・フルと思う方が幸せ」ということにしている。

 この本は、1992年2月に出版されたものである。けれど、今でもときたま読み直す。そして、その一頁々、一行々に感銘を受け、興奮させられる。そして、時間・発想というものの歩み・進みというものは実に意外なほどに遅々として遅いのだ、ということに今さらながらに気づかされる。…それは、決して悪いことではない。

続「手作りスーパーコンピュータへの挑戦」






2010-02-04[n年前へ]

本当にいいものは太陽の方を向く 

 北村薫の「朝霧 」 

 本当にいいものはね、やはり太陽の方を向いているんだと思うよ。

 4歳くらいの頃、長野県の野辺山という高原に越した。太陽が空に昇っている時刻には、いつも太陽の方向を向いている巨大なパラボラアンテナ=朱色の電波望遠鏡が、その高原には何基も立っていた(参考:宇宙経由 野辺山の旅 )。向日葵(ひまわり)のように、それら、離れた所に立っているいくつもの巨大なパラボラアンテナたちは、いつも太陽の方を向いていた。そんな風景の中で暮らしていた頃を思い出す。

2010-06-25[n年前へ]

考ええるどんな競争にも、最も確実に勝つ方法を提供してくれるのは科学である。 

 「ものごころがついた」のが5歳くらいで、その前の記憶は写真アルバムの中の景色としてか理解していない。だから、森本雅樹「宇宙経由 野辺山の旅 」に書かれているような、そんな頃の物語を読むと、何だか不思議な心地になる。そして、6歳くらいからの記憶、野辺山高原の天文観測所の中で暮らし・小さな分校に通っていた頃の記憶をほんのかすかに思い出す。藍色の空、太陽に顔を向ける朱色のパラボラアンテナ群、そして、クラス全部で11人が机を並べた木製の教室。

 しかし、前述のように、せまい範囲に限った場合、科学がすくなくとも最良の判断を与えてくれるのもたしかである。ひとまず考ええるどんな競争にも、最も確実に勝つ方法を提供してくれるのは科学である。
 夏が過ぎ、秋が訪れる頃、この言葉をふと思い出すのだろう。ふと、そんなことを考える。



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